03 家事

 ものは試しだと螺旋階段にパンと豆のスープを置くと、次の朝にはからになっていた。最上階に続く扉の鍵は閉められちゃったけど。


「歓迎はしないけど、物を大切にする人なのね」


 部屋の外に置かれた皿に、中途半端ねと笑みがこぼれた。代わりに朝ごはんを置いて二階に降りる。

 今日は住居兼仕事部屋を掃除すると決めていた。


「まずは人間らしい生活をしてほしいわ」


 埃まみれのキリムを使えるものと使えないものに仕分ける。薄手の布は申し訳ないけれど、捨てた。厚手のものを抱えて向かうのは洗濯場だ。

 昨日も世話になった侍女が顔をしかめる。


「もんのすんごいの持ってきたな。捨てちゃいな」

「まだ使えそうよ」


 確かに捨てた方が早いと思うけど職人の苦労も知っているから首を縦にふることはできなかった。

 汚れを移さないよう排水溝のわきに桶を置き水をかける。表面の埃を流し桶に入れた。つけ置きの準備をしていると後ろから声がかかる。


「どこから持ってきたんだい。衛士の詰所でもそう拝めるもんじゃねぇぞ」

星鹿ユリディズゲイキの塔よ」

「嘘だろ! あんな所に飛ばされたのかい」


 妻だものと答えるものなら大騒ぎになりそう。肩をすくめるだけですませて石鹸を細かく削る。


「それって新作の石鹸?」


 そうよと答えて考え直した。周りの侍女たちの目の色が変わったから。

 使えるものは使う主義なので、にっこりと石鹸をかかげる。


「使ってみる? ちょっとお話を聞かせてほしいの」


 思った通り、みんな食いつきがいい。

 余分に持ってきた石鹸も渡して何でもない風を装って話題をふる。


星鹿ユリディズゲイキの塔がどうしてあんな状態なのかご存知?」


 石鹸を泡立てるのに夢中になりながら、侍女たちは次々に口にする。


「化け物が住んでんだろ。誰も寄りつかねぇよ」

「夜が明けたばかりの頃、人が獣に姿を変えるのを見たの」

「わたし、夜がふける時って聞いたわ」

「……どんな姿だったの?」

「角を持った大きな獣よ。毛むくじゃらだった。朝陽が邪魔してはっきりとは見えなかったんだけどね」


 人が獣になるなんて、あるはずがない。賢者の石だってまだ存在しないのに、そんな話は信じられなかった。星鹿ユルドゥスゲイキみたいな鹿を見間違えたか何かだろう。


「この石鹸、何の香りかしら」

「ユリじゃない?」

「ジャスミンだろ」


 話題は石鹸に持ち去られた。

 もうひとつ、聞きたいことをついでに訊いておく。 


「工具ってどこで借りられるのかしら」


 何に使うのよと書いてある顔はにっこりとはぐらかした。


 ✶ ✶ ✶


 洗濯物を干し終えて、はたき掃除に取り組んだ。それから拭き掃除、最後に床掃除。小屋から持ち出した道具もわたしもくたびれた。

 それでも、まだやることはある。お昼ごはんはパンとサラダですませてしまったから夕飯はしっかりしたものを作りたい。

 今朝、届けられた食材はお父さまからのものだ。甘やかしすぎだと思いつつ真心がうれしい。

 玉ねぎをすりおろし牛の肉を叩くついでにパセリも細かくする。馴染みのスパイスと一緒に混ぜ込み種を取り除いたピーマンにつめた。トマトと家から持ってきた調味料タルハナのスープで煮ている間にフムスをこさえてパンに添えれば完成だ。

 朝も昼も減らなかった器に新しい料理を盛る。閉ざされた扉の前に置けば、日は暮れかけていた。

 東の空には月が浮かび、傍らには宵の明星ヴェニュスが輝く。

 ひと休みしようと洗い立ての織物になだれ込んだ。ほのかに残るあたたかさと仕上げに垂らした精油の香りが心地いい。あらがう前に瞼はとじていて、ご飯を食べるのも忘れて寝入ってしまった。




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