怖い話『水』

寝る犬

ある女性のこと

 高校の時、ぼくはある女性に出会った。

 名前も知らない、でもぼくのクラスメイトを助けてくれた神秘的な女性だ。

 今となっては夢かもしれないとも思える女性の話をしよう。


 その女性ではないが、クラスに「霊感がある」って公言してる女の子がいた。

 苗字が変わってて、道祖さいのうさんっていう。

 本人が言うには、昔から神様を祭る家系なのだとか。

 ただ、みんなで出かけている最中にも突然「よくない霊がいるから帰る」とか「そっちに行かない方がいいと霊が言ってる」とか、霊のせいにして自分のやりたいように誘導している節がある。

 その物言いがあまり好きじゃなくて、ぼくは道祖さいのうさんとはあまり付き合わないようにしていた。


「道祖さん、ちょっと見てほしいんだ……」


 ある日、クラスメイトの一人が暗い顔で道祖さいのうさんに話しかけているのを見た。

 須賀田すがたさんはあまり目立たない方の女の子で、アンティークな人形を集めている。

 以前何かの折にスマホで写真を見せてもらったことがあるけど、なかなか雰囲気のある人形だったと思う。

 人形には詳しくないので話は続かなかったけど。

 とにかく須賀田さんはしばらく道祖さいのうさんと話し込み、何かをメモすると、明るい顔で「ありがと!」って席に戻っていった。

 でも、次の日からしばらく、須賀田さんは学校を休んだ。

 一週間たって登校してきた彼女は、信じられないほどにやつれてた。

 心配する友だちに「大丈夫」「ありがと」と笑顔を向けるが、見ていると痛々しいほどだった。

 休み時間にはまた道祖さいのうさんのところへ行って、真剣に話し合っている。

 ぼくの席からは少し離れているので「もう少し」とか「続けて」という言葉しか聞き取れなかったけど、須賀田さんは翌日からまた休むようになった。


 土曜の夜、塾の帰り。

 学校を休んでいる須賀田さんがフラフラと歩いているのを見かけた。

 ラベルのないペットボトルを二つ、大事そうに抱えて足を引きずるようにしている。

 あいさつするべきか、見ないふりをした方がいいのか迷っていると、背中から声をかけられた。


「あの娘は友人か?」


 振り返ると知らない女性が立っている。

 大学生か、社会人か。

 とにかくぼくより年上で、男物のようなグレーのスーツ姿の、背は小さいがシュッとした女性だった。


「……友人か?」


「同じクラスです」


「そうか……うん、よくないな」


 黒いボストンの眼鏡を薬指で持ち上げ、女性は独りちた。

 なぜだかわからないけど、ぼくはその言葉が気になり、思わず聞いた。


「どうしたらいいですか?」


「まずはあのをやめさせるべきだろうな」


 須賀田さんとはあまり話したこともないが、とにかく追いかけると、彼女は古いアパートの一室へと入っていった。

 不思議なことに、入っていったはずの部屋にはいつまで待っても明かりがつかない。

 こんな夜遅くに、あまり仲良くもないクラスメイトの家に押し掛けるのは失礼じゃないかと躊躇していると、隣の女性は何も言わずにずんずんと歩き出した。


「あの、じつはぼく、同じクラスだけどそんなに仲良くなくて」


「かまわんだろう。どうせあそこにはよくないモノしかいない」


「よくないモノ?」


 ぼくの質問には答えず、彼女は歩きながらリップを取り出し、小指の爪の先に少し色を付ける。

 その指でぼくの額に小さな点を描くと、リップをしまい、須賀田さんの家の扉の前に立った。


「まぁ大丈夫だとは思うが、少し怖い目にはあうぞ」


 眼鏡越しの目は真剣で、ぼくは思わずごくりと喉を鳴らす。

 彼女はフッと笑い、鍵のかかっていないドアを開けた。

 目の前に広がったのは、ふたの空いたペットボトルやコップ、茶碗などになみなみと注がれた水。

 狭い玄関の先、ところどころロウソクが揺らめく細い廊下に、足の踏み場もないほど水が並んでいた。


「なんですか……これ」


「ぜんぶ拾って風呂に溜めておけ。こぼすなよ」


 女性はぼくの質問には答えないまま、ずかずかと土足のまま部屋の奥へ向かう。

 仕方なくぼくは、手前のコップを左手に持つと、靴を脱いで「おじゃまします」と部屋に入り、浴室の扉を開けた。

 浴槽に栓をして、コップの中身を注ぐ。

 ペットボトル、コップ、茶碗、次々に水を溜めていくと、目の前がくらくらし始める。

 浴槽に半分、やっと廊下の水をぜんぶ入れたところで、ぼくはコップを持ったまま動けなくなった。

 薄暗い浴室。

 ろうそくの炎にゆらゆら反射する水から、たくさんの視線を感じる。

 そのまま浴槽の中に引き込まれそうになったところで、ぼくはぐいっと後ろから引っ張られた。


「反応が早いな。キミも霊が見える方か?」


「……いえ、見たことはないです」


「ふぅん、霊媒体質なのかもしれんな。面白い」


 右手に持っていた水をドボドボと浴槽へ溜めながら、女性はぼくの額に口づけをした。

 さっきつけられたリップと同じ色のキスマークが、額にくっきりと残る。

 とたんに周囲の重苦しい空気はぼくからスッと離れ、めまいもおさまった。


「さぁもう少しだ。がんばりたまえ」


 廊下の向こう、部屋の中にも大量の水があった。

 水とロウソクに囲まれて、部屋の真ん中には、膝を抱えて座る須賀田さんと、古いアンティークの人形がいた。

 周囲には、三角形に盛られた塩が置かれている。


「オンベイシラマンダヤソワカ」


 バッグから取り出した濃い緑色の葉っぱでお酒を周囲に振りまきながら、女性はそんな言葉を何度も唱えていた。

 その間に周囲の水を集め、お風呂に入れる。


「集め終わりました」


 すべての水を入れた浴槽はとろりと粘度を持っているように見えた。

 先ほど撒いていた酒をドボドボと浴槽に注ぎ、小さな塩の包みを溶かす。

 最後にもう一度「オンベイシラマンダヤソワカ」と唱えると、周囲のろうそくが一斉にフッと消えた。


「よし、電気をつけていいぞ」


 浴槽の栓を抜いて、水を流す。

 電気をつけて部屋へ戻ると、須賀田さんは人形を抱きしめて泣いていた。


「なぜこんな危ないことをした?」


 女性に優しく尋ねられ、須賀田さんは話し出す。

 ぽつり、ぽつりと話してくれた内容は、ぼくの理解した限りでは以下のようなことだった。

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