水のこと

 ネットのオークションで手に入れた西洋アンティークの人形は、すぐに彼女のお気に入りになった。

 汚れた顔をぬるま湯で洗い、人毛が編み込んである髪はブラシで優しく汚れを落とし、綿素材の衣服を手洗いすると、見違えるように美しくなった。

 数日はそれで満足していたのだが、ある夜、人形が夢に現れた。

 人形は自分が本当は生きていること、優しい須賀田さんに助けてほしいことを告げる。

 翌日、不思議に思いながらも気にせずにいたが、次の夜もまたその次の夜も繰り返し夢に現れた人形に同じことを告げられると、霊感があると噂の道祖さいのうさんに相談したのだった。


「それでこの方法を教えてもらったんです」


 父親の営んでいる不動産会社で、ずっと借り手がつかないままの部屋に一晩コップを置く。

 翌日、水の色が変わっていたら人形にかけ、変わっていなかったら口に含んで捨てる。

 たった一回のその儀式で、人形の瞳に生気がみなぎり始めたことに気づいた。

 翌日はさらにたくさんの水を汲み置き、同じことを繰り返す。

 しかし数日たつと効果はほとんど見られなくなり、彼女は学校でもう一度道祖さいのうさんに相談した。

 道祖さいのうさんは儀式を続けること、神社やお寺、お墓などに置いた水も加えることを教えてくれた。

 そして昨日の夢に現れた人形は、ぐにゃりとゆがんだ青黒い顔で、もう少しだと笑ったのだと須賀田さんは言った。


「これは人形の願いをかなえる儀式なんかじゃない。それは気づいてたんだろう?」


「はい。でもわたし、どうしても途中でやめることができなくて」


「もう大丈夫だ。人形は私の方で供養しておく。いいね?」


 その後、須賀田さんを自宅まで送り、ぼくたちは近くの神社へ向かった。

 女性は神職のおじさんに簡単に訳を話し、奥の縄が張られた場所で人形に火をつける。

 ぼくは黙ってそれを見ていた。


「あれはいったいなんの儀式だったんですか?」


 神社からの帰り。

 石段を下りながらぼくは尋ねた。

 女性はポケットから取り出したハンカチでぼくの額をぬぐうと、眼鏡のふちを薬指で持ち上げた。


「あれはな、あたりを漂う良くないものを集める儀式さ」


 霊は水にる。

 悪いものは水を濁らせ、もっと悪いものはバレないようにその濁りを見えないようにする。

 あの儀式は、集めた悪いモノを人形に注ぎ、それよりももっと悪いモノを体に取り込む、そんな儀式だそうだ。


「じゃあ道祖さいのうさんはわざとそんなことを?」


「その自称霊感少女がどこで覚えたのかは知らんが、まぁ力を得るための方法としては間違っておらんよ。ただその力をうまく使うことができるほど、もともとの力が強くないと今回のようなことになる」


 そもそも今回は場所が悪すぎる。

 借り手がつかないあの部屋は霊の通り道で、あんな場所で儀式をすれば、取り返しのつかないことになるのは目に見えているのだと女性は笑った。

 悪気はないかもしれない。

 それでも結果的にあれは『呪い』のたぐいであろう。


「人を呪ったものには、同じだけの呪いが帰る。人を呪わば穴二つ……という言葉くらい、キミも聞いたことがあるだろう?」


「同じだけの呪い……それじゃあ道祖さいのうさんは」


「いや、ほとんどの悪いモノはわたしがお清めしたんだ、そんなに深刻になることはない」


 あまり好ましく思ってはいないとはいえ、クラスメイトが恐ろしい目にあうことはないと知り、ぼくはホッと胸をなでおろす。

 眼鏡の奥でぼくのそんな様子を面白そうに眺めていた女性は、また眼鏡のふちを薬指で持ち上げた。


「ほとんどないとは思うが……体調を崩したり、お金をなくしたり……スマホを割ったり、ネイルがはがれたり、少し太ったりはするかもしれんな。だがまぁ命に別状はないさ」


 それは結構ひどいのではないかとぼくは顔を上げる。

 夜の神社、鳥居と階段。

 そこにいたはずの女性の姿はなく、ただ月だけがぼくを照らしていた。


 黒いボストンの眼鏡と、山吹色の澄んだ瞳。

 名前も知らない、ぼくの友だちを助けてくれた女性。

 ぼくが知っているのは、翌日須賀田さんが元気に登校したことと、道祖さいのうさんがスマホを落として、バッキバキに割ってしまったことだけだ。


――了

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怖い話『水』 寝る犬 @neru-inu

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