うさぎロケット
香久山 ゆみ
うさぎロケット
どこにもいない。さよならも言わず姿を消したきみを、ずっと探している。
この深い里山で、きみに出会った。もう何年前だろう、初夏だった。いつものようにひとりでぶらぶら竹林を散歩していると、青々した新緑の中に光を見た気がした。近づくと、きみがいた。竹林のなか愛らしい声で手毬をついていた。おかっぱ頭の小さな女の子。桜色の着物をきて毬をつくようすがあまりにすてきで、思わず声をかけた。
「こんにちは」
「こんにちは」
少女はみじんの警戒心もなくにこりと笑顔を向けた。
「ぼくはうさぎ。きみは?」
「あたしは、姫」
「姫?」
思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。こんな山奥に「姫」だなんて、へんだ。けれど、彼女の家族は皆、彼女のことを「姫」と呼ぶのだという。なるほどその愛らしさややさしい心は、まさにお姫さまみたい。ぼくはすぐに姫が大好きになり、ぼくらはいっしょに野山を駆け回って遊ぶようになった。
ぼくはこの山のことをずいぶん知っているつもりでいたけれど、姫と見る世界はまるでちがって見えた。いや、姫が世界を変えた。きみはその人柄においても「姫」だと納得させた。
この森の動物たちは、もともと皆仲が悪かった。弱肉強食だもの、仕方ない。
とくにタヌキとぼくは犬猿の仲だった。うさぎやらタヌキやら犬やら猿やらややこしくて、ごめん。ようするに、うさぎのぼくとタヌキは仲が悪くてケンカばっかりだったってこと。
ぼくとタヌキの因縁は深い。かつて、ぼくが三日三晩かけて煮込んでだしをとったスープを、さあようやく今晩はごちそうだという時に、ぼくの留守中にタヌキがこっそり忍び込んで、スープに虫やら枯葉やらへんなものを入れて台なしにしてしまったのだ。タヌキの奴へへへと笑ってあやまりもしない。それであまりに腹が立って仕返しに、タヌキがケガした時に、薬だとうそついてちょっと唐辛子をぬってやったところ、思いのほか痛かったようで、ぎゃああっとタヌキは大暴れするものだから、ぼくもあやまるタイミングを逃してしまって。それきりずっとケンカしてる。
しばを背負ってどちらがはやく山を越えられるか、かちかち山やぼうぼう山を競走したり、湖を木の舟と泥の舟で競走したり。でもタヌキは嘘ばかりつくのでたちが悪い。山では「背中の柴から火が出ているぞぉ」とおどかしたり、湖では「泥の舟がしずむよぅ」と悲鳴をあげて、あわててぼくが引き返している間にひょいとへいきで抜いていったりする。
ほかの動物たちも、ぼくらのケンカを見て見ぬふりばかりで、ぼくはこの森に仲良しなんていなかった。だから、姫と友だちになれて、とってもうれしかったんだ。
姫とぼくは毎日いっしょに遊んだ。竹林をおにごっこして駆けたり、野原を転げまわったり、花畑で冠をつくったりした。
ぼくが姫と遊んでばかりいるのが面白くないのか、タヌキはしょっちゅうぼくらにちょっかいを出してきた。
とくにひどかったのは、あれだ。
ある日、遊ぼうと姫を誘いにいったところ、
「うさぎとはもう遊びたくない」
なんて姫が言う。昨日だっていっしょに仲良く遊んだところなのに。ぼくはとってもかなしくて、
「どうして?」
理由を聞くも、
「うさぎとはしゃべりたくない」
と、姫は答えてくれない。それでもしつこく食い下がると、
「仕方ないから遊んでやる」
と、姫は大きなため息をついてようやく遊んでくれることになった。けれど、姫はぜんぜんいつもみたいに楽しそうな顔をしてくれない。
かけっこしたらぼくの足を引っかけようとするし、かくれんぼでおにになるとふてくされる。花冠をつくろうとしたら、うまくつくれずにかんしゃくを起こす。でもぼくが「調子が悪いなら、今日はもう帰ろうか」と言うと、「いやだ、まだ遊ぶ」とだだをこねる。こんなへんてこな姫は見たことがない。いったいぜんたいどうしちゃったんだろう。
いつもと様子のちがう姫が心配でじーっと見ていると、あれれ? おかしなことに気づいた。姫のおしりからしっぽが生えている。いつもはないのに。なるほど、姫もようやくぼくらみたいにしっぽが生えてきたのかもしれない。それで、歯が生えはじめる時むずがゆいみたいに、姫もおしりがむずがゆくてきげんが悪いのかもしれない。
納得したぼくは、姫の髪にくっついていたイチョウの葉っぱをひょいとさりげなく取ってあげた。けさからずっとついていたのだけれど、ごきげんななめなのでなかなか取ってあげられなかったのだ。すると。
どろん。
葉っぱを取ったとたん、姫の姿はタヌキに変わった。なんと、今日のへんな姫はタヌキが化けていたのだ!
でへへと笑うタヌキをとっちめて、姫の居場所を問いただす。姫は、タヌキにだまされて山奥の物置小屋に閉じ込められていた。まったく何てことをするんだ。こんなひとけのないところに姫をひとりぼっちにして、もしも闇神さまが来たらどうするんだ。
ぼくはタヌキをこんこんと叱りつけた。ひとをだますなんて、しかも、化けてなりすますだなんて、いっとうたちの悪いいたずらだ。姫もそれには同意してくれた。なのに、姫はタヌキをゆるすという。
「さびしかったのでしょう。これからは仲良くいっしょに遊びましょう」
だなんて。本当に姫みたいにおっとりやさしい子なんだから。
ぼくはその時は三日間タヌキとは口をきかなかった。
また、その後もタヌキは同じようないたずらを何度かくり返したけれど、そのたびに姫はやさしくつつみこむようにゆるして、仲間に入れてやった。
それで、いつの間にかタヌキもぼくらの友だちになった。同じように、ほかの森の連中も姫がつないでくれて、僕らは皆仲間になった。
皆でやるおにごっこは、二人きりでやるよりだんぜんおもしろくって、こんなにかわいいのに、やっぱり姫はすごいなあと思ったのだった。
ケンカばかりだった森の動物たちも、姫を囲む時はいつも仲良し。姫が、ぼくらの絆をつないでくれた。いつでもわけへだてなく無邪気に向けてくれる愛で。
だから、ぼくは、ぼくたちは、姫のことが大好きなんだ。
はじめて会った時ほんの小さかった姫は、あっという間にぼくを抜いて大きくなった。
彼女のいる場所はいつだてきらきらと輝いていた。ぼくらは彼女を大切に大切にいつくしんで守った。
なのに。
ある日、突然いなくなってしまった。
待てど暮らせど、毎日遊んだ約束の場所に彼女は姿を現さなかった。
またタヌキが悪さをしたのだろうかと思い、タヌキに問うても知らぬという。ほかの友だちも皆、姫がどこにいるのか知らぬという。
なので、姫の家まで行き、おじいさんおばあさんに聞いてみた。姫はどこにいるのか。
おじいさんもおばあさんも、長いことだまった末に、ようやく一言。
「姫はもう、どこにもいないんじゃよ」
かなしそうな声でぽつりとつぶやいたきり、それ以上教えてくれない。
「こんなふうに探してくれるだけで、姫も喜んでおるじゃろう」
だなんて、とんちんかんなことを言う。ただ、姫がどこにいるのか聞いているだけなんだけど。
その後はおじいさんもおばあさんも「わしらにもわからんのじゃ」ともごもごするばかり。けれど、そのようすから、絶対に何かを知っていて隠しているのだと思う。目に入れても痛くないくらい溺愛していた姫のことを知らないなんてありえない。だけど、どれだけねばってみてももうそれ以上は何も教えてくれそうにない。じっとしていると焚き染めた線香のにおいに息がつまりそうなので、ぼくはおじいさんおばあさんの家をあとにした。
おとなは何か知っている。そう直感したぼくは、森のおとなたちに聞いて回ることにした。きっと姫の行方を知っている動物がいるはずだ。
ぼくは森を駆け、野原を駆け、山を駆けた。出くわした動物に、かたっぱしから姫のことを聞いた。
けれど誰も姫の行方を知らない。皆いちように首を横にふるばかりで、言葉をにごす。ようやく答えてくれても、その内容ははっきりしない。
たとえば野ねずみの奥さんはこう言った。
「姫はね、遠い遠い町へ引っ越したのよ。誰も知る人のない場所よ」
たとえばりすのおばさんはこう言った。
「姫はねえ、そうねえ、遠い国の王子さまと結婚したのよ。だからもうわたしたちは会えないのだわ」
けれど、それがどこの国なのか聞いても、ほおぶくろをふごふごさせて大きな目をきょろきょろさせるばかりで答えてくれない。
たとえばモグラのおとうさんはこう言った。
「あの子はな、地下の世界へ旅に出たのだろうね。だからここからは見えないのだよ」
ならばぼくも彼女を追いかけるから地下の世界への入り口を教えておくれと言うと、モグラは急にいそがしそうにして、何も教えてくれないまま土の中に姿を消してしまった。
たとえばむくどりのおばあさんはこう言った。
「地下の世界? いいえ、いいえ。あたしはこう思うわ。きっと逆。あのお嬢さんはね、ずっと上の方に行ったのだわ。なんでもよその国では天までとどく高い塔を建てているというじゃない。きっとそれを上っているのじゃないかしら。どこにあるのかは知らないけれども」
それを聞いていたかっこうが横からくちばしをはさむ。
「いんや、彼女が行ったのは雲の上の国じゃないかな」
それを聞いていたとんびがくちばしはさむ。
「そんな高くまでどうやって行くんだよ。おれたち翼あるものでもそんな高くまでとどかないさ」
そう言って、鳥たちはぴーちくぱーちくおしゃべりをはじめてしまったけれど、ようするに誰も本当のところは知らないようだ。
たとえばいたちのおじさんはこう言った。
「そうかい、皆、ぼうずにはっきりしたことは何も教えてくれなかったかい。こりゃあむずかしい問題だからね。うん」
なんだかくわしく知っていそうだ。ぼくはおじさんのことばに耳をかたむけた。
「そうさな、皆の答えはある意味で正しくて、ある意味で間違っている、ともいえる」
おじさんの話は長くなりそうだ。ぼくは少しそわそわする。ほんとうは、いたちは少し苦手なんだ。昔一度、食べられそうになったから。けれど、姫がこの森に来てからは、おじさんも森の仲間を食べることはよしたので、今ではもう安心なんだけれども。
「姫の居場所はな、おとなたちでもよくわからんのだよ」
おじさんは今までの誰よりもはっきりとそう言った。
「姫はずっと遠くへ行ってしまった。もう会えない、行けっこないくらい遠いところさ。けれど、そこがどこなのかは誰も知らない。おれたちはまだ誰もそこへ行ったことがないから。誰も行こうとしたこともない」
そう言って、おじさんはとてもやさしい目をした。姫に会う前には見たことないようなやさしい顔。
けれどぼくは絶望した。おとなが誰も知らないのなら、子どものぼくらが知りっこない。そんな場所へ姫がたったひとりで行ったのだと思うと、ぼくはかなしくなった。どうしても彼女に会って、抱きしめてあげたいと思った。誰も知らないならば、ぼくが調べる。そう決意した。
そんなぼくの決意を読みとったおじさんは、最後にひとつ教えてくれた。
「この森でただひとり、フクロウの長老なら誰よりもくわしいことを知っているだろうさ」
それでぼくはフクロウの長老のところへ行くことにした。
長老のすみかは森のずっと奥深く、ぼくは今まで一度もそこへ行ったことはない。けれど、迷わず進んだ。森は奥へ進むにつれて、どんどん木々がうっそうと生い茂り、太陽の光が地上まで届かず、薄暗くなっていく。これまでは姫といつもいっしょだったから、こんなに暗い道をひとりきりで歩くのはずいぶん心もとなかった。だから、姫のことを思った。姫といっしょだとどんな場所もきらきらと輝いていた。どんな平凡なことでも姫は特別なものにしてしまうから。毎年同じく咲く花なのに、姫は見つけるたびに美しいといって触れ、いつでもはじめてみたいにその香りを愛でた。毎日沈む真っ赤な夕陽にもいちいち感動し、日の出の世界が白く染まる瞬間が大好きだと言った。ぼくらのことも無条件に信頼して、ひとしく笑顔を向けてくれた。ケンカをしていれば必ず止めに入るし、遊びをはじめる時もさよなら言う時も必ず全員がそろうのを待ってくれた。思い出すといっそう姫に会いたくなって苦しくて、さびしさを紛らせるように歌をうたいながら歩いた。姫とよくうたった歌を。何度も何度もくりかえした。
ずいぶん歩いてようやく長老のすみかにたどり着いたころには、すっかり夜もふけていた。
長老はまるでぼくが来ることをあらかじめ知っていたかのように、大きな枝の上にどっしり座ってぼくを出迎えてくれた。
ぼくが姫の居場所をたずねると、長老はまるでベテラン芸人のように十分長い間を空けてから、ゆっくりしゃべりはじめた。長老の声は小さくて、ぼくは一言も聞きもらすまいとじっと耳をかたむけた。
「ほうほう、そうじゃな……、いたちの言っていたことがすべてじゃよ……けれど、お前さんに何か教えてやるとしたら、……ごらん」
長老は顔を上げた。
長老の目玉のようにまん丸いものがぽっかり夜空に浮かぶ。
「姫は、あそこにおるんじゃわいな」
「月?」
「ほう、そうじゃ」
大きな満月を見上げる。満月は真っ暗な夜のなか美しく光っている。皆をやさしく照らす。それはまさに姫のように。
ぼくは姫が月にいるということに納得した。それで長老に聞く。
「じゃあ、どうすれば月にいる姫に会いに行けるの? ここから月はずいぶん遠いようだけれど」
長老はぐるりと首を回し、ゆっくり答えた。
「ほうほう、そりゃあわしも知らん……。会いに行きたいのなら、お前さんが自分で考えてみるのじゃな……」
長老はそう言うとゆっくり目を閉じて、木かげの闇にとけこんですーっと姿を消した。あとには美しい満月とぼくだけが残された。
早朝に家に帰りついて一日どろのように眠ったぼくは、次の日から、月へ行く作戦にとりかかった。
ぼくはジャンプ力を上げるために、一日じゅうとびつづけた。
ぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょん……。
夜、月が昇るとさらに集中力をましてとんだ。
ぴょーんぴょーんぴょーんぴょーんぴょーんぴょーんぴょーんぴょーん……。
ぜんぜん月にとどかない。
けれど、ぼくは信じている。きっと月にとどくって。幼い頃におばあちゃんに聞いたから。ご先祖さまは月へ行ったのだと。月をよく見ればそれがわかるのだと。ぼくは目をこらして月を見る。たしかに、月にはうさぎのかげが見える。
うんとしゃがんでから、ぴょん!
助走をつけて、ぴょおん!
トランポリンを利用して、ぼよ~ん!
どうしても高さが足りない。
そうだ。もっと高いところからとべばいいんだ。
よじよじと、ぼくは森の中で一番高い木にのぼる。なんとかてっぺんにたどりつく。ここから眺めると、少し月が近くなったような気がする。ここからならば。ふと下を見ると、地面がずいぶん遠くておなかがきゅうっとなる。こわい。けど、そのぶん月が近いんだ。だからきっと。下はもう見ない、顔を上げて月だけを見つめる。きっと、届く。
えい、やあっ!
ぴょ~~~ん。枝をけって、宙に飛び出した。さらに月に近づいた。……一瞬だけ。すぐに体はひっくり返りぐんぐんと落ちていくまっさかさまに地面に近づく、やばい、激突する!
どうしよう?! こわい!
ぎゅっと目をつぶった拍子にふわりと体が宙に浮いた。
そっと地面に下ろされた感じがして目をあける。ぼくはモモンガの背中の上にのっかっていた。
「おい、ちびうさぎ! なにしてんだよう! 危ないじゃないかよ! おいらが助けなきゃ、大ケガじゃすまなかったぞ」
モモンガはぷりぷり怒っている。ぼくは事情を説明した。すると、モモンガは大きなため息をはいた。
「ばかやろ。こんなやり方で姫のところへ行こうってのかよ、ばかやろだ。うさぎが空とべるわけないだろ」
しょんぼりしていると、モモンガが小さなてのひらでペチペチと背中をたたく。
「落ち着けよ、ちびうさぎ。おまいは今、冷静さを欠いている。こんな方法で姫のところへ行ったって、姫はよろこばないさ。大ケガじゃすまないんだから」
ペチペチしていた小さな手は、いつの間にかやさしく背中をさすってくれている。少し落ち着いてきた。落ち着くとぽろぽろ涙があふれてきた。本当は気づいてた。どれだけジャンプしたって、ぜんぜん月にはとどかない。でも、だったらどうすればいいんだよ。ひっく、ひっく。めそめそしていると、モモンガが言った。
「ひとりでどうにもできないなら、皆に相談してみな。仲間の知恵を、力を、勇気を借りるんだ。おとなはそうするよ」
まあ、あいにくおいらは月へ行く方法は知らないんだけれども。そう言って、へへへと笑った。けれど、たしかにモモンガは助けてくれた。危ないところを救ってくれた、先に進むヒントをくれた。
「ありがとう!」
大きな声でお礼を言って、ぼくは立ち上がった。
「おう、がんばれよ、ちびうさぎ!」
モモンガに見送られて、歩きはじめた。夜は明けて、森のはしから太陽の白い光がさしはじめていた。
ぼくは森の仲間たちにかたっぱしから、月へ行く方法を聞いて回った。
無理に違いない、無駄なことだと、聞く耳もたない奴らもいたけれど、多くの仲間は親身に相談にのってくれた。答えを知るものはだれもいなかったけれど、皆いっしょに頭をひねってくれた。
「例の、世界一高い塔にのぼってみればどうかしら。天までとどくというわ」
むくどりのおばあさんが言う。なるほど、けれどその塔はいったいどこにあるのだろう。わからないけれど、とにかく塔を探す旅に出てみよう。としたところ、渡り鳥の兄さんに頭をごつんされた。渡り鳥は旅人だ。世界中あちこち旅をしている。
「目的地がはっきりしないのに旅に出るなんて、大馬鹿者だ。旅の心得もないのに。命を無駄にするようなものだ。危なっかしいったらない」
ぼくがフライングして飛び出してしまわないように、大きな翼でがっちり肩を押さえつけられる。
「大体ね、オレは世界中を旅したけれど、そんな塔なんてのは見たことがない。いわゆる伝説、ってたぐいのもんだよ」
渡り鳥が言う。大きな翼の下で、ぼくはまだもぞもぞしている。それでもじっとしてなんていられない。仕方ないなあと、渡り鳥は大きな翼でぐりぐりと頭を撫でて言った。
「どうしても行くというなら、オレがいっしょに行ってやろう。旅の危険は半分さ。けれど、何年もかかる旅になるだろう。そのうえ、必ず見つけられるともかぎらない」
渡り鳥は真面目な顔で、うさぎをじっと見つめた。それでも行く、と答えたかったのに声がのどに引っかかって返事ができない。渡り鳥はほほえむ。
「それでいい。慎重なのは悪いことじゃあない。旅にはいつでも連れて行ってやるさ。けど、それよりも先にもっとできることがあるんじゃないかな。よおく考えてごらん」
うんうん頭をひねって考える。それで、かっこうととんびを呼んできた。空のことなら鳥たちの方がくわしいと思ったから。けれど、皆もうーんと頭を抱えてしまった。
「こないだも話したけどさ、いくら鳥でも雲より高く飛ぶのはむずかしいんだ」
かっこうが申し訳なさそうに言う。
「飛行機ってやつなら鳥より高くまで飛べるそうだけども」
地面からモグラが顔を出す。誰よりも空にあこがれているのだ。
「あ」
ふいにとんびが声を上げた。皆がとんびの方を向く。
「そうだ、思い出した。あいつだよ、あいつ!」
にわかに興奮したようすでとんびがくちばしを開く。
「あいつ?」
「ああ。マダラハゲワシさ。変わり者でね。翼あるものが飛行機なんかに負けてられないって、ぼろぼろになりながら何度も無謀な挑戦を続けてな。先だってついに、上空一一三〇〇Mに到達したんだと。――やつなら飛行機と同じ高さまで飛べる」
とんびがにやりと笑う。マブダチだから紹介してやろう、と。
そして数日後。ぼくはマダラハゲワシの背中に乗って、上空へ飛び立った。
「しっかりしがみついて、離すんじゃねえぞ!」
彼の声はキーンと耳をさす空気に掻き消される。それでもぼくは必死にマダラハゲワシにしがみついた。
ほとんど垂直にちかい角度で、ぐんぐん高く上がっていく。いっしゅんでもゆだんしたら空気抵抗でひきはがされてしまいそうだ。
ぼすん。
雲の中に突入する。下から見ていると綿あめみたいに白くふわふわしているのに、雲の中は薄暗く、あちこちでバチバチと生まれたての雷が閃光をはなつ。バリバリと体中に氷の粒があたる。ぼくはぎゅっと頭を下げて目をつむり、マダラハゲワシの体にしがみつく。さむい。指先がびりびりとしびれる。
ぼすん。
「抜けたぞ、ぼうず。雲の上だ」
その声に顔を上げる。雲の中の嵐が嘘のように、そこから上は雲ひとつない青空が広がる。見上げると、もう少しで宇宙まで手がとどきそうな気がする。
苦しい!
すぐに息苦しさに気づく。上空では空気が薄いのだと彼は言った。頭がぐらぐらする。目がちかちかする。しがみついた手から力が抜けそうになる。
「すまんな、ぼうず。ここまでだ」
安全に地上に戻るにはもう引き返さねばならないのだと。
「しっかりこの景色を見ておきな」
彼の声に歯を食いしばって顔を上げる。
月はまだ遠かった。
地上に戻ったあと、ぼくは熱を出して丸二日間眠りつづけた。マダラハゲワシは一週間も寝込んだ。お見舞いにいくと、彼は言った。
「だれかの役に立てたんだから、むしろ心は元気になったさ」
げほげほとせきをしながら大笑いした。
けれども、誰よりも高く飛べる鳥でも月にはとどかなかったのだ。どうすればいいのか。肩を落とすと、マダラハゲワシが言った。
「アライグマのところへ行ってみな」
「え? でもアライグマは空を飛べないよ」
とまどうぼくに彼は教えてくれた。
「飛行機っつうのができて、おれはそいつより高く飛んでやろうと挑戦した。いっぽう、またべつの挑戦をしてるのがアライグマだ。あいつは飛行機よりも高く飛ぶ機械を発明しようとしているらしい。アライグマは手先が器用だからな」
それを聞いて、ぼくはアライグマのもとへ急いだ。
アライグマは大きな木をすみかにしていて、その木のうろから内部に入ると、そこはまるで研究所のようになっていた。
月まで行きたいのだとうったえると、アライグマは目をきらきら輝かせた。
「いいわね、いいわね。ちょーどいいわね。アタシいま、そういうの作ろうと思ってんのよ。宇宙まで飛ぶのりもの。――ロケットを作ろうと思ってんの」
そう言って設計図を広げてくれたけれど、ぼくにはちんぷんかんぷんだった。
「あの、そのロケットが完成したら、ぼくは月まで行けますか?」
たずねると、アライグマは首を曲げた。
「ロケットは月まで行ける。けど、アンタは行けない」
そうはっきりと答えた。今のアタシの技術ではねー、とつけたして。
聞けば、アライグマが設計したロケットはごく小さなもので、動物をのせて宇宙まで到達する推力はないという。また、宇宙空間には空気がなくて息ができないから、そもそも動物を乗せるわけにはいかないのだと。
がっかりしながらもぼくは納得した。マダラハゲワシに雲の上まで連れていってもらって、そのことはぼく自身がいたいほどよくわかっていた。空は危険も多い、とっても息が苦しかった、マダラハゲワシはあんなにも傷だらけになってしまった。正直、もう一度あの高さ、あれ以上の高さまで飛ぶことが、こわかった。思い出すだけで体がふるえた。
「ねえ」
うつむくぼくの顔をアライグマがのぞきこむ。
「ロケットに動物をのせることはできないけれど、手紙なんかをのせるくらいならできるわよ」
そう言って彼女はウインクした。
「ただねえ、設計図はもーカンペキなんだけど、アタシひとりじゃ材料がそろえらんないのよ。アンタ、手伝ってくれる?」
そう言われて、ぼくはこくこくと首をたてにふった。
アライグマが集めてくるように指示した材料はとんでもなくたくさんあった。とてもぼくひとりでは集められない。きっと何年かかってもむりだ。
だから、森の仲間にきょうりょくしてもらった。
すると、鉱物やら鉄板やらあっという間に材料はそろった。
「あとは任せてちょーだい」
そう言って、アライグマはトントンカンカンロケットを組み立てていく。じっとしていられず、ぼくもそれを手伝った。
数週間後の満月の夜、ようやくロケットは完成した。
広い原っぱの真ん中にロケットの発射準備をする。
ぼくがロケットに手紙をのせようとしたところ、タヌキが自分にもメッセージを書かせてくれと言うので、まだ余白のあった手紙をわたした。タヌキはじっと便箋に向きあったあと、ゆっくりと丁寧な字で何か書いていた。書き終えた手紙をタヌキから受けとり、ロケットにのせた。
「みんな、はなれてちょーだい」
アライグマの指示で、森の仲間たちは遠巻きにロケットをとり囲む。その中には、姫のおじいさんとおばあさんの姿もあった。
「いくわよ! さーん!」
皆が離れたのを確認して、最終チェックをおえたアライグマが声を上げる。
「にー!」
「いち!」
ロケットに点火する。
どんっ!
大きな炎と煙を上げて、ロケットが発射する。夜空にまばゆいほどの閃光を放って。月へ向かって真っ直ぐに飛んでいく。
皆いちようにロケットの行く先を見上げる。美しく輝く黄金の月を。
見つめるうちに、ロケットはどんどん高度をまし、その姿を小さくして、しまいには点のようになり、肉眼では姿を追いかけられなくなった。
きっとロケットは月に到着する。ぼくは信じている。そして、手紙が姫にとどくことを。
――姫、お元気ですか? もしもこの手紙がとどいたならば、もう一度だけでいい、きみにまた会いたい。ぼくら皆、きみのことが大好きだから。――
ぼくは、ぼくらは、いつまでもいつまでももう見えなくなったロケットを見つめていた。
次の朝、森はずいぶん静かだった。昨夜は皆おそくまで起きていたから。
ぼくはあまり眠れなくって、ぼおっとした頭のままうすもやのかかった山の中を散歩する。さらさらと竹林がきよらな音を立てる。
ふと気配がして顔を上げる。
遠く、竹のかげに人影がある。
目を凝らす。
姫だ。
ぼくはその場に立ち止まってじっと見つめる。
姫はにっこりほほえむと、そのまま身をひるがえし、竹やぶの奥深くに駆けていった。ぼくは、追いかけなかった。ただその姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。
お昼をすぎてから、タヌキの家をたずねた。
タヌキは眠そうな目をして、大きな腹をぼりぼりとかきながら出てきた。今日はもうかけっこなんかもできそうにないな。
「ロケット、すごかったなあ~」
のんきな声で言う。
「そうだね……」
何を話そうかずいぶん迷って、結局ぼくはこう言った。
「ロケットはどうやらちゃんと月に届いたみたいだよ」
「そっか、そっかぁ~」
タヌキはうれしそうにくしゃりと笑った。
ぼくは、今朝の竹林でのできごとをタヌキに言うのはよした。大きなしっぽを生やした姫に会ったということを。そのやさしさがうれしいのだと、言わない方がつたわると思ったから。
「おまえ、これからどうすんの?」
タヌキが聞く。
「そりゃあ……、かけっこして、おにごっこして、かくれんぼして、たんけんして、秘密基地つくって」
「そうじゃなくて」
タヌキは気づかわしげな目を向ける。ずっと月へ行くことだけを目指してがんばってきたぼくの、目標がなくなってしまったことを心配しているのだろう。
ぼくはにかっと笑って宣言する。
「ぼくは、月へ行く」
「は?」
タヌキがあんぐり口を開ける。ふふと笑ってぼくは続ける。
「アライグマのロケット開発を手伝うんだ。アライグマが言うにはね、もっと大きなロケットを作って、宇宙空間でも呼吸ができる装置を発明すれば、いつか動物をのせて月へ行くこともできるっていうんだ」
「へぇ~、本当に?」
「うん。理論的な研究はずいぶん進んでいるらしいよ」
「すごいな。おれも手伝いたいな」
「ならいっしょに手伝おうよ。理論は進んだけれど、実際にロケットをつくるための人手が足りないって言っていたから」
今度は、自分自身のために月を目指す。
いっしょうけんめいきみを探すうちに、なんとなくわかってしまったから。もうきみにふれることはできない、その声を聞き、そのあたたかさを感じることは、もうできない。けれど、ぼくらは皆、これから月を見るたびに姫のことを思い出すよ。姫が残してくれた大切なこともきっと忘れない。
「ロケット完成したら、おれがいちばんに月へ行こうっと」
「だめだめ。月にはうさぎって、伝説で決まってんだから。ぼくがいちばんだよ」
それじゃあ、アライグマの研究所までかけっこだ。
ぼくとタヌキは駆け出した。ふたりとも寝不足だから、ろくに足も回らない。げらげらと笑いながら全力疾走する。
この声も、きみに届いているだろうか。いつかきみに直接手紙を届けに行くよ。
今夜も月には手紙をしたためるうさぎの姿が浮かぶ。
うさぎロケット 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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