第14話 薄幸令嬢、魔法使いの後添えとなる(後)
「お姉さま、ご機嫌麗しゅう。お久しぶりね。ご成婚ならびに聖女さまのご認定、寿ぎ申し上げますわ」
「――ありがとう。あなたもご婚約おめで」
「いいご身分ですわよねえ! 落ちぶれた実家を見捨てて大公夫人ですって? 若い頃から貴人相手にせっせと股を開いてきた甲斐がございましたわね、お姉さま。そんなうす汚れたお身体で聖女ですって? 図々しいにもほどがあるんじゃございませんこと?」
にわかに会場がざわつき始める。
これはただ事ではないと――居合わせた王侯貴族たちが固唾を呑んだ。
彼らは皆、この娘の発言に心当たりがある者たちばかりだ。
夫人同伴の宮中晩餐会で、いつ騒ぎが自分に飛び火してくるか分からない。誰もが戦々恐々としている。
しかしユーリは、ひととして矮小になり果てた義妹に対して蔑むでもなく、ただただ憐憫の眼差しを向けた。もうこの子は救えないと、ここに至ってようやく諦めたのである。
「そのすました態度が気に入らないのよ! なにさ、いつも自分だけ高みにいるみたいな顔しやがって! どんだけ汚しても貶めても平気なツラしやがってよおお!」
「こ、これ、もうやめなさいっ。ユーリ、あなたからも何か言っておあげっ」
「どうしてよお母さま、あなたが言ったんじゃない。この女に価値なんかないって。貴族の性奴隷にして一生飼い殺しにしてやるって。カナデインはすべて私たちのものだって!」
「そ、そんなこと私は――」
「アンタと私のどこが違うって言うのよ! 父親だって一緒じゃない! そうよ、私の半分はアンタと同じ。だったらアンタのものも半分寄越しなさいよ!」
ユーリは深いため息をついた。
彼女は隣に立つロッシュに「ごめんなさい」と一言謝ると、そっと義妹の頬に触れた。憂いを帯びた儚げな瞳は、怒りに狂う義妹の醜悪な姿を映した。
「ああ、かわいそうな
「な、なんの話よっ」
「カナデイン夫人――」
「ひっ」
「秘密が漏れていないとでも思っていらっしゃって? それとも泥酔したあなたの
「――な、なんですって……」
「ちょっと……なんの話をしているのよ……私を差し置いて……」
継母は義妹の足元にすがりつき、ガタガタと震えている。「やめて……やめて……」とすすり泣きながら必死に赦しを乞うていた。
ユーリはいま、サラザールの時のように感情が無になっている。
「私が『やめて』と言ったとき……あなたはやめてくださいましたか、お継母さま」
慈悲のない言葉の刃に、継母は目をむいた。
かつてのユーリ・カナデインであれば絶対にそんなことは言わなかった。屋敷の支配者である彼女に対して、口答えなどするはずもなかった。
ユーリはもう一度、義妹の頬を今度は両手で挟み込むように優しく包むとついに答える。
おまえの父親は、会計係をしているあの男だと――。
そう。
それを知ってからというもの、ユーリは彼女に対してずっと義理の妹として接してきた。
「な、あ、あの七三分けが父親……なんの冗談よそれ、笑えない……ひっ……ひっ」
衝撃のあまり過呼吸になる義妹。そして精魂尽き果てたのか、わずかな時間で
「聞きなさいお嬢さん。あなたには私の敬愛する父の血は一滴も流れていないの。お気の毒ね。出自はあなたの責任じゃないもの。でもね、いまのあなたの在り様にはあなたに責任がある。どうしてそこまで歪んでしまったのかしら」
「う、うぅうるさいっ。こ、このめ、めすぶたぁ!」
「たしかに私の過去は穢れているし、腐臭の漂うような思い出しかないけれど。それでも父や母のおかげで正気を保つことが出来た。そしてなりより、そのすべてを受け止めてくださる素敵な殿方と出会ったの」
ユーリはロッシュを見つめ、うっとりとした表情を見せる。
彼もまた慈愛に満ちた眼差しで、彼女を見つめ返す。
「あなたにもそんな出会いがあるといいわね。もう二度と顔を合わせることもないけれど、あなた方の幸せを願っているわ。さようなら、カナデイン家の人々――」
「
タイミング良くロッシュが叫ぶと、あちらこちらから守衛が現れた。まずは貴人たちの安全を確保すると、彼らはかつてユーリの家族だった者たちを拘束した。
そこで初めて、義妹は自分の悪手を自覚する。
怯え切った表情で必死にユーリに謝罪した。
「ごめんなさい、お姉さま! もう二度と逆らいませんから、どうかお許しになって!」
一方、継母といえばぐったりとしている。
守衛たちに抱えられ、もはや抵抗する気力もないといった様子だ。
「お待ちください!」
彼女たちが守衛に引きずられて会場をあとにしようとする間際に、凛とした声が会場に鳴り響いた。声の主はユーリの前に跪くと、彼女の手の甲へキスをする。
「あ、あなたさま! は、はやく、早く私と婚約を――」
「婚約は破棄だ。当たり前だろう。きみには騙されたよ。我が敬愛するスカヤ大公殿下と、聖女ユーリさまを侮辱した罪は重い。覚悟しておけ」
連れていけ――激しい口調で守衛に命令したその青年は、再びロッシュたちに対して跪き、最大の敬意を表した。
「公爵家の王子さまでいらっしゃいますね」
「不肖の三男坊にございます。大公殿下と聖女さまに置かれましては、こたび大任へのご就任、誠にめでたく存じます。小生、公爵の名代として、お二方に寿ぎ申し上げます」
「ありがとう。貴殿も随分と大変だったようだな」
すると三男坊は照れ笑いをして、バツの悪そうに首回りを触った。その笑顔はまだまだ少年のあどけなさを残しておりユーリなどは可愛く感じる。
しかしすぐさま貴人の表情を取り戻すと、彼は三度、深々とこうべを垂れた。
「小生このたび公爵より、我が国のさらなる発展と大公領との結びつきを盤石とするため、大公殿下に臣礼を捧げよと申しつかっております。どうかこの若輩めの忠誠をお受け取りください」
すると会場中にザっという、衣擦れの音が響き渡った。
宮中晩餐会に参加したほぼすべての王侯貴族が、ロッシュとユーリに対して臣下の礼を取ったのである。立っているのは大公夫婦と国王、そして国王に近しい身分の王族だけだった。
「ほっほっほ。これは爽快じゃ。みな、
国王の号令により、一斉に立ち上がった。
不穏な空気は一掃され、夜を徹する宴会となる。宮中にはワルツが流れ、ロッシュとユーリは優雅なダンスを披露した。
「カッコ良かったよ、ユーリ」
「ううん。あなたが隣に居てくれたから勇気が出たの」
「愛してる」
「私もです、先生――」
この日の出来事は貴族の間でしばし伝説となった。
カナデイン家の醜聞はあっという間に市井にまで噂が広がり、贈収賄や詐欺の方面から領内に捜査の手が入る。
会計係をしていた男は継母と共謀し、計画的にカナデイン家を簒奪したことを仄めかした。
さらに劇物を使ったルートビヒ・カナデイン殺害の嫌疑も掛けられたが、こちらは証拠不十分で現在も捜査が続けられている。
一方、継母は共犯を否定したあとに黙秘を続けており、領外の刑務所に移送された。
義妹は母方の実家へと引き取られ、毎日泣いて暮らしているらしい。
レオニダスは執念により『アン王女暗殺未遂事件』の犯人を突き止め、これらと和解した。ユーリたっての希望であり、国を割るような禍根を残さないための異例な措置である。
続けて法的にアン王女の身分を回復。
自動的にユーリは、晴れて王家の仲間入りとなる。
その後、満足したかのようにレオニダスは王位を嫡男に譲り、ほどなくして崩御した。とても穏やかな死に顔であったという。享年八十三歳の大往生であった。
そしてユーリたちは――。
「なにを作っているんだい?」
「パンです」
「え? そんなの家庭で作れるの?」
「簡単ですよ、小麦に水とミルクと砂糖と塩とドライイーストを混ぜて捏ねる。そしたら生地が出来ますからしばらく寝かせて――」
「そんな魔法みたいなことを……」
「先生、もしかしてそれ魔法使いの界隈で流行ってます?」
ふたりはけっきょく港町にある屋敷へと戻ってきた。
大公領と言っても元々ロッシュ不在でも運営が可能だったわけだから、今までの体制を維持して欲しいとロッシュが願い出たのだ。
もちろん定期的に現地へと赴き、決済などの政務はこなしている。
またユーリが聖女になったことで、不作続きだったカナデイン領はもちろんのこと、王国全域の農地が活性化を始めた。
当主の居なくなったカナデイン家は一旦ユーリの預かりになっている。現在、新たな領主を着任させるべく王都が適任者を厳選しているが、領民たちはこのまま聖女ユーリのもとでの再興を望んでいるという。
かつて戦争で財をなしたこの国を、今度は農業で豊かにしてゆくために――。
「おかえりなさいませ。先生」
「ただいま、ユーリ」
きっと何年経ってもこのやり取りは新鮮だとユーリは思う。
こうしてふたりは不死鳥草の花が咲き乱れる小さな庭で、末永く幸せに暮らしましたとさ。
(おしまい)
ご愛読ありがとうございました。
レビュー、コメントなどの応援お待ちしております。作者が喜びます。
薄幸令嬢、魔法使いの後添えとなる 真野てん @heberex
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