廃屋
杉野みくや
廃屋
これは、俺が中学生の時に遭遇した、摩訶不思議な出来事である。
当時、俺は瀬戸内海にほど近い、岡山県倉敷市の南部に住んでいた。ある夏の日、俺は友人の
そうと決まればさっそく、深夜に俺たちは自転車を走らせた。車の通りもほとんどない道を走ること数十分、少しクタクタになりながらも、俺たちはその建物のそばに到着した。
「いつ見ても気味わりぃのう」
一足先に自転車を止めた亮介が顔をしかめながらつぶやいた。鍵をかけた俺は、その言葉につられるように廃屋を見上げた。
その建物はビルのように真四角で、灰色の壁一面にツタがびっしりとはりついている。縦に並ぶ窓の数から、三階建てであろう。ガキの頃から何度か見かけてはいたが、いつまでたってもその異質な雰囲気が変わることはなかった。
「
「分かった」
剛に頼まれた俺はズボンのポケットからスマホを取りだした。当時、4人の中でスマホを持っているのは俺と颯真だけだったが、より新しいものを持っている俺がカメラ役をすることになったのだ。
スマホを横に持ち、カメラアプリを起動して録画ボタンを押す。電灯の薄暗い明かりのおかげで、かろうじて皆の姿を写せていた。
「どっから入る?」
「正面から行けんか?」
颯真と亮介が錆びてボロボロになった扉に手をかける。すると、ぎぃぃと重く軋むような音と共に扉がゆっくりと開いた。まさか開くとは思っていなかった俺たちは顔を見合わせる。僅かな驚きと年相応の好奇心が表情に如実に表われていた。
「開いた開いた開いた!」
「入るで?入るで?」
自然と小声になりながら、俺たちは廃屋の中に忍び込んだ。俺以外の3人が持参した懐中電灯を付けると、その異常さが露わになった。
外壁にびっしりこびりついていた緑のツタは中にまで侵入し、床や柱にも容赦なくはびこっていた。ほこりを被った机や椅子はどれも高級そうなものばかりで、触れるのをためらわれた。奥には古びたエレベーターが見えるが、明かりは当然ついていない。剛が試しに昇降ボタンを押してみたが、もちろん反応は返ってこなかった。
「1階はこの部屋だけか」
「見た感じ、受付だったのかもしれんな」
「おもれえもんもねーし、とっとと上行こうぜ」
亮介の提案に賛成した俺たちは右奥にある鉄扉に向かった。颯真が見つけたそれを開くと、ほこりまみれの無機質な階段が姿を現した。一段上がる度に舞い上がるほこりにむせながらも、俺たちは2階の扉を開こうとした。
「んーー!!っ、はあ、はあ。ダメや、ドアノブすら動かん」
「亮介の馬鹿力でも開かんのんか?」
「こんなボロい建物じゃけえ、ぼっけえ錆びとるのかもしれんな」
「なら……、おらっ!」
剛が扉を思いっきり蹴り飛ばした。しかし、ごーん!という重い音が建物内に響くだけで、肝心の扉はうんともすんとも言わなかった。
「ちっ、おもんねぇー。3階行こうぜ、3階」
剛は少々いらだたしげに階段をズカズカ上っていった。彼の気が短いのはいつものことなので、扱いには当に慣れている。案の定、今回も俺たちはやれやれと苦笑しながら後について行った。
3階の扉は先ほどとうってかわって、すんなりと開いた。すぐ目の前には壁があり、廊下はエレベーターを中心にT字路のような形になっていた。
俺たちがエレベーターの前に来ると、廊下の先には左右と突き当たりの3ヶ所に扉があることが確認できた。壁はところどころ剥がれ落ち、天井には大きな蜘蛛の巣が張っている。割れた照明や何も植わっていない植木鉢、乱雑に散らかった掃除用具などが不気味さを醸し出していた。
極めつけは地面に転がる、ほこりを被ったいくつかの絵画だった。どれも中世の衣装に身を包んだ人物画ばかりだ。心なしか、それらに見つめられているような気がし、背筋が冷えるような感覚を覚えた。
何かがいる。
おそらく、俺たち全員がそう感じていた。
明らかに重くなった足取りで一歩一歩前に進む。口数が減り、スマホをもつ手も自然と震えだした。
その時──
「「うわああああ!?」」
「うわっ!?」
俺は思わず腰を抜かし、スマホを床に落としてしまった。右側の扉がひとりでに勢いよく開いたのだ。他の3人も即座に逃げようとしたが、颯真はいち早く何かに気づいたようだった。
「み、
「え?」
俺はスマホを拾い上げながら正面を向いた。そこには、3年前に転校したはずの充の姿があった。
「充!充じゃが!」
「蓮太!それにみんなも!」
「俺らのこと、覚えとる?」
「そりゃ覚えとるよ!」
充は若干ボサボサな髪をいじりながら、嬉しそうに笑顔を見せた。
ちょうどその時、一度は階段付近まで逃げた剛と亮介が帰ってきた。俺が「びびっとんのか?」と小突くと、2人は若干ふてくされたように小突き返してきた。
「にしても、なんで充がここにおるん?今住んどるとこからぼっけえ遠いはずやろ?」
「ああ、友達との勝負に負けたけえ、罰ゲームでここに来とるんよ」
「あっはは。変わんねーな、お前は」
剛は安堵の表情を見せる。肝試しで体がこわばっていたのが嘘のようだった。
だが、それは俺も同じだった。転校してから久しく会っていなかったが、外も内も何も変わっていない。一緒に遊んだ時の懐かしさが思い出を通り越して蘇ってくるようだった。
「んじゃ、充を加えて肝試し再開すっか!」
俺たちは気を取り直し、残りの扉へと向かおうとした。しかし、充がすぐに「ちょっと待て」と呼び止めた。
「左の扉は開かんかったけん、あと見てないのは奥の扉だけじゃ」
「わかった、ありがとう!そしたら、奥に進むしかねえな。蓮太、カメラ回っとるか?」
俺は言葉を返す代わりに親指を立てた。
少しだけ軽くなった足取りで奥に向かうと、焦げ茶色の扉が行く手を塞いだ。他のものとは一線を画すようなその色合いに、中学生ながら敷居の高さというものを感じる。剛が手をかけると、ガコッという音と共に扉がゆっくりと開いた。
心臓の高鳴る音を抑え、スマホをしっかりと握り直す。肝試しに挑んだ俺たちの雄志をしっかり収めようと俺は意気込んだ。
俺たちが感じた通り、扉の中はひときわ豪華な様式になっていた。
花柄模様をあしらったランプに、応接用と思われる低い机と4つの椅子。正面の壁は一面が本棚になっており、中心にはこれまた大きな西洋絵画が飾られている。天使の羽が生えている女性が椅子に座っている女性の元に降りたつ様子を描いた絵だった。
また、本棚の手前には、いかにも社長が座っていそうな書斎用の机がふてぶてしく鎮座しており、そばには古びた蓄音機が静かに佇んでいた。
夏だというのに妙に肌寒く感じ、思わず腕をさする。窓にはツタが生い茂り、僅かな月明かりも入ってこない。書斎机の上にある書きかけの万年筆やよく分からない文字で書かれている本には埃があまり被っておらず、まるで最近まで人がいたかのようにさえ思えてしまった。
「なあ。あの絵、どっかで見んかった?」
「あれは、『受胎告知』?」
「なんじゃそれ?」
「エル・グレコっていう人が描いた絵よ。小学校の社会科見学ん時に、大原美術館で見たろ?」
「そうじゃが!見たわ!」
亮太は手をパチンと叩き、納得したような表情を見せた。
だが、場所が場所なだけにとても不気味に感じる。美術館で見たような神々しさは見る影もない。
「でも、なんでこんなとこに?」
「……け……を」
ぼそっと聞こえた低い声が心臓をゆっくり撫でた。声の発せられた方をちらりと見る。すると、充が絵画を見つめながら、虚ろな顔でなにやらブツブツ呟いていた。
「み、充?」
「天啓を、天啓を」
意味不明な言葉を呟き続ける彼は、いくら呼びかけても見向きすらしなかった。
「充!どうしたんだ!み――」
「っ!?おい。なんか伸びとらんか?」
「え?」
慌ててスマホを絵画に向けると、ツタがありえない速度で伸びていく瞬間を捉えた。絵画を囲うように伸びるツタを前に、俺たちは呆気に取られていた。
恐怖が心を支配する中、充は吸い込まれるように絵画へとふらふら向かっていった。
「待て、充!」
颯真が制止を試みた次の瞬間、絵画の中に居る2人の女性の顔がぐるん、と俺たちの方を向いた。蓄音機が勝手に動き出し、音の外れた賛美歌が流れ始める。それに合わせて、まるで「こちらにおいで」とでも言うように、彼女らの口元がゆがみ始めた。
「「うわあああ!!」」
俺たちはたまらずその場から逃げ出した。不気味な賛美歌が建物内に響く中、俺たちは無我夢中で階段を駆け下り、正面扉から脱出した。そのまま自転車にまたがり、一目散にその場をあとにする。振り向いた女性の顔が何度も脳裏にフラッシュバックするせいで、冷や汗が止まらなかった。
気づけば、俺たちは学校の近くにある公園にたどり着いていた。充を除く他の奴らもいたが、誰もが顔面蒼白といった感じだった。
「な、なんなんあれは?」
「この世の、ものじゃねえ」
そう言い放った剛と亮介の声は震えていた。熱帯夜だというのに、2人の腕には鳥肌が立っていた。
その時、颯真が「はっ!?」と息を飲んだ。
「な、なんだよ颯真?」
「……充ってさ、事故死したはずよな?」
あれ以来、その夜のことを話そうとする奴は誰もいなかった。俺自身も、スマホに収めた録画はすぐに消し、記憶の奥底に封じ込めた。
もし、近くを通ることがあった際には、この話を思い出してほしい。そして、決して興味本位で立ち入らないように。
廃屋 杉野みくや @yakumi_maru
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