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彼女はずっとこれを書いていたんだ。と今さら気づく。
連作短編集だった。
高校生と、客の入っていない古本屋の店主が二人で本について語り合う。何も知らない人から見たら、ありきたりな物語。
でも、私にとっては違った。
本の中の二人は、私の学級文庫の本について話している。
彼女は、言えなかった本の感想を、今まで全くしてこなかった自己表現を、小説の上で一気に繰り広げていた。
主人公の高校生は、明らかに彼女 ───花見 凛がモデルだった。
私がよく知っている、本好きで無口な少女像に加えて、家の居心地が悪いことや、会話が極端に苦手な理由がさらりと書かれていた。
そして、作中の彼女が呼んだ、「詩織さん」という店主の名前は、私のそれと同音異字だ。
本の中の私たち二人と、現実の私たち二人。その違いは、私が教師ではなく古本屋の店主である事と、会話の有無だけだった。
ある、ピアノを題材としたミステリーについて話している章で、作中の彼女はこんな事を言っていた。
『本棚って、ピアノの鍵盤に見えませんか? ......今は黒鍵の事は考えないで下さい!
本棚の
押される鍵盤の数が増えると、音同士のハーモニーが生まれます。それと同じように本棚の隙間が増えると、その隙間を作った人がどんな人か、より鮮明にわかるんです。
と言っても私は右から順に借りてるだけなので、ハーモニーも何もないただのドレミファソラシド、ですけどね。』
グリッサンド。一音一音を区切る事無く、隙間なく滑らせるように音を上げ下げする演奏技法。昔、ピアノの先生に習った記憶が蘇ってきた。
彼女が本棚で奏でる音を想像する。ドレミファソラシド。単純な音階だけれども、遅くなったり速くなったり、強くなったり弱くなったりするその音は、彼女の本の旅をあらわしているのだろう。
読み進めて分かったが、彼女は文章が上手い。私よりも数段上だろう。本の中の二人が、同じ作家が二十冊並んだ本棚を見て笑いあったり、難解な本を協力して読み解いたりしている描写を読むだけで、彼女と会話している感覚に襲われる。現実の彼女とは、朝の出欠以外には数回しか話したことが無いのに、だ。
そして、最後の章。
二人は、例の鬱小説について話していた。いつかの放課後、その本を読んだ彼女に考え無しな質問をしてしまった例の、だ。
二人は登場人物の関係や、当時の社会情勢までもを丁寧に読み込んでいく。そのあまりに丁寧な描写は、私の浅慮への当てつけではないか、と一瞬疑うが、考えすぎだろう。こんな純粋な文章が当てつけなのだとしたら、私はもう何を信じればいいのかわからなくなってしまう。
思わず苦笑してしまった。この小説の内容そのものによって笑ったのではないという事を知らない彼女に見られたら、不審がられてしまうと思ったが、彼女はもう教室にはいなかった。この雨音と、本に集中していて気付かなかった。
そして、物語は唐突に終幕へ向かっていく。小説の中の「
『最後の場面で、彼が冤罪によって汽車で連行されたとき、栞さんはどう思いましたか?
巻末の解説では、『諦めによる笑顔』って書いてありました。でも、私は違うと思うんです。
彼は作中、ずっと自己批判し続けてきました。自分の言動だけでなく、生まれすらも呪って。
あの、冤罪という避けようが無い受難は、彼にとっては”救い”だったんじゃないかな、と思います。
あの瞬間、彼は生まれてはじめて自己批判から開放されて、悲劇の主人公に慣れたんじゃないでしょうか?
彼の最後の笑顔は諦めでは無く、喜びなんじゃないか、そう思ったんです。』
物語は、
篠崎 栞。私の名前。
彼女に言いたいことは沢山ある。
学級文庫を読破したことを称えたい。
私に向けてこんなに綺麗な小説を書いてくれたことに感謝したい。
まだ話していない悩み事の相談に乗ってあげたい。
そして、本についても話したい。
集中から醒めると、雨が降りやんでいた。明日からまた学校が始まる。これからは彼女ときちんと向き合って、会話しよう。そう思ってノートを閉じようとするが、そこで、物語が終わっている次のページにインクの裏抜けがにじんでいるのを見つけた。
ページをもう一枚めくると、こう書いてあった。
――文芸部、一緒に作ってくれませんか。
完
グリッサンド 還リ咲 @kaerisaki
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