婚約する前から、貴方に恋人がいる事は存じておりました

kouei

第1話 貴方が幸せなら、私も幸せ 〜リュシュエンヌ視点〜

「オスカー…愛しているわ」


「リトルティ!」


 ハニーブロンドの小柄な女性が、愛しい男性に抱きつきながら愛を囁く。

 月夜に照らされた美しい庭園での男女の抱擁。

 なんてロマンティックな光景でしょう。


 抱きつかれている男性が、わたくしリュシュエンヌ・トルディの婚約者

オスカー・ノルマンディ伯爵令息でなければ…。


 その光景を見つめていた私の視線に気が付いたオスカー様が、あわてて令嬢を引き剥がすように離れましたが時すでに遅しとはこの事でしょう。


 お互いの胸には、ペアで揃えたクラヴァットピンとネックレスが輝いています。


「リュシュエンヌ! ち、違うんだ! これは…」


 しどろもどろになるオスカー様を見るのは初めてですわ。いつもは冷静な方なのに。やはり愛する方が関わると違いますわね。


 オスカー様に抱きついていたのは、リトルティ・ナルデア子爵令嬢。

 オスカー様のご友人のご令妹でいらっしゃいます。


「リュシュエンヌ様、申し訳ありません。私とオスカーは愛し合っております。けれど、貴方とオスカーの婚約を簡単に取り消せない事も分かっておりますわ。ですので、私たちの関係を許して頂けませんか?」

 

そう言うとリトルティ様はオスカー様の腕に手を回し、お上品とは言い難い皮肉な笑顔を見せた。

 とても申し訳なさそうなお顔をされているようには見えませんが、元よりお二人の関係は婚約する前から存じておりました。


「何を言っているんだ、リトルティ!」 

 オスカー様があわててリトルティ様の手を振り払う。

 先程まで抱き合っていたのですから腕を組むくらい気にしませんわ、オスカー様。


「あんな無表情な女は気持ち悪いって言ってたじゃない!」

 リトルティ様は小柄な方なのに、結構声を張り上げてお話になるのですね。初めてお話をした時もそうでした。

 …変わらずお言葉に難ありですが。


「そんな事言った覚えはない!」


「言ったわ! 人形のようだって!」


「そ、それは…」


 言い淀むところを見ると、似たようなお話をされていた事は明白。それも致し方ない事です。実際、私は表情が顔に出ないので学内ではちょっとした有名人みたいです。…あまり良い意味ではなく。


 地味なダークブラウンの髪に暗いオリーブグリーンの瞳が無表情さを際立たせているようで、【鉄仮面の伯爵令嬢】などと言われておりますし。


 ですので、普通なら修羅場…と言われるようなこの状況も、きっと私の顔はずっと無表情のまま傍観していたと思われます。


 かたやオスカー様は【白銀の薔薇貴公子】と言われるくらい見目麗しいお方。

 薄紫がかった白銀の髪。深い海を映したようなプルシャンブルーの瞳。

 そのお姿に心奪われる女性は後を絶たない。


 お互いに二つ名を持っておりますが、意味合いが全く違いますね。


 そしてリトルティ様がかねてよりオスカー様と恋人同士というのは周知の事実。

 なのに私との婚約を交わす事になったのは、当然政略結婚に他ならないのです。

 貴族同士の結婚に個人の感情は関係ありません。

 そして親が決めた事に否と言えるはずもなく…。


 ならば、オスカー様にはせめて愛する方との時間を少しでも多く持って頂ければと思い、私ある名案が浮かびました。


 今宵の夜会ではその事をお話ししようとオスカー様を探していたところ、この状況に出くわした次第でございます。

 けれど、ちょうど良かったです。今ここでお話ししましょう。


「オスカー様」


「…はい」


 なぜか、オスカー様がとても緊張していらっしゃるように見受けられます。私がリトルティ様と密会している事を責めると思ったのでしょうか。ご安心下さい。この提案はオスカー様にとっても喜ばしい事と存じます。


「私と結婚しても、無理に夫婦になる必要はございません。今まで通り、リトルティ様との関係を続けて頂いて構いませんので」


「え?」


「そして、将来リトルティ様がオスカー様のお子を授かった際には、その子を跡継ぎになさればよろしいかと存じます」


「は?」  


 あら? オスカー様の表情がとても間の抜けた…いえ、力の抜けた顔をなさっておりますね。

 これも珍しい事です。


「ですので、リトルティ様を第二夫人として迎えて頂ければと思っております」


「な、何を言って…」


「キャー! 本当に第二夫人にしてもらえるの!?」

 オスカー様の言葉を遮るように、リトルティ様が嬉々とした声をあげた。


「婚約破棄をして差し上げられたら一番よろしいのですが、この結婚は家同士のいわば契約でございます。個人の感情で決められる事ではありません。ですが、オスカー様につらい結婚生活を強いる事は私の本意ではございません。我が国は一夫多妻制が認められておりますので、どうぞオスカー様の望むようになさって下さい。お話は以上でございます。では、私はこれで失礼させて頂きます」

 私は二人の前で丁寧にお辞儀をしてその場を後にした。


 リトルティ様、とても喜んでおられて良かったわ。『正妻の方がいい!』と言われたら困っていたところです。


 オスカー様は…固まっていたように見えましたけれど、嬉しすぎて言葉にならなかったのでしょう。


「帰りましょう…」


 せっかくの夜会でしたが、さすがに広間に戻る気にはなれません。

 それに、私がいたらお二人が楽しむ事ができませんものね。



 ◇◇◇◇



 馬車の窓から仰ぎ見る月に、オスカー様とリトルティ様の姿が浮かんで見えます。

 とてもお似合いのお二人ですね。…あら、その姿がだんだん歪んできました…。


「いやですわ…なぜ涙が…」 


 リトルティ様を迎える事がオスカー様の幸せ。オスカー様が幸せなら私も幸せ。 


 だからこれでいいはずなのに、なぜあとからあとから涙がこぼれ落ちるのでしょう…

 

    私…いつも通り…無表情でいられたかしら…

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