夢世界旅行:第十三層「モン・サン=ミシェル」

ウナーゴン

夢世界旅行:第十三層 「モン・サン=ミシェル」

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 ギイ……ギイ……ギイ……


 棺桶のような古びた舟が、陰鬱な軋み音を立てながら、暗く静かな海を進む。船体に当たる波がチャプチャプと小さな音を立てている。天穹は果てしなく高く、真黒な闇に呑まれ、見ることはできない。海全体が発する仄青い電光色と、辺りを薄っすらと覆う蛍光グリーンの靄だけが、視界の拠り所だ。


 時折、櫂に掻き上げられた波飛沫が燐光を発する蝶へと姿を変え、数秒間形を保ったのち更に微細な数字群へと分解されては、宙空に消える。ここは、無窮の暗黒空間に茫漠と横たわる電子の海。その大量の海水はすべて無数の数字から構成されているのだ。周囲を漂う靄もまた、極小の数字の集合体であった。



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 舟に乗っているのは三人。向かい合って座る私と少女、そして櫂で船を漕ぐ子供のような船頭だ。

 三人の衣装は似通っている。暗闇にぼんやりと光る白を基調としたデザイン。袖や襟、帽子の廂を蛍光白色のチューブがネオンライトの如く縁取る。


「……でね、その城には偉大な魔女が住んでいるの。」


 十代半ば位であろうか。ネオン装飾のキャスケット帽に、肩の辺りまで伸ばした艶やかで直線的な黒髪。まだ幼い面影を遺したその顔は蒼白く照らされてはいるものの、無機的なこの光景に暖かみを与えていた。静寂の中、彼女が道すがら私に語る。


 子供の様な体格の船頭は、声を発しない。ぶかぶかのコートに身を包み、機械的な動作で船を漕ぎ続ける。不釣合いに大きなシルクハットと立てたコートの襟との間に顔は隠れ、サーチライトの様な双眸だけが覗いている。


 そこから表情は何も読み取れない。少女の話によれば、船頭は性別も自我も与えられていない『素体』なのだそうだ。


 彼女が話してくれた内容は概ね次の通りだ。


 ……自分達はいわばレジスタンス集団。この電脳世界に圧政を敷く統制者に戦いを挑んでいる。電脳世界は一見、完璧で美しく一分の隙も無いようだが、実は管理の行き届かない打ち捨てられた空間が無数に存在する。


 その中で最大のものと思われるのが、この茫漠の海、或いは、無限の地底湖だ。そして、今まさに向かっている孤島の城塞こそが、彼女達レジスタンスの隠れ家にして本拠地なのだ。


 城の主である一人の魔女が住人達を率いる。だが、その名を島外で口にすることは厳粛に禁じられているのだという。私はその魔女が執り行った複雑怪奇な召喚術によって、この世界に招かれたらしい。


「……実は私も、魔法使いの端くれなんだけどね。」


 少女は照れ臭そうに微笑むと、右手をぶらりと垂らして指先を水面に浸した。忽ち燐光の水飛沫が舞い上がり、それらはプランクトンの様な無数の電子生物となって宙を躍った。


 私は彼女の手首を彩る蛍光チューブのリングが次第にピンク色の光を帯び始めていることに気付いた。


「さあ……そろそろよ。」


 緑がかった電子の靄の隙間から突如、壮麗な城砦が姿を現した。私は息を呑んだ。これ程の巨大建造物の存在に、こんなにも接近するまで気付かなかったとは!


 それは、島そのものが城になったかの如き威容。暗闇の中で、気高い銀色の光沢が焔と揺らめく。波打ち際から等比級数の滑らかな曲線を描きながら頂上の尖塔へと至る流麗なシルエット。


 下層部から上層部へと、緩やかな傾斜で城壁が螺旋状に続く。目を凝らすと、その銀色の道を、我々と同様に白い発光衣装を纏った人々が、音もなく往来している。


 所々に尖塔を象った住居や施設らしき建物はあれど、数は少ない。恐らくそれらは出入口に過ぎず、主要な機能は内側にあるのだろう。


 少女は頬を上気させた様な表情でやおら立ち上がると、右手を腰に当て、左手を広げて誇らしげに微笑んだ。


「ようこそ、魔術師の隠れ里……至高のステルス建築……私たちのモン・サン=ミシェルへ!」


 銀の城砦はいよいよ輝き、打ち寄せるさざ波が音楽を奏でた。



 私は夢世界旅行者。一つの世界で目的を果たせば、また新たな世界へと旅立つ者。

その向かう先が果てなき下降の果てに訪れるという「集合無意識の終着駅」なのか、或いは逆に、未知なる「目覚めの世界」へと昇ってゆくのか……。



 私には解らない。

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