第7話 リュシュエンヌの想い⑤

 空の色がオレンジ色に染まり始めて、今日も一日が終わろうとしていた。


 私は朝のオスカー様とリトルティ様のお姿が頭から離れず、一日中全く授業に集中できませんでした。


 リトルティ様はオスカー様と私が婚約した事はお聞きなのでしょうか。

 今朝の様子だと、ご存じなさそうでしたが…。


 考えに耽っていると、目の前に数人のご令嬢方が立っておりました。

「あの…?」

 同じクラスの方々です。


「リュシュエンヌ様。あなた、オスカー様とご婚約されたって本当ですの?」

 そう質問をされたのは、トレーシー・バンドルヴィ伯爵令嬢。


「…はい」

 私は答えました。

 隠す事ではありませんので。


 今朝、オスカー様と一緒に登校した時点で噂になるのは当然です。そうなれば、オスカー様と私が婚約したことが知れ渡るのも時間の問題だったでしょう。


「なぜ、あなたが!」

 ジョルフィ・マニーニ子爵令嬢のお気持ち、本当に分かりますわ。

 私が一番『なぜ』と思っているのですから、


「オスカー様はリトルティ様と恋人同士なのですよ? 爵位の差はありますが、リトルティ様以上にオスカー様のお隣に立てる方はいらっしゃらないわ!」

 私もそう思います、ドロシー・パトリック子爵令嬢。あのオスカー様のお隣に立てる方はごくごく僅か。その中に私は入っておりませんもの。


「何かしら理由をつけて、婚約は取り消された方がよろしいのではないですか?」

 

「…トレーシー様。貴族であるあなたがそのような事を仰るのですか?皆様も貴族であれば婚約・結婚に関しては親が決める事はご存じのはず。決して、個人の感情で婚約破棄を決められるものではない事もお判りですよね? それでも破棄しろと仰るのなら、オスカー様にも同じ事を仰って下さい。オスカー様がどうしても破棄したいと望むのであれば、私も受け入れ、婚約破棄ができるように尽力致しますわ」

 簡単ではないでしょうけれど…。


「オ、オスカー様に…って」

 吃るジョルフィ嬢。


「誰もそこまで…」

 言い淀むトレーシー嬢。

 オスカー様のお名前を出した途端、彼女たちは口籠りました。


「お話がそれだけでしたら、私は失礼致します」


「な、何よッ 爵位しか取り柄がないくせに!」

 ドロシー嬢は、痛いところつきます。


 私は鞄を持って、足早に教室を出ました。



◇◇◇◇



「…こ、怖かった…」

 只今、誰もいないガゼボで胸を押さえながら心を落ち着かせています。


 リトルティ様は私とは違って、人脈の広い方。学年問わず、人気がおありですもの。周りに知られればこうなる事は明白です。


『爵位しか取り柄がないくせに!』


 本当にそうです。その通りです。そんな事は私が一番よく分かっております。


 私がリトルティ様より優れている部分など皆無。唯一あるとするならば、皆さまが仰るとおりナルデア子爵家よりトルディ伯爵家の方が爵位が上、という事だけです。


「もう少し明るい髪色だったら、少しはましだったかしら」

 地味なダークブラウンの髪をいじりながらつぶやいていた。

 こんな私がオスカー様の隣にふさわしいと思えるはずもありません。


 オスカー様はリトルティ様との事をいかがされるおつもりでしょうか。

 お別れ…するのでしょうか? あの美しい方と…? もしくは…。


 私はお父様の事を思い出していました。お母様と私には関心を示さず、愛妾とその息子と住んでいるお父様の事を…。


「…珍しい事でありません」


 我が国は、一夫多妻制が認められているのですから。もちろん、複数の妻を持たない方もいらっしゃいますが。


 けど、オスカー様はお優しい方です。もし、リトルティ様との関係を続けられたとしても、お父様のように妻と子供を蔑ろにするような事はない…とは…思いますけど…。


「何が珍しいの? リュシュエンヌ」


「…っ! オ、オスカー様っ」

 いつの間にかオスカー様が私の近くに立っておられました。

 …え? 今私の名前…そう思いながらオスカー様のお顔を見上げる私。


「…敬称を付けなくてもいいかな? その…婚約者同士だし」

 そう言いながら、私の前の席にお座りになりました。


「…っ!」

 そして私はまた、無言・無表情で一生懸命うなずいていました。きっとまた耳が

真っ赤です。


「探していたんだ。話があって」


「お話…ですか?」


「うん。来週、夜会があるだろ? ぜひ、エスコートさせて欲しいんだ。朝、その事を話そうと思っていたんだけど。あ、その前に両家の顔合わせがあるけどね」


「…っ! は、はい! お、お願い致します!」


嘘みたい。パーティーなどの華やかな場所は苦手であまり参加した事がなかったから。初めての夜会でオスカー様にエスコートして頂けるなんて! その前に顔合わせも…。あ、けど…。


「あ、あの。実は私、ダンスがあまり得意ではないので、オスカー様にご迷惑をおかけしてしまうかと…」


「大丈夫。僕がフォローするから。よくダンスの練習相手をした事があるから結構得意なんだ」


「!」


 …どなたと…なんて愚問ですわね。


「…よろしくお願い致します」


 さっきまで嬉しかった気持ちが、急に萎んでしまった感じです。

 オスカー様とリトルティ様が踊られる姿は、きっととても美しいでしょうね。


 そして、その夜会である決心をする事になるとは、この時の私は思ってもいませんでした。



◇◇◇◇



 煌びやかなシャンデリアが天井いっぱいに輝いています。

 美しく着飾ったご令嬢たちが会場に華やかさを彩ります。

 絢爛豪華な雰囲気に圧倒されている私。


 学院内でオスカー様との婚約が話題になった後、両家での顔合わせをすませ、そして今宵の夜会。いろいろキャパオーバーで眩暈がしそうです。


「はい、リュシュエンヌ」

 そう言いながら、飲み物を手渡して下さったオスカー様。


 この壮麗な場所でも、オスカー様の耀きに優るものはありません。

 ブルーのタキシードには金色の糸で素晴らしい刺繍が施され、白のクラヴァットにつけたブルーのピンと、とてもよく似合っておいでです。


「ありがとうございます。あ、あの、そのクラヴァットピン、とても素敵です」

 それはオスカー様の瞳の色と同じ色をしておりました。


「…ありがとう」

 そう言いながら、オスカー様はどことなくバツの悪そうな顔をされました。

 私何か間違えたかしら? 


「よぉ、オスカー。こんばんは、トルディ嬢」

 そう挨拶をされたのはオスカー様のご友人であり、リトルティ様のご令兄でいらっしゃるダニエル・ナルデア様でした。リトルティ様とそっくりな眩い美しさです。


「ごきげんよう。ダニエル様」

 私は緊張しながら挨拶を返した。


「オスカー、話があるんだ。ちょっといいか? ごめんね、トルディ嬢。少しだけこいつを借りてもいいかな?」


「あ、はい」


「な、なんだよ。ダニエル」


「いいからこいって!」

 少し強めの口調でオスカー様を引っ張っていくダニエル様。


「ご、ごめんね。リュシュエンヌ。少し待っててもらえるかな?」

 そのダニエル様の様子に戸惑っているオスカー様。


「は、はい」

 何だかダニエル様。怒っていらっしゃったような…?

 気になって、私は二人の姿が見えなくなるまで目で追っていました。


「あら、婚約されたばかりなのに、お一人ですの?」

 そう声をかけてこられたのは、リトルティ様でした。


 ご挨拶をしようとした時、彼女の胸元に光るネックレスに釘付けになりました。

 オスカー様のクラヴァットピンと同じプルシャンブルーの石…。


 私の様子に気が付いたリトルティ様が仰いました。


「オスカーとお揃いなのよ」


 私はグラスを持っていた手が震えるのを感じていました。


「わ、私、少し失礼致します…」


 グラスをテーブルに置き、急いで広間を出ました。

 少しでも早くリトルティ様から離れたくて…。


 やはりお二人は別れていなかった。私と結婚しても関係を続けるのですね、

オスカー様。


 だから私は決心しました。リトルティ様を第二夫人に迎える事を。

 それがオスカー様の望まれる事ならば受け入れようと…。



◇◇◇◇



 今頃お二人は、広間で美しいダンスを披露していらっしゃるのかしら。

 私は、馬車の窓から寄り添うようにずっとついて来る月を眺めていました。


 明日になったら、また【鉄仮面の伯爵令嬢】に戻ります。

 だから、今だけは泣く事を許して下さい。オスカー様。


 ガタン!


「きゃっ」

 馬車が急に止まりました。窓の外を見ると屋敷に着いたわけではないようです。


「あの…」

 馭者に声をかけようとした時…


バタン!


「リュシュエンヌ!」

 突然開かれた扉の前に、息を切らしたオスカー様が立っていらっしゃいました。

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