タイフーガール
不可逆性FIG
タイフーガール
嵐の夜は祭の前日とよく似ている。
焦りを伴った喧騒がそこかしこから聞こえ出し、ニュースは暴風雨の最前線へと駆り出された哀れな新人を嘲笑う。私はそんな悲しいヒエラルキーを見せつける番組を肴に、ぬくぬくとホットココアをスプーンでかき回していた。そんな時だった。
ピンポーン、と。
こんな厳戒態勢の夜に間抜けな音が室内に響く。20時過ぎに誰が? と思いながらも、一応はインターホンの画面を確認する。アパートの玄関口には明るい茶色に染まった髪が目立つ1人の女が佇んでいた。
「はい」
『ちわーっす、宅配便でーす』
「何も頼んでません、切ります、さよなら」
『わーっ! 待って待って
カメラにドアップの栞里の顔が映る。わたわたと慌てる仕草すらも可愛いのが憎たらしい。媚を売ってるつもりなのか、てへぺろなウインクをしきりにするのは正直うっとおしいのだけど。
彼女は栞里。
色々あって中学校からの仲。そして今、私たちは大学生だ。お酒も飲める年齢になったりもした。
もし、互いを何かに例えるとしたらきっとゴッホの「ひまわり」と「星月夜」が一番適切だろう。言うまでもなく、栞里が「ひまわり」で、私が「星月夜」だ。それほどまでに今の彼女は眩しい。目に染みるほどの黄色を思わせる満開の笑顔で、自分の価値を最大限に高めている。同性の私でさえ、何気ないときに魅せる仕草に心臓が高鳴るのを隠せないでいるのだ。
「もー、咲希ひどいんだから。こんな日に追い返そうとするなんて」
オフショルのボーダー柄トップスどころか全身が酷く濡れていて、緩くうねる明るい茶髪が肩に張り付いていた。同じように、歩いて擦れるたびに細身のデニムパンツが水分をたっぷり蓄えた音を滴らせる。
玄関の扉を開錠するために、一瞬インターホン越しに私の声が消えたことを本気で焦ったのか連打ピンポンが鳴らされたことはこの先ずっと話のネタにさせてもらおう。
「こんな台風の日に宅配便だなんて怪しすぎるでしょうが」
言いたいことは山ほどある。
来るなら連絡してほしいとか。そもそも台風の時に外出するなとか。どうしてそんな薄着なのとか。ずぶ濡れだから早くシャワー行けとか。それよりトートバッグの中身は水没してないだろうかとか。
ただ、それよりも何よりも一番に言わなきゃいけないことがあった。
「――ねえ、また髪の色変えたの?」
「やっぱわかる? 前のグラデーションなピンクアッシュも可愛かったけど、このゴールドブラウンも好きになっちゃってさー、うふふ!」
濡れたゴールドブラウンの髪をくるくると指で遊ばせる栞里。私は肩をすくめ、ため息で答える他なかった。何故なら、つい一昨日まではピンクアッシュで、その2ヶ月前はさらに違う色に染まっていたからだ。
「髪痛むから、もう少し間隔空けたほうがいいって言ったばっかなのに」
「美容院にモテ髪が載ってるカタログ置くのが悪い!」
たまに本気で言っているのか、冗談なのかわからなくなるときある。今がまさにそうだ。
栞里はまるで何かに取り憑かれたかのように、外見を変えたがる。髪の色もそうだし、口紅も、ネイルも、カラコンもだ。いつだったか、通販でV系御用達の三白眼になるカラコンを購入しようとしたときは割りと本気で辞めるように説得したこともあった。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。思い当たる節はあれど、本心まではわからない。
「咲希もさ、一回くらいは髪染めてみなって。その黒髪も綺麗だけど、たまにはインナーカラーにアッシュグリーンのメッシュ入れてみない? あと、もう少し髪も伸ばしてさ、くるくるーって内側に巻こうよ。私はもっと可愛い咲希も見てみたいなーって思ってるんだよ?」
「はいはい、そのうちね。てか、早くシャワー浴びてきなよ。ずぶ濡れ過ぎて見てられない」
「ありがとー、実は結構寒かったり! あ、一緒に入って洗いっこする?」
「このスケベオヤジ!」
鼻をすする栞里からバッグを半ば無理やり剥ぎ取り、強制的にバスルームに連行する。そのとき握った彼女の腕から私の手の平の体温がみるみるうちに奪われていく感覚がしたので、本当に風雨に晒されてかなり冷たくなっていたことに気付いた。当の本人は相変わらずわざとらしい仕草で「もぉ、いけずぅ」とかなんとか世迷い言を漏らしていたので、それに関してはとりあえず無視。
栞里をまずバスルームに放り込んだあと、適当に引っ掴んだバスタオルと部屋着を脱衣所に置いておく。なんだか、どっと疲れて壁にズリズリと寄りかかる私。ドアの向こうから湯気で曇ったホワイトノイズのような温かい水音が響いている。いつも通りの静寂が部屋に戻ってくると、今まで意識していなかった台風の予感がしきりに窓を叩く。狂ったようにゴオゴオと吹く暴風や、銃弾のようにバチバチとガラスを穿つ雨。今夜は荒れそうだな、と変わり映えのない台風ニュースの声を聞きながらそう思った。
*****
栞里は変わった。
いや、変貌したと言い換えてもいいのかもしれない。そもそもの原因は私にあるのかも知れないし、それより前の出来事かも知れなかった。いずれにせよ、ずっと側で彼女を見てきた私から言えることは今の栞里はとても幸せそうであるということだけが全てだった。たとえその笑顔がハリボテに貼られた感情だったとしても、だ。
私が初対面の栞里に抱いた第一印象は「大人しい子」である。重く伸ばした黒髪は額を隠し、いつも周囲との調和を気にしている、そんな性格の地味な女の子。対して私――咲希は、女子よりも男子と遊ぶことが多い、ガサツな性格をしていたと思う。お互いに片親同士ということもあり、色々あって友達になれたのだ。
そして今に至る。
もうずっと地毛の栞里を見ていない気がする。もはや、あの頃と今の姿、どちらが実像で虚像なのか曖昧になってしまった。――ただ言えることは、私には今の彼女を受け入れることしかできないし、それこそが許されざる過去への贖罪でもある。栞里は私の存在意義そのもので、それと同時に人の形をする私の犯した罪の塊である。
これは栞里と私の関係性についての比喩であって、比喩ではない。
何故なら私は学生の頃、友達だった栞里を──犯したのだから。
「はー、しあわせしあわせ、気持ち良かった! ふふーん、髪が咲希と同じ匂いになってる」
血色の良い火照り顔がバスルームから現れる。浅葱色の部屋着は栞里には少し大きめ。なのに、胸の部分だけ気持ち窮屈に見えるのは気のせいということにしたほうが精神衛生上よさそうだ。たぶん、きっとそう。
「風邪引かないようにしなよね」
ベッドに座りテレビを流している私の姿を見つけると、栞里は当然のようにほぼ真横と言ってもいいほどの至近距離にぼすんと腰掛ける。
「……なんか狭いんだけど」
「そうかな、そうでもないよ?」
いや、狭い。満員電車でもあるまいし、なんでこんなに肩が触れ合うほどに密着しているのか。――まあ、確かに栞里の髪からは愛用リンスの良い香りがしてるけど。
少し離れてという意味を込めて、軽く腕を押し当てる。すると、猫が甘えたような声を漏らし、あろうことか私の腕に絡みついてくる始末。
「ちょっと! そういう意味じゃないって」
「知ってるー。でも、あたしがこうしたいの。ダメ?」
腕を絡めたまま、私にもたれかかってくる。濡れた髪の水気が私の右肩に浸透してきて冷たい。髪くらいちゃんと乾かしてほしい。
ダメと言えない私も私だけど、栞里はいつの頃からか甘えるのが上手くなった。それは決して悪いクセじゃないし、むしろ私は彼女から少し学ばないと、女としてちょっと損した気分にもなってくる。なにせ普段から身に着けてるアクセサリーのほとんどは、自分で買ったものではないというのだから。
悪女、あるいは小悪魔と人は栞里を蔑むのかもしれない。だけど私はそれこそが小さな、けれど着実な復讐なのかもしれないと思ったりもする。 ――とはいえ、彼女にそんな計算高さは無い、と思いたい。故に、これはくだらない妄想なのだろう。栞里はきっと笑って否定するはずだ。だから、これは私の妄想で祈りにも似た、ひどく身勝手な憎悪でもある。
「外、すごい音してるねえ、咲希」
「今夜はずっと大荒れだって天気予報が言ってたから、一晩中こんな感じが続くんでしょ」
轟音が部屋の外を支配していた。
ここ最近は晴れが続いていて、久しぶりの雨が終わった後にすぐ季節外れの台風が生まれ落ちた。日本列島を舐めるような進路で接近し、帰宅ラッシュが始まりだす交通機関を見事に殺した魔物は、尚も遅々として私たちの安寧を妨げている。
「そっかあ、ずっとうるさいのかー」
「そりゃ台風だし」
「台風だもんね」
会話が途切れる。栞里の柔らかな重みを感じる右側だけが、この部屋の温かな現実だった。窓を軋ませて鳴らす猛威も、生中継で映される都心の駅でのリポーターも、昨日念のため買いだめした食糧も今日という日を構成する装置でしかない。
思い出とは何をするかではなく誰とするか、なのだと。いつか、どこかで聞いた覚えがある。それはきっと、栞里の来訪によって『台風の夜』という思い出が完成されたのだ。私ひとりでは、ただじっと過ぎ去るのを待つだけの怠惰な時間になっていたはずだ。
「ねえ、咲希」
「どしたん?」
「美容室、紹介してあげよっか」
「またそれ」
どうしてもイメチェンさせたいらしい。しかし、栞里のように可愛い顔立ちをしていない私には、どうしたってふわふわした色やヘアスタイルは似合わないだろう。それは自分が一番よく知ってる。
過去に、カラーバターで無難なブラウンに染めたことある。一時的な染色だったが、それでも鏡に映った自分に違和感を憶え、色が落ちるまでの数週間は憂鬱だった。例え、人に褒められようが自分がそれに納得していなければ意味がない。少なくとも私にとっては。
「だって、咲希は綺麗なんだから黒髪なんてもったいないよ」
「私はこのままが好きなの」
「えーそうかなぁ……」
私と栞里では大きく違うものがひとつある。
それは自分の価値を何に見出すかだ。彼女は人からの評価を常に欲している。他者承認の欲求が強いのだ。しかし、そればかり言うとまるで栞里の悪口に聞こえてしまうが、実際のところ羨望の意味合いのが強かったりする。
事実、栞里は可愛い。その持って生まれた才能を武器に変え、常に磨き研ぎ澄まして生きているのだ。周囲からの『可愛い』を最大限得るために。
「元が可愛い栞里には私の苦悩なんてわかんないよーだ」
「照れるよー、いきなり可愛いだなんてぇ」
もじもじと身体をすり寄せながらくねらせる。なんというか、皮肉が通じない相手というのは強い。
彼女は私に絡み付いた腕をぶんぶんと振って恥ずかしさを態度に表す。きっと全力の褒め言葉だと思っているのだろう。そのふやけたような満面の笑顔が雄弁に物語っている。紛れもなく今、彼女にはひまわりが咲き誇っていた。キャンパスいっぱいに広がる太陽のような黄色が眩しかった。
「でも、なんでそんなにイメチェンさせたいの?」
「んー、もっと色んな咲希を見たいから、かな」
唇に指をあてて思案する顔も明らかにあざとい。だけど、わざとらしくなくそれを出来るのは素直に感心してしまう。
「たぶん世界中で誰よりも色んな私を知ってるのは栞里だと思うけど」
「そうかも知れないけど、そうじゃなくてもっと見た目的な意味でさー……てか、今のってプロポーズ? だよね、プロポーズでしょ?」
「はいそこ鼻息荒くしないの」
今の言葉に誤解する要素が合ったら是非教えてほしい。仮にプロポーズするなら、もっとストレートに言いますから。いや、しないけど。
中学からずっとそばに居るのだ。そんな浮ついた感情で括れる間柄ではない。特に私が思う関係性ついては。
僅かにため息を漏らし、話の軌道修正を図る。
「じゃあ何、私も今の栞里みたいに茶髪にしたらいい感じ?」
「ちゃんとゴールドブラウンって言って! 茶髪じゃないよ、よく見てよ、ほらぁ!」
もたれかかっていた状態のまま振り向いて、ゆるくウェーブ掛かった明るい髪をこれ見よがしに、私の顔へと近づけて色の違いをアピールしてくる。頬に柔らかな指と未だ乾かないままの髪がひらひら触れてくすぐったい。
「わかったわかったって! もお、こしょばいの禁止!」
「まだまだー! 咲希にこの色の良さをもっとわかってもらうのだー」
栞里の悪ノリは続く。両手に髪の毛先を持ち、私の顔や首筋を執拗に攻めてくる。私が避けると、そのままジリジリと前のめりに攻めてくるので、体勢はどんどんバランスを崩していく。そして、無理な負荷を課していた私の腕が耐えきれずにシーツの上を情けなく滑っていけば、どういうことになるのかは自明の理だ。
ドサリ、と。
仰向けに倒れた私に覆いかぶさる形で栞里がベッドに腕を立てている――そんな体勢。それに幸か不幸か、偶然か必然か、左腕は彼女によって完全に囚われていた。少しよじってみるも、力が増すばかりで開放してくれる気はさらさらないらしい。
「……腕、痛いんだけど」
嵐の気配がやけに遠かった。点けっぱなしのテレビも、絶え間ない秒針のリズムも、窓ガラスの軋む悲鳴さえも今だけは熱を失っている。その代わりに今にも重なり合いそうな息遣いだけはやたらに主張していた。
「やっぱり咲希は綺麗だよね」
「その口実作り何回目だっけ?」
「もう憶えてないかも」
それだけ告げると、栞里は組み敷いた私にそっと近づく。シャワー後の火照った顔がやけに扇情的で美しかった。同じシャンプーの香りと、温かな重みと、柔らかな体温の塊が感覚の全てを蝕み、奪い、支配していた。
私たちは今まで飽きるほど繰り返してきた行為を、未だ飽き足りないとばかりにまた繰り返していくのだろう。求め合う様はまるで阿呆のように。過去も未来も全て忘れてしまえたら、と思えるくらいに。これからも、ずっと。
そして、私は願う。せめて今日だけでもいい。台風が罪悪感さえも押し流してくれたら、と。
吐息が当たる。
指先が絡まり合う。
舌の裏側を探る。
何も、考え、られなく、なる。
――――あ。
*****
たぶん夢を見ていた。
遠い過去の記憶だ。
明け方の街は好きだ。
欲で湿った夜の空気を、ビルの群れの隙間から差し込む朝の日差しが洗い流してくれそうな気がするから。闇が群青に染まり、静けさと喧騒が入り交じる白に照らされる光景はいつ見ても美しかった。
街かど。誰もいない交差点は、黙々と信号を切り替え続ける。そこに私と栞里が柵に寄りかかり、何をすることもなくただ佇んでいる。朝帰りした日は決まって自販機に並ぶ微糖コーヒーをちびりと飲み、「やっぱまだ苦いや」と言い合いながら、始発が来るまでの時間、太陽が昇るのをただぼおっと眺めるのだ。
空白の時間を二人で寄り添っていると、次第に街は動き出し、やがて始発が来る。そうなると、今日という一日がようやく終わる。私たちは電車に揺られ、乗り換え駅の途中で別れて、コンビニでおにぎりを買い、スーツ達とすれ違いながら、くたびれた身体をベッドに投げ出すのだ。頬で感じるシーツはひんやりと冷たかった。
先程まで一緒に居たというのに、もう独りが切なくなる。すると、私は決まっていつも手の平をじっと眺めて、あの柔らかな肌に帯びる体温を想い出したりする。
そうすることで少しだけ現実を思い出さなくてすむからだ。
「……落ち着いた?」
ベッド脇にある置き時計を確認すると、1時間半ほどがいつの間にか経過していた。窓の向こうは相変わらず豪雨。私は軽くシャワーで身体を流し、脱ぎ捨てられた下着を履いて部屋着を羽織り、喉を潤そうとキッチンへと向かった。冷蔵庫からアップルジュースを取り、2つのグラスに注ぐ。
「はー、咲希すきぃ」
「はいはい、わかったから床にある服を着るか、どかすかしてね」
「もー、ムード台無し!」
グラスをテーブルに置いて、薄暗くしていた部屋の灯りを点灯させる。いつもは冷たいままのシーツに栞里と、二人の体温がそこかしこに残っている。ベッドには上気した綺麗な背中を見せつけるように寝そべる栞里。
努めて無感情のままで床に転がっている下着やら浅葱色の部屋着やらをその背中にポイポイと乗せていく。そうでもしないと、またその香りに、声に、肌に溺れてしまいたくなる衝動が手招きをし始めるのだ。
「このままずっと台風が留まって、荒れてくれたらいいのに」
「物騒なこと言わないでよ」
「だってそしたら、ずっと咲希と居られるし」
「それは……だとしても駄目でしょ」
一拍置いて「そっかぁ」と納得したのか、あくび混じりにシャワーを浴び、のそのそと服を着る栞里。
その間、手持ち無沙汰になった私は真っ暗闇になった窓の外を眺めることにした。当然、何も見えない。透き通った闇が広がっているだけ。代わりに部屋をまるごと反射して、ゴールドブラウンに揺れる彼女の未だ見慣れない髪が映っていた。絶え間なく吹き付ける暴風雨の悲鳴だけがビリビリと窓ガラス越しに痛いほど伝わってくる。まるでこの空間だけが世界から、嵐の夜から切り離されていると錯覚するほどに。
そういえば栞里の髪を見て、まだ会話が途中だったことを思い出した。
「あのさ」
「なーに?」
「さっきの――する前にしてた話だけどさ、逆に栞里は黒髪に戻したりしないのかなって」
私を見つめる、きょとんとした顔。それから僅かに逡巡して、少しずつ言葉を紡いでいく栞里。
「うーん、しばらく黒髪は戻さないかな。だって、染め始めたのまだ2年前からだし。それにもっと色んな可愛い格好したいもん」
にかっと、それこそひまわりが咲くような笑顔を見せる。
きっと今の彼女ならばどんな『可愛い』も着こなせるだろう。たとえこの先、黒髪の栞里が記憶の中の姿だけになったしても。
「……それともやっぱり咲希は黒髪が一番好き、なの?」
そうだとしても、私は栞里が望むことを否定したりはしないと決めたのだから。胸の奥が少し痛むのは一時的な感傷でしかない。これ以上、彼女を私の都合で変えてはいけないのだ。
――そう、これは私の秘めたる誓いである。誓いというか、呪いと言うべきかもしれないが。
「私はどんな栞里でも好きだよ」
「ふふ、ありがと。咲希のそういうとこ大好き。私がどんなにイメチェンしても、咲希だけは変わらずに接してくれるもん!」
曇りのない優しい表情。
違うの栞里、変わらずに接してくれているのは私じゃなくてあなたの方。考えが幼かったとはいえ、酷いことをしたのに見捨てないでくれている栞里こそが私にとって、何よりも掛け替えのないもの――変わっても変わらないものなの。
栞里の幸せが私の全てであり、彼女の笑顔ひとつひとつが贖罪となって自分自身をほんの少しずつ赦していけるのだ。胸の奥を甘く締め付けられながら。
「あ、もしかしてイメチェンさせたがってるのって、栞里も変わらないものを試したいから?」
「うーん……よくわかんない!」
きっとそうだ。私たちは似た者同士で、知らないうちに同じものを探しているのだ。いつだって手を伸ばせば届くけれど、触れてしまって本当のカタチを知るのが怖いもの。好きという感情だけでは、どうにも埋められない不安。
栞里はそれを確かめたがっているのかもしれない。お互い不器用だから、それを言葉にするのが怖くて、誤魔化すようにお互いを手探りで求め合ってしまったりして。今そこにある想いを一時しのぎに、安心を得たりして。
「ねえ、咲希」
「今度は、なーに?」
「――ううん、やっぱりいいや。なんでもない!」
「そっか」
本当にどうしようもないと思う。どうしようもなく歪んでいて、どうしようもなく純粋な愛だ。栞里は私を必要としてくれ、私も栞里を必要としている。それでいい。それだけでいい。
嵐の夜は祭りの前日とよく似ている。今夜は一晩中、豪雨と暴風が騒ぎ立てるのだろう。普段とは違う日常に誰もが浮足立つことを抑えられない。それは私だって同じ。
私は無意識に自分の唇を撫でる。栞里が下手くそに隠したがる可愛い不安と、困ったように笑う仕草。もう一回だけキスしたいと言ったら、受け入れてくれるだろうか。
「あ、あのさ」
「――うん、いいよ。きっと私たち同じこと考えてると思うから」
叩き付ける風雨は窓ガラスが防いでくれるので、この部屋は安全で平穏そのものだった。私たちだけの閉ざされた空間。誰の目も届かない安全地帯。私たちだけの呪われた聖域。だから――たぶん大丈夫。台風が過ぎ去るまでの間、どちらかが眠ってしまうまで、大丈夫だ、私たちなら。
これからも、きっと。
〈了〉
タイフーガール 不可逆性FIG @FigmentR
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