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 出張は何事もなく進んだ。二週間ずっと模擬授業を受けただけで、特になにもしていない。本当に何もするべきことが無くて拍子抜けしてしまった。

 ──もしこの二週間の間に彼女が宿題を終わらせて、学級文庫も読み終えてしまったら。そのことをずっと考えていた。貸し借りが終わることは諦められたが、彼女の本の旅が終わるところは見届けたかった。そして、何か気の利いた言葉をかけてあげられたらいいな、なんて夢想をしていた。


 三十一日の夕方、やっと解放された私は大雨の中、学校に立ち寄っていた。会場から直帰も可能だったが、夏休み最後の日、彼女の様子を一目見ておきたかったのだ。


 教室までの廊下がひどく長く感じる。雨音が鳴り響く校舎は、夏休み最終日という確実に人がいる日なのにも関わらず、人の気配がしない。

 この雨だ。彼女も帰ってしまっただろう。来てすらいないかもしれない。


 予想は裏切られた。

 教室の扉を開けると、彼女が本棚に本を戻しているところだった。


 少女と、少女の作った機械との対話を描いたSF小説。彼女が持っているその本は、本棚の一番右下に位置する、まさに学級文庫最後の本だった。


 念願の瞬間に立ち会えたはいいが、出張で考えていた、最後にかける言葉をど忘れしてしまった。


 彼女は驚いていたが、何も言わずに自分の机へ戻っている。帰らないのだろうか。


 気まずい。いいかげんな言葉が喉から出かけるが、堪える。きちんと整理してから言わなければ、この前の二の舞だ。


 学級文庫の棚を眺める。たった四か月でよくこれだけの本を読んだなぁ、と改めて感激してしまった。長い本も、難しい本もたくさんあったはずだ。そんな思いに浸りながら、彼女が辿ってきた道筋を目で追う。左端から右端へ、それが五回繰り返されたとき。

 学級文庫の右下。彼女の本の旅の終点に、ノートが挟まっているのを見つける。彼女が使っていた厚手のノートだ。


 表紙には、何も書いていない。

 彼女に目をやる。これを開けて良いのか目で訊ねたが、彼女は神妙な面持ちでこちらを見ているだけだった。

 結局、好奇心に逆らえず中を開けると、文字がびっしり詰まっていた。


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