第13話 薄幸令嬢、魔法使いの後添えとなる(前)

 国王からの手紙を受け取ってからというもの、ユーリの生活は慌ただしくなった。

 ロッシュ曰く「嘆願書」として彼女に伝えられた内容は、この国の聖女になって欲しいというレオニダスからの要請だった。


 無論、私的なお願いというていを取っているので断ることは可能だ。

 しかしこの国の正式な聖女になれば、カナデインはおろか国土全域を豊穣の女神の庇護下に置くことが可能になる。

 ユーリには断るという選択肢はなかった。

 当然、ロッシュは「嘆願書」の中身を知っている。妻たる者、一存では決められない。


「でも、先生はよろしいのですか?」


「国家存亡の危機とあらば致し方ないが、本音を言えば、いますぐきみを連れて世界の果てまで逃げたい気分だ。そこできみとふたりだけで暮らすことになんら躊躇ためらいはない」


「あはは。いいですね、それ。じゃあ聖女を引退したらお願いします」


「では」


「はい。この話、お受けしようと思います」


 それからふたりは王都へと向かった。善は急げということで、ロッシュにしてみればとんぼ返りである。

 三日掛けた汽車の旅は、そのまま彼らの新婚旅行ということになる。

 何度か途中下車をして観光もしっかり楽しんだ。


 王都へ到着すると、その足で王宮へと舞い戻る。

 ロッシュの特権を行使して、待ち時間なしの国王との目通りとなった。


「おお……そなたがアンの娘か……そうじゃその髪じゃ……目元もよう似ておる……」


「陛下も生前の母にお鼻がそっくりです。やっぱり兄妹なんですね」


「おお、そうか。そっくりか……うぅ……よう来てくれたなぁユーリ……ありがとう……ありがとうなぁ……」


「陛下、これを……」


 そう言ってユーリが手渡したのは、古びた一着の産着だった。

 襟元には拙い運針で『アン』と刺繍されている。


「おおお……これじゃぁ……間違いない……ワシがあの子に縫ってあげたものじゃあ……」


「ここへ来る途中に、母の育った孤児院へ寄ってきました。あまり期待はしてなかったのですが奇跡的に保管してくださっていて……これも女神の加護の賜物でしょう」


 産着を抱いて泣き崩れる老人の背中をさすりながら、ユーリは慈愛を込めた瞳で彼を見つめる。そこに居たのは国家最高の権力者でも、威厳のある王でもない。

 生き別れたままに亡くなった、哀れな妹を想うひとりの兄の姿であった。


 この後、国王自らアン王女の王室での地位を回復させ、自動的にユーリも王族としたが『アン王女暗殺未遂事件』の実行犯、もしくはその黒幕が依然として判明していない以上、公表することは危険と判断した。


 だがこれまでロッシュが頑なに固辞していた爵位と領地を賜ることで、彼女も王族の一員となることが認められる。

 その地位は大公夫人。

 彼女の夫であるロッシュ・スカヤは、この国に領土を持つひとりの『王』になったのだ。


 先の戦争における功績を称え、いずれはそうなる予定だったのだが、レオニダスとの仲がこじれた結果ずっと拝領が先延ばしになっていたのである。


 新聞に掲載されたヴェール姿の彼女は、この世にたったひとりしかいない法王を招いての聖女認定の儀式を執り行った際に撮られたものである。

 場所は王都にある大聖堂。

 法王は茶目っ気のあるひとで、ふたりがまだ結婚式もしていないと聞くや、急遽、結婚指輪を用意させ自らが司式者を務めて彼らに誓いの言葉を交わさせた。


「いやー司祭時代ぶりだわー」


「なんでお前みたいなのが法王になれんだよ。世の中、間違ってないか」


「汝、口を慎みたまえ。主はいつも見ておられるぞ――ってな」


 ご多分に漏れず、彼もロッシュの知り合いである。

 若々しく見えるがイブキやターナーと同世代だ。そしてロッシュと前妻の結婚式を執り行ったのも彼であった。


「ロッシュ・スカヤ。あなたはユーリ・カナデインを妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、死がふたりを分かつまで、彼女を愛し、敬い、貞節を守るとここに誓いますか?」


「はい」


「ユーリ・カナデイン。あなたはロッシュ・スカヤを夫とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、死がふたりを分かつまで、彼を愛し、敬い、貞節を守るとここに誓いますか?」


「はい」


「それでは指輪の交換と誓いのキスを。列席の皆さまは彼らに祝福を。もしこの婚姻に意義のあるものは口を閉ざせ。主は汝らのことを常に見ておられる」


 万来の拍手の中、ふたりは誓いのキスをした。

 まさか自分が真っ白なウェディングドレスを着て、大聖堂で結婚式を行えるとは。泣いていいものやら、笑っていいものやら。突然すぎて感情が混雑している。

 ロッシュの柔らかい唇に触れ、亡き母に祈った。


 私、幸せだよ、お母さん――。


「ではここに法王の名のもと、ふたりを夫婦とする!」


 法王による結婚宣言など前代未聞である。

 聖女認定式と聞いて集まったマスコミたちも、これには目を丸くした。国王は国王で、今日を国民の祝日とすると大はしゃぎである。





 それからさらに一週間後。

 宮中晩餐会が催され、国内の王侯貴族が一堂に会した。当然その中には、カナデイン夫人ことユーリの継母と義妹も参列している。


 今日の主賓はもちろんロッシュ・スカヤ大公夫妻である。

 彼の領主就任とユーリの聖女認定を祝う場であり、また新婚夫婦のお披露目という意味合いも多分にあった。


 一方、面白くないのは、てっきり自分の婚約発表会だと思っていた義妹である。

 彼女にしてみれば、生まれた時から見下していた愚鈍な姉に、人生最大の晴れ舞台での主役の座を奪われた格好だ。

 最愛の公爵家三男坊を前にしても本性を隠せないほどに怒り心頭である。

 むしろ自分たちの婚約発表をないがしろにされたのに、どうして抗議のひとつもしないのだろうと憤りを感じているくらいだった。


「救国の英雄もついに大公か。挨拶に行ってもいいかな。むかしから憧れてたんだよね」


「え? なに?」


「や、だから、スカヤ大公殿下と夫人に挨拶を……ていうかきみのお姉さんだよね?」


 婚約者の言葉を切っ掛けに、義妹はとうとう我慢が出来なくなる。

 取り繕った笑顔が剥がれ、醜悪な小鬼の表情へと変貌した――。


 自分たちがやっとの思いで掴み取った貴族階級への切符を嘲笑うかのように、潮風くさいド田舎に捨てられた淫売が大公夫人で聖女だぁ?

 許せない。許せるわけがない。

 あいつは私よりも格下だ。雑巾のしぼり汁を啜って生きてきたような女が、どうして王族と一緒に笑っている。


「きみ大丈夫かい? 今日はちょっとおかしいよ。外の空気でも吸いに行こうか?」


 おかしい?

 おかしい、おかしい、おかしい。

 おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい――。


「おまえは淫売だ……おまえはメス豚だ……クソみたいなオヤジに抱かれて、腐った精液をぶちまけられた汚れた女だ……」


「や、やめなさい、こんな時にっ」


 継母がいくらたしなめようと、婚約者がいくら機嫌を取ろうと知ったことではない。

 彼女の苛立ちはますますひどくなる。


「あっ、や、やめさないっ。お願い、誰かその子を止めてっ」


 継母が掴もうとした彼女の手はスルリと抜けて、つかつかとヒールの音を床に打ち鳴らし自らの姉の前へと立つ。

 血走った眼は完全にすわっている。

 とても挨拶という雰囲気ではないのは、その場に居たすべての人間に伝わった。



(つづく/次回、最終話)

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