エピローグ
公爵邸から立ち去るタイミングをいつにするか、ルティは決めかねていた。
というのも、あまりにも熱愛アピールの効果がばっちりだったため、使用人はじめ、オーウェンの部下たちもすっかり二人がこのまま婚約すると信じ切っている。
お茶の時間になると、手の空いた使用人たちが入れ代わり立ち代わりルティの部屋に訪れて、いつ婚約するのだと訊ねてくる。そんなわけで、今すぐに屋敷を離れるわけにはいかない状況になってしまっていた。
しかし、グズグズしすぎるわけにはいかない。弟のことも気になっている。
そんなルティの心中を察したレイルが、一度修道院に戻ってゆっくりしてきてもいいように手配をしてくれた。
荷物をまとめ終わった時、ゲストルームにやってきたのはオーウェンだ。なんだか不機嫌な表情に見えるのはいつものこと。
しかし最近は、ずいぶん丸くなったのだとメイド長がこっそり教えてくれた。彼女はずっとメルを怪しんでいて、警戒していたそうだ。メイド長のリークもあり、メルをとらえることができたのは幸いだった。
「ドレスは持っていかないのか?」
「本当はお返ししようと思っていたんですけど」
豪華絢爛な貴族たちのパーティーに参加してみて、ルティは改めて自分とはかけ離れた世界だと感じてしまった。もともと貴族だったとはいえ、いまさらなじめない自分がいた。
だからといって、オーウェンがルティのためを想って用意してくれた気持ちを無駄にするつもりはない。おとぎ話のような素敵な時間を過ごさせてくれたことに感謝している。
「未練になってしまいそうなので」
持って帰りたい気持ちはやまやまだったが、複雑な感情がうずまいている。
仕事だったとわかっていても、この屋敷で暮らした数ヶ月はルティの心に深く響いている。
「取りに戻ってくればいい。君がそうしたいと思った時に」
オーウェンはルティに近づいてくると、ほんの少し気まずそうに見下ろしてくる。
「痛み止めの調合が難しいとレイルがぼやいていた」
「それでしたら、あとで詳しくお手紙にします」
助かるよ、とオーウェンはルティの頭上を素手で撫でる。ここ最近オーウェンは、屋敷の中で手袋を外している時間が長くなった。
今はまだその時でなくても、完全に手袋を外せる日がきっとくるだろう。
ルティと信頼を築けたように、これから多くの人に慕われ愛される公爵になる日が来ることを、ルティは心の底から願っていた。
「私、オーウェン様に謝らなくちゃいけないことがあるんです。お供をつけずに出歩いてしまったり、立ち入り禁止なのに入ってしまったり……言っておかないと、なんだか気まずくて」
「そうだったな。ほかに懺悔しておくことは?」
「勝手に地下室に落下して、オーウェン様に風邪をひかせてしまったこととかですかね」
オーウェンはぷっと噴き出して笑った。
「たしかに。あの時のお茶はひどかった」
「美味しいはずなんですけど」
オーウェンは優しく目を細める。
「また戻っておいで。君とならわたしは前に進める気がする」
「信用していただけてなによりです!」
「ところで、わたしも謝らなくてはいけないことがある」
なんだろうと思っていると、オーウェンの手が伸びてきてルティの頬に触れた。
「好きにならないという約束を破ってしまいそうだ」
「どういう……」
「君にとても興味を持っている」
それはきっと、彼が直に触れても痛くない珍しい人間だからだろう。そう思った胸中を見透かされたのか、オーウェンは「違うぞ」と釘を刺すように覗き込んできた。
「本物の恋人になってもらいたいと思っているんだ」
「え!? 本物の『偽恋人』ですか?」
驚いて訊き返すと、オーウェンはムッと眉根を寄せた。
「なんだそれは。本物の恋人だ」
ルティが仰天していると、廊下をバタバタ駆け出してくる足音が聞こえてくる。開け放ってあった扉の向こうから「たいへんたいへーん!」とレイルがものすごい形相でやってきた。
「たいっへんだよ、オーウェンにルティ嬢!」
「あわただしいな……空気を読んでくれよ」
レイルは入室してくるなり、泣き出しそうな顔になる。
「隣国の王女様と婚約者様が外遊にくるんだけど、王弟殿下が担当になって!」
「それのどこが大変なんだ?」
「オーウェンとルティ嬢のことをどこかで耳に入れたらしく、そんなにラブラブな二人がいるのなら、ぜひ一緒に付き添ってくれって言われたそうだよ!」
ルティは開いた口がふさがらず、オーウェンはあからさまに顔をしかめる。
「断る」
「無理に決まってるでしょう! はいこれ、王弟殿下から絶対に参加するようにっていう勅命の書簡ね!」
オーウェンは受け取るのを拒否したが、レイルは書類を彼に押し付けた。そしてルティに向かって両手を合わせる。
「申し訳ないけどルティ嬢! もうちょっとだけ恋人役を引き受けてもらっても……?」
答えられないでいると、オーウェンはニコニコと微笑んだ。
「わたしとしては好都合だ。それに、殿下じきじきの命令なら拒否権はない」
「うっ……!」
「痛み止めの調合が必要だしな。な、ボーノ?」
足元を見下ろすと、ボーノが『ぷぷん!』と尻尾を振っている。
「よし! その『ぷぷん』は『了承』ってことだね! 僕は初めて豚語を理解したよ、ナイスボーノ!」
レイルは勝手に都合よくボーノの鳴き声を解釈し始める。
「え、えっ!?」
「善は急げだ、二人とも邪魔して悪かったね! じゃ、僕はこれで!」
ルティの返事を待たず、レイルは報告しなくてはと足早に部屋を去ってしまった。
「ちょっと待ってくださいってば!」
ルティの伸ばした右手は虚しく宙に浮いたままになり、そしてレイルに届くことなく下ろされる。
すると、オーウェンの両手がルティの頬を優しく包み込む。
「ルティ、観念したほうがいい」
「え、あれ、名前……!?」
ぎゅっと抱きしめられると、オーウェンの心音が聞こえてくる。心拍数の速さから、緊張しているのが伝わってくる。しばらくそのまま、ちょっとだけ落ち着くまでぬくもりを分かち合った。
「私でいいんですか?」
「君がいいんだ」
ルティはボーノを見下ろしてから決意し、そしてうなずいた。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
今度はお互いを心から助け合う形で向き合おう。オーウェンと固く握手を交わしながら、ルティはやる気をたぎらせた。
「ではコルボール伯爵令嬢。わたしの本物の恋人になってもらうということでいいな」
「いいえ、それはダメです! 身分が違います!」
間髪入れずに返事をすると、オーウェンはムッとしたあとに苦笑いになった。
「ならば認めてもらうまでだ。わたしは諦めが悪い」
「うっ……諦めないことを諦めてもらいたいです……」
逃げ腰になっていると、オーウェンの手がルティの動きを阻む。
「すまないが、やはり最初の約束は破ることにする」
オーウェンの唇がルティの頬に触れた。
次のミッションが開始されるまでもう少し。二人が『偽恋人』から『本物の恋人』になるのは、もう少しあとの話になる。
訳あり公爵様と本物の『偽恋人』 神原オホカミ @ohkami0601
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