14 ティナ・マルレーンと今後の話


 御側付きの待機室へのあいさつもそこそこに、私はすぐにフィンさんの執務室へと向かった。連絡係の人が待ち構えていたかのように呼んだからだ。

 前にここに来たときと同じようにフィンさんは机についていた。この前と違うのは書類がひとつも出ていないこと。これだと単純に私が来るのを待っていたように見えるんだけど。


「おはよ。捜査おつかれさま。それとシーラを見つけてくれてありがとう」


「おはよう。そっちは気にしなくていい。すべて我々がやるべきことだ」


 たぶんこの人はこれを心の底から思ってるんだろうな。真面目と言っていいのかもあやしくなってくる。視野狭窄の傾向あり、かもしれない。本当によく私と組んでくれたよね。事件の解決とプライドみたいなものを天秤にかけた結果なのかな。

 さてあらためてフィンさんの顔を見てみると、なんだか戸惑っているようだった。別にうかない表情というわけではない。だからといってわかりやすく良い方面の気分ということでもない。道端でいきなり猫に話しかけられたときのような、対応を考える前に思考停止に陥ってしまった表情だ。どういうことだ、みたいな。

 何を経てそんな顔になってしまったのかが私にはわからない。だからどう取り扱うべきかもわからない。触れないことにした。


「契約の話だよね?」


「……そうだ。だが事情が変わった」


「ん? 変わりようがないでしょ。私は自白させる手伝いをする代わりにここに来させてもらったっていう話だよね」


「俺から話すと時間がかかる。ついてきてくれ」


 フィンさんは椅子を引いて立ち上がり、きょとんとした私をよそにドアノブに手をかけた。振り返りもしない。私がついてくることは前提みたいな動きだった。

 きちんと御側付きと認識される距離を保って城内を歩く。そもそも外からだってほとんど眺めたことのない城はぶっ飛んだ広さだった。部屋の数は呆れるほどあるし、廊下も階段もいくつもある。その辺の関係者に本当に十全に使いこなせているか聞きたくなるほどだった。

 いくつか曲がり角を曲がって二階に上がった。すぐのところに両開きのドアが待ち構えるように佇んでいた。

 ノックのあとにフィンさんが声を張り上げた。似合わない大声でびっくりした。


「フィン・ノイエンキルヘン、参上しました!」


「そんなに声を張り上げんでもよい。入れ」


 間延びしたようなおっとりした声が返ってきた。意外というか、そもそも私の想定では女性の声が聞けるとは思っていなかった。短い時間での話ではあるけれど、人間関係の構図がうまくつかめなくて混乱した。騎士団の上の立場の人だろうか。勝手な印象だとそれっぽくは思えないけど。

 まだ姿すら見えない段階なのに、フィンさんは恭しくドアを開けた。そこでやっと私はそれまで持っていなかった可能性を引っ張り上げることができた。

 ぱっと目に入っただけの調度品の質が高いことが瞬時にわかる。手が込んでいて、繊細だ。ちらっと視線を巡らせればわかるけど、それらの品々が悪趣味にけばけばしく配置されてはいない。やり過ぎれば下品になるそれが、調和のために数を抑えてある。ある種の威圧。


「お、ティナ・マルレーンじゃな」


 振り向きざまにこちらを見たその女性は、何がということもなく種族の違いをその立ち姿だけで私に理解させた。きっと微細な部分の積み重ねでだけ成り立ったそれを簡単な言葉で表現するのなら、気品だった。厳粛さも気負ったところも見当たりはしないのに、それは香水のように肌に染みて立ち昇っていた。

 ちらっとティーポットの注ぎ口が見えて、その湯気からカップに注いでいたことがわかる。


「ほれ、座れ座れ。ここで来ると思っとったんじゃ、読みバッチリよの」


「失礼いたします」


 もちろんフィンさんが承ける。私は口を開けるわけもない。

 年のころは私と大差ないくらい、上でも二十歳ぴったりくらいかな、の相手にこれ以上ないくらいに緊張しているフィンさんの姿からも察せるものがある。冗談でしょって言いたくなるようなことが頭に思い浮かんでいるけど、それが本当であることの証拠がすこしずつ集まっていく。状況的にもそれ以外にも。

 どうにかこうにか手と足を動かして椅子のところまで行く。私の体ってこんなにも言うことを聞かないものだったっけ。


「そんなに緊張せんでもよいぞ。わらわは此度の働きを評価して呼んでおる」


「え、働き、……ですか?」


「悪魔どうこうの話は別にして、失踪事件の被害者を助け出せたのはティナの助力があってこそ、そうフィンから聞いておるよ」


 言葉としては成立してるけど、それがどうしてこの人の口から出てくるのかがわからない。事件に関係してるとはとても思えない。訓練によって達成されるきれいに伸びた姿勢の一番上で、目を細めたやさしい笑顔が光っている。


「姫様、彼女は事情を把握しておりません」


「あ、そうじゃった。失礼した、ティナ。わらわはアデライーデ・ルイーザ・ゴータという。本当はあいだにごちゃごちゃ入るがわらわの名前はこれだと覚えてよい」


 姫様なんてフィンさんが言った時点でほぼ動かないようなものだけど、間違いなく決まりだ。私でも知ってる。この国の王女の名だ。上に二人の王子がいる。歯の根が鳴りそう。いきなりこの国の頂点に近い存在に出会うなんて想像の埒外だ。カフェの店員どころかそれこそ城内の人間だって会える人間は限られてるんじゃないの。

 王族。その人生のうちでは出会わないって意味じゃ天使や悪魔と変わらない。あ、片方は会ったわ。くだらないことを考えて緊張をごまかす。


「ええと、はい。ティナ・マルレーンです」


「うむ。それでわらわはこの王家において犯罪を取り締まる部門のお役をいただいておる。そして数人の部下を極秘にしたがえておるのじゃが、そのうちのひとりが隣のフィン・ノイエンキルヘンというわけじゃな」


 剣呑な単語がひとつだけ。極秘?


「聞けばそち、失踪事件の解決で契約が切れるそうではないか」


「え、ええ、はい。私は友人を助けてほしかっただけなので」


「ことの顛末を聞いてな、わらわはもったいない、と思った」


 ずいぶんと自由に感情を動かす人だ。朗らかに話していたと思ったら、残念そうな顔になり、ついで悪だくみがその表情から読み取れる。


「仕組みは知らんが本人の意思によらず本当のところを吐かせることができる。実に結構な技術じゃとわらわは思った。犯罪の捜査にこれ以上のものはないとな」


 急に視線が鋭くなって雰囲気が変わる。なんというか、適切な表現かは自信がないけど、これは口説くときのそれだと思う。た、対応しづらい。場も会話も、主導権はあっちのものだ。つかみどころがないのとは違って、私が何かを言う前に全部あっちが持って行ってしまう。適切な返答も思いつかない。


「で、だ。ティナ。わらわのところに来い」


「いィ!?」


「はっは、そう驚くな。悪いようにはせん。お、これ悪いやつが言うやつじゃな」


 アデライーデ様はひとりで冗談を言ってからから笑っている。けれどこっちはもう気が気じゃない。フィンさんと個人的に結んだ契約とは話が違う。これは明確に国が私を呼んでいるのだ。仮に彼女が個人の意向で動いていたとしてもそこに違いなんてほとんどありはしない。王族というものはそういうものだと私は理解している。

 良いこと、ではあると思う。喜ぶべきかは難しいところだ。カフェ店員だぞ、私。

 まともに言葉を返せずに口ごもっているとアデライーデ様がまた続けた。


「あれしろこれしろ、というつもりはない。要は昨日よ。あれと同じことを再現してもらえればそれでよい。給金も出す」


 自分ではまあまあ肝が据わってるほうかな、って思ってたけど、私は想像していたよりも一般的な精神性をしていたらしい。目の前に差し出されたそれにはっきりと戸惑っている。王女の直属の部下。誰がどんなに願ったってふつうは実現しないそれが私の前に転がり込んできた。

 ふと隣のフィンさんに視線を送ってしまう。


「まあこの場で結論を出せとは言わん。明日でよい」


「え、その」


「細かい話はフィンにしておるから質問はそっちにな。では解散」


 言うだけ言って彼女はパンと手を鳴らした。話が終わったと思うより先に椅子から立ち上がっていた。フィンさんも同じだった。やり取りという意味ではほとんど会話になっていないような感じがした。圧倒的な支配だった。見えない何かに手を取られるようにフィンさんの後についてその部屋を出た。



「断れない提案だと思ったほうがいい」


 部屋につくなりフィンさんはそう言った。開けたドアを閉めるより先に。

 声色には申し訳なさが混じっているようにも思えて、それが私には不思議だった。軽いため息とともにフィンさんは自分の机についた。やはり表情は浮かない。


「どういう意味?」


「姫様はご自身の考えをどうやってでもそれを通そうとされるだろうという意味だ。犯罪者を捕らえるという我々の論理でいえば正当性があるのはたしかだしな」


「まあ、断る理由を探すの大変だと思ってるけどね。実際」


 これは本音。カフェでのんびりやっていきたい、っていう考えは国家からの提案を蹴るだけの威力を持っているかって話で。もちろん天秤にかけたらアデライーデ様のお誘いのほうに傾く。ボールを上に投げたらそのうち落ちてくるのと同じくらい当たり前のことだ。

 だからそこに私の意思は介在しない。そう考えたほうが早かった。別に絶対にイヤという話でもないし。単純に環境を変えていくことが怖いのかもしれない。

 わずかに間があってフィンさんが口を開いた。それはアデライーデ様が言っていた細かいことに分類されること。私の身の振り方とか、立ち位置とかの説明。基本的に何も変わらない。もしかしたらアデライーデ様に呼ばれるかもしれない。それだけが新しく加わった可能性だった。

 それらの話が終わったあとで、えらく神妙な面持ちでフィンさんは言った。


「できれば前向きな気持ちで受けてもらえないか」


 なんだかその言葉が別の状況でのものに聞こえて、私はちょっと笑ってしまった。


「いいよ。受けてあげる」


 私、ティナ・マルレーンが正式に御側付きになった瞬間だった。

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紅茶を淹れるにもワケが要る 箱女 @hako_onna

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