廃人旦那さまのお世話、拝命いたしました

かこ

01 嫁入り

 五歳の時から男手ひとつで育ててくれたお父さまが帰宅早々、乱暴に座った。羊の毛を手織りした絨毯は埃ひとつたてない。

 めずらしいと思いつつ家事の出来に満足していると、いっちばん真面目な顔を向けられる。


「シルフィ、嫁に行きなさい」


 出そうとしていたお茶をこぼしそうになった。理解の追い付かないままお父さまを見かえす。

 影の濃くなってきた皺をさらに深くして、わたしと同じはしばみ色の瞳が細まった。赤く燃える炎が映りこみ、揺らぐ。

 お父さまの前にお茶を置き反対側に腰を落ち着かせた。

 市場で鍛えたよく通る声は、いつだってやさしく響く。


星読ほしよみをなさる一番偉い神官さまをお前もよく知っているね。そうだ、うちのお得意さまだ。会ったことはないだろうが、日々、皇帝陛下パーディシャーのためにそらを読み、吉兆を占い、悩みの相談をされる希有なお方だ。その神官さまがつい先日、倒れられた」


 それは一大事だ。まつりごとに支障がなければいいが。

 お父さまはひと口、お茶をふくみ、そこでと言いよどんだ。節ぐれだった指が器のふちを撫でる。

 じりりと燃える音が拾えるほど静かだった。

 榛色の瞳がかち合う。瞳の中をさ迷う灯りは星の瞬きのようだ。

 たっぷりと時間をとった後、そこで、と重い口が開いた。


「『働き者で文句をいわず、健康で丈夫な体を持ち世話好き。読み書き計算ができて贅沢を言わないがそこそこの見た目』の者を探しているらしい」

「女官として、お仕えすればよろしいのでしょうか」


 ひっかかる所はあるが女官ならと頷きかけた。

 お父さまはゆっくりと首を振ってもったいぶる。


「嫁に行って世話をしてきなさい」


 どうして、そういう話になってしまうのか。一人娘として婿取りする予定は変わってしまったらしい。


「ねぇ、お父さま。わたしの記憶が確かなら夫になられる方って、もしかしなくても皇帝陛下パーディシャーの弟君ではないかしら」

「よく知っているじゃないか」

「わたしの勘違いでなければ、お父さまの口から聞いた気がするわ」


 今度は、そうだったかなぁと流された。

 わたしの顔を見たお父さまは、ことさらやさしい声で語りかけてくる。


「少々、人見知りで口下手な方だが、お前なら大丈夫だ。昔っから捨て犬によく好かれていただろう。ああ、これだと殿下に失礼か。まぁ、これも縁だと思ったら面白いじゃないか」


 何度も大きな商談を取りまとめてきた口は楽観的に言ってのけた。国一番の商人とうたわれるお父さまも宮殿からの申し出を無下にできなかったのかしら。

 泣きたい自分に言い聞かせても不安は全く消えてくれなかった。しきたり、後宮ハレムでの振舞い方と落ち着きない思考をよそに、幼子に言って聞かせるような声がゆっくりと紡ぐ。


「わたしはね、運命を信じているんだよ」


 それはどうだろう、と不安な気持ちを苦笑で隠す。

 気付いたら、十の日も数えずに嫁入りしていた。



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