04 錬金術

 香ばしく、どことなく苦くてほのかに甘い香りに誘われて目を覚ますと日は高く上っていた。

 体を起こして、だんだんとはっきりしてきた頭でやってしまったと気付く。


「……朝ごはん」


 には遅い時間だ。目をさ迷わせて空の器を見つけた。ピーマンの肉詰めとフムス、パンがきれいになくなっている。

 もう一度、自分の状況をかえりみた。体にかけられた布に覚えがない。心当たりは旦那さまぐらい。鼻をかすめる香りは嗅ぎ慣れたものではないが、不快ではなかった。


「嫌われてはいない、ようね?」


 呟いても答えは返ってこない。あたたかい気持ちになりながら昼のような時間にパンと干しいちじくを置いた。きちんと食べてほしいけど、気まぐれでも食べてくれるならいい。

 洗濯物はたまっていなかったので、工具を借りに行くことにする。不思議と小屋にはなかったからだ。塔に持ち出して、そのままなのかもしれない。

 開かなくなった木窓を相手に悪戦苦闘する。あまりにも頑固に錆びついたものは金槌かなづちで叩いて壊した。

 金属同士がぶつかる音が塔内にこだまする。

 唐突に、上へと続く扉から重い音が響いた。

 見上げれば、星鹿ユルドゥスゲイキがいる。自分で開けたのか、旦那さまに開けてもらったのか、意味があって出てきたはず。


「うるさくしてしまって、ごめんなさい。窓をなおそうと思って。気になるようなら見ていてもらってかまわないわ」


 すすめてみれば悩む素振りを見せた後、近寄ってきた。

 無垢な瞳に見守られながら全ての蝶番をはずす。


「付け替えちゃう方が早いんだけど、勝手に変えるわけにもいかないし、錆落としをしようと思って」


 小屋に戻りながら説明すると、星鹿ユルドゥスゲイキは素直についてきた。

 こびれついた錆は、ブラシで擦るには分厚そうだし酢でも間に合いそうにない。たいていの人はそこで諦めるだろうけど、わたしには母から習った錬金術がある。何も金を作るばかりが英知の全てではない。

 用心深く小屋に入った星鹿ユルドゥスゲイキが見慣れないものに瞬きをする。

 蒸留器と蒸留瓶、銅山の鉱水から自然にできた硫化銅に塩と水。


「硫酸だと強すぎるから、塩酸を作るのよ」


 不思議そうに首を傾げる星鹿ユルドゥスゲイキの鼻を人差し指で制した。


「錬金術は便利だけど、目に見えない毒も作ることがあるわ」


 離れてみてねと伝えれば神妙な顔が遠ざかる。物わかりがいい鹿だ。旦那さまのしつけがいいのだろう。

 硫化銅と塩をすり合わせ蒸留器へ、水を瓶に入れた。後は火種を蒸留器の下にもぐらせれば、放っておいてもできる。

 一人と一匹で、見えない変化を眺めた。


「錬金術の基礎は、分解と合成。まだまだわからないことも多いけれど、全ての物は元素でできていて術式にかいすことができると言われているわ」


 わたしの説明がわかったのか、わかっていないのか、小さく頷いたように見えた。耳が小刻みに動くさまもかわいらしい。

 我慢しきれずに腰を落として目を合わせた。昔、思い描いたものと同じ青金石ラピスラズリのつぶらな瞳に小さなわたしが映る。


「ねぇ、撫でてもいいかしら」


 体を震わせはしたが、逃げる様子はない。軽く首を撫でると毛を逆立った。


「大丈夫、撫でているだけよ。恐いことなんてしないわ」


 首筋から背中の中ほどまで手を滑らせ、固い体を落ち着かせるよう腹の毛をくしけずる。


「あなた、毛並みがいいのね。気持ちがいい」


 熱が逃げてから、やり過ぎたのだと気がついた。星鹿ユルドゥスゲイキは頭突きをするようにして扉をあけて走りさっていく。


「早く仲良くなろう」


 密かに決心して蒸留瓶に視線を戻した。泡が少しずつ上がっている。

 家ではいつ見つかるかと隠れながらやっていた作業だ。危険なものでなければ、料理をしながら、本を読みながら、できる。心配そうな顔をするお父さまがいないから。

 姿の見えない旦那さまに対してどうしたものかと思っていたけれど。

 もしかして、思いっきり錬金術ができる?

 そんな夢みたいなことってある?



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