06 襲来

 二度目の寝坊をしてしまった。疲れがたまっているのかしら。

 旦那さまが朝ごはんを食べないことに勝手ながら感謝しつつ食事を作り、洗濯物を干し終えた頃に星鹿ユルドゥスゲイキがやってきた。身動ぎひとつせず見つめるので、視線を合わせる。


「何かあった?」


 答えるわけもないのに訊ねてしまう。

 湿った鼻がおでこをついた。

 冷たくて気持ちがいいと考えていると、急に腰をおされ、ついには上着カフタンの裾まで引っ張られ始めた。


「なに、どうしたっていうの」


 つれて行かれた先はわたしが寝泊まりしている小屋だ。ベッドの横まで押される。


「昼寝をするにも早いわ」


 星鹿ユルドゥスゲイキは一歩もひかずに寝床に頭を擦りつけた。

 仕方がないと腰かけると、軽く目眩を感じ体が重い。


「熱が、あるのかしら」


 額に手をあててもよくわからなかった。

 星鹿ユルドゥスゲイキがベッドのそばで丸くなる。これは見逃してくれそうにない。


「夕暮れ前には起こしてね」


 感謝の気持ちを込めて、小さな耳元に吹き込み眠りについた。

 

 ✶ ✶ ✶


 誰かの手が、確かに頬に触れた。まどろみの合間に感じた温もりは香ばしく、どことなく苦くてほのかに甘いような気がする。遠退いても重い体を動かせず、手を伸ばすことができなかった。歯がゆい気持ちは確かにあったはずなのに、眠気に負けてほどけていく。

 どれぐらい寝たのか。夕暮れ時はとうの昔に過ぎた気がする。


「おい、神官は見つかったか」

「いんや、どこにもいねぇ」

「朝が明けちまうぞ」


 小屋の外から聞こえる声に起こされた。

 外で騒ぐ男たちは旦那さまを探しているらしい。早く知らせようと体を起こすと隣にいたはずの星鹿ユルドゥスゲイキが姿を消していた。

 不穏な動きをする男たちに襲われたのか。


「ここに隠れてたりしねぇか」

「ボロ小屋におえらい神官がいるか?」

「考えてる暇があるなら、さっさと開けろよ」


 予想外の話に転んだ。

 周りに目を配り武器になりそうなものを探し、扉の影に隠れた。できることなら逃げるだけにすませたいけど。

 息をひそめていると三人の男が入ってきた。

 手勢はこれだけでありますようにと祈る。


「おい、寝床はまだあったけぇぞ――扉だ! 逃がすなッ」


 三人が振り返ったと同時に蒸留器の液体をぶちまける。


「なんだこれッ」

「目が痛てぇ」

「このアマ、何しやがった」


 ただの塩水だけど! とは教えずに小屋を飛び出した。闇の中、塔へと駆ける。

 最上階への扉が壊されていた。息が上がるのも忘れてかけ上がる。

 星鹿ユルドゥスゲイキを呼ぼうとして名前を知らないことに気がついた。名前がないのかもしれない。

 ああ、また『かもしれない』!

 騒々しい足音も聞こえてきて、後先を考える余裕はなかった。

 塔の上で叫べば声が通るだろう。目的は旦那さまなのだから、わたしが捕まったとしても時間稼ぎにはなる。腹をくくって、力の限り声を張りあげる。


「旦那さま! 星鹿ユルドゥスゲイキ! どこにいらっしゃるか存じ上げませんが、逃げてください!」


 月に寄り添う、明けの明星ヴェニュスの瞬きだけが応えてくれる。

 肩で息をしながら、空しいことをしたと思った時、星鹿ユルドゥスゲイキが降ってきた。男たちがたどり着いたのとほぼ同時だ。

 にじりよる男たちとの間に星鹿ユルドゥスゲイキが立ちふさがる。刃物をちらつかせる男たちを角で払いのけようとしたが、相手の方が上手うわてのようだ。

 後方で矢をいかける男に気付き、星鹿ユルドゥスゲイキが振り返った。ひと足飛びで、角でわたしの体を絡めとり背にのせる。

 言葉を失くしていると、塔の外に飛び出していた。


「ひぇ」


 最上階に悲鳴を残し体が落ちていく。あまりの恐ろしさに目が開けていられない。しなやかな四肢に無我夢中でしがみつき、風にいなされた毛が顔全体を覆う。

 何処かに着地して体勢が整わなかったのか、傾き、さらに落ちる。地面に打ち付けられることはなかった。昨日、干したままの洗濯物がいい仕事をしてくれたみたい。洗濯はやりなおし確実だけど。


明星ヴェニュスの、乙女」


 混乱する頭で誰の声だろうと顔をあげると、見知らぬ男の人がいた。夜よりも深く黒い髪は長く、腰までありそうだ。見開いた目には青金石ラピスラズリの光を秘めている。

 その瞳に日の光がさしていた。

 同じ光を顔のすぐそばで見つけて、スカーフが落ちたのだと気が付く。慌てて近くにあった布を被った。


「どなたか存じ上げませんが、助けていただきありがとうございます」

「ザキという」


 その名前に聞き覚えがあったのでもう一度、彼の顔を見た。冷静さを取り戻したようで神妙な顔つきをしている。

 瞳が星の欠片を散りばめたようだとお父さまがほめていた通りだ。

 ひと呼吸おいて、胸に手をあてる。


「旦那さま、はじめまして。ネヴァルの娘シルフィと申します。不束者ですが、どうかよろしくお願いします」

「……は?」


 旦那さまが固まった。初対面に戸惑うというより、初耳という感じだ。

 もしかして、行き違いがあったのかしら。いらないと追い返されたら少し悲しい気がする。

 何も応えて下さらない旦那さまをよそに、ふと思い出した。

 星鹿ユルドゥスゲイキは何処にいったのだろうと。



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