第12話 薄幸令嬢、聖女になる

 カナデイン地方。

 かつては荒涼とした不毛の大地が広がる見放された場所だったが、一組の夫婦がこの地に移り住んでからというもの運命が変わった。

 ふたりの名はルートビヒとアン。のちのユーリ・カナデインの両親だ。


 およそ三十年前、わずか銀貨十枚で買った痩せた土地に麦が実る。

 これがすべての始まりだった。


 あれから時が経ち、いまでは王国を支える大穀倉地帯となるまでに至った――。

 のだが。


「コントラトンのバカ息子もやはりあてになりませんね。あの淫売ときたら、どこまで私をイラつかせれば気が済むのかしら」


もぞんがいしたたかですわ。豚とメス豚。お似合いでしたのに」


「まあいいわ。コントラトンとの商談はまた別の手を考えましょう。それよりもあなた、婚約が控えているのですから、もっと自分磨きに専念なさい」


「大丈夫よ、お母さま。彼ったらもう私に夢中なんだから」


 おほほほほほほ――。

 夏の盛りに頭をやられたような会話をしているのは、ユーリの継母と義妹である。彼女らは近々王都で開かれる宮中晩餐会にて、公爵家三男坊との正式な婚約発表がなされると聞いてから毎日浮かれていた。


 それとは対照的に神経をすり減らしたような顔をしているのは、かつてルートビヒ・カナデインの会計係をしていた男である。

 彼はふたりの、あまりにも能天気な振る舞いに正直ついていけなかった。


「おふたりとも少しは自重してください。サラザール・コントラトンをこちらに引き込む計画が失敗した以上、もう我々には打つ手がないのですよ!」


「おだまりなさい。会計係風情が生意気に。だからこそ公爵家との縁談はつつがなく執り行わねばならないのではありませんか」


「そうよ、この七三分け。おだまんなさい」


「ぐ……」


 男は机の下で拳を握り締める。

 じつはカナデイン領はいまピンチの真っ只中にあった。ユーリを屋敷から追い出してからというもの、領内の作物の育ちが良くないのだ。

 とくに小麦などの主要な農産物は、ユーリが持っていた『豊穣の加護』のおかげで年間を通していつでも膨大な量を収穫出来ていたのだが、それが一気に平凡並となる。

 それはもうカナデイン領の農地にとっては不作と同義語だった。


 領民たちも常態化していたこの奇跡のような現象をあてにしてたので、ろくすっぽ備蓄もしておらず突然出荷が滞りがちになった。


 取引をしていた各領地はこぞってカナデインから手を引き始める。

 優先して在庫を回していたコントラトン伯爵地への出荷分もいよいよ限界に達しようとしていた時、継母たちはかねてよりユーリにぞっこんだったサラザールをけしかけて、あわよくば婚姻関係を結び、窮地をうやむやにしようと企んだのであった。


 土台無理な話であった。

 男は眼鏡を外してコリ固まった眉間をもみほぐす。


「お、奥さま大変です!」


 そんな時、ひとりのメイドが慌てた様子でドアを開けた。

 ノックもせず無作法に部屋へと乗り込んできたため、継母は手にしていた扇で彼女の頬をぴしゃりと張った。


「なんですか、はしたない! どこぞの淫売ユーリでもまだ行儀がよろしくてよ」


「そ、そのユーリお嬢さまのことなんです……」


 完全に怯え切った様子のメイドは、震える手で継母に新聞を差し出した。

 なによこれ――と、メイドよりもよっぽど態度の悪い義妹が、彼女の手から新聞を奪うようにして乱暴に掴み取る。


「な……お、お母さま、これ……」


「なんです、あなたまで――かっ」


 新聞の一面をデカデカと飾る『聖女誕生』の文字。

 そしてヴェールをかぶった美しい女性の横顔の写真と、ユーリ・カナデイン=スカヤの名前が掲載されている。


「あの淫売が……聖女ですって……」


「ど、どういうことなの、お母さまっ。お姉さまが聖女っ? なんであの年増が?」


 困惑するふたりを差し置いて、立ち上がってしまったのは会計係の男だ。すべてを理解した彼は「そうだったのか……」と口にすると泡を吹いて倒れてしまう。

 これまでさんざん冷遇してきたユーリからの報復を恐れ、精神が耐えられなかったのだ。





 サラザール・コントラトンの求婚騒動があったその晩。

 ユーリとロッシュは一週間ぶりのディナーを仲睦まじく楽しんだ。彼女は食事中にも、指に輝くリングを何度も見つめてはうっとりとしている。

 ピンクゴールドの色合いがほどよく肌になじんでいた。


「遅れて済まなかったね。この婚姻が決まった時点で用意はしていたんだが……渡すのはきみの人となりを知ってからと思っていたんだ……」


 王国で随一と呼ばれる職人に作らせたものの、工房に預けたままになっていた。

 今回、急遽王都に戻るということで先触れを出し、職人に仕上げるようにと頼んでおいたのである。もともとロッシュは王都の出身なので、その辺のフットワークは軽い。


「気に入ってくれたなら……うれしい」


「とっても!」


 実母の持っていた宝飾品の類は、すべて継母が売ってしまった。

 そもそもあまり贅沢をするひとではなかったが、形見のひとつも残らなかったのは残念で仕方がなかった。

 だが彼女はユーリにもっと素晴らしいものを残していたのだ。

 それが『豊穣の女神の加護』である。


「きみに伝えたいことがふたつある」


 ロッシュは、先ほどまでのユーリの善き夫から国家魔術師の顔つきになる。

 彼は王都より複数の情報を持ち帰っていた。


「まずはひとつ。きみの母君のことだ。やはり彼女は、アン王女そのひとである可能性が高い。捨てられた時に着ていた産着だが『アン』という刺繍は国王本人が縫ったと確認できた」


「え……ということは……」


「そうだ。きみは現国王レオニダスの姪ということになる」


 驚きのあまり声も出ないユーリに対して「無理もない」とロッシュは彼女の手を握った。


「簡単には受け入れられないとは思うがすべて事実だ。なにより豊穣の加護がそれを証明している。たしかに『神の加護』というものは本来一代限りのものだが、子に引き継がれた例がないわけじゃない。かつてヘンリエッタ王女は、自分の戦乙女が子に引き継がれ戦乱の世が続かぬようにと生涯独身を貫かれたほどだ」


「そんなことが……イブキさんに聞いたお話とはまるで印象が……」


「世間に広まっている彼女のイメージとその実像は逆さ。とても聡明な心の清い方だった。年の離れた妹御であらせられるアン王女のことは誰よりも愛されていたよ」


「それにしても……実母ははが王家のお姫さまだったなんて……」


「はっはっは。きみの父君も晩年は上流階級への人脈作りにご苦労されたようだが、ご自分が国王の義弟だと知ったらどんな顔をされるかな」


 ユーリは台所に飾ってある、ワインボトルを見てやっと頬を緩めた。

 結婚初日にロッシュと開けた父の秘蔵の一本である。


「それからふたつめの知らせというのが、きみのご実家であるカナデイン領のことなんだが」


「カナデインの……ですか」


 正直なところもう実家とも思っておらず、出来れば関わりたくないのだが――。

 そんな気持ちが表情に出てしまっていたのか、彼女の夫は「里帰りしろなんて言わないから」と言って笑ってくれた。


「というか、すでにカナデイン領内で済む話じゃない。国家の存亡が掛かっているんだ」


「え? 国家の存亡?」


「結論から言うと、きみが居なくなったカナデインは農作物の供給不足に陥っている」


「供給不足って……不作ってことですか。まだ屋敷を出て一ヶ月も経ってないんですよ?」


「カナデインの場合『豊穣の加護』のおかげで一年中収穫可能な作物が多かった。小麦がまさにそうだ。王国もその莫大な供給量をあてにしていたので、現在、国土全域で食糧難が発生している。また不作を理由にカナデイン夫人が小麦の値段を吊り上げたせいで、穀物相場も荒れに荒れているらしい」


「まったくあの継母ひとは……」


「結果、コントラトン領以外の贔屓ひいき客が離れたという話だ」


「まさかその最後の契約先を引き留めるために……」


「ふふ、つながってきただろう?」


「一体なんてことを……そうだ、領民は? 領民たちはどうしているのですか?」


 自分の身に起きた面倒事よりもまず領民の境遇に考えが及ぶ。ユーリが居なくなって起きた災難であれば、なおさらである。

 だからこそ彼女はひとに好かれた。誤った方向に入れ込んでしまったサラザールもまたそんなユーリの人柄に惚れたのだ。

 それを分かっていないのは、あの継母たちだけである。


「いまはまだ破綻するところまではいっていないが時間の問題だろう。そこできみにある人物からの嘆願書を私的に預かっている」


 ロッシュはひとまず床に置いた旅行鞄の中から、一通の手紙を取り出した。

 金のシーリングワックスで封じられた高級紙によるもの。

 それが意味するのは、差出人が国王そのひとであるということだ。



(つづく)

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