第32話 (おまけ)300年後のコクバーノレ。
もう何歳になったのだろう。
男はそう思っていた。
妻パールと結婚をして、病魔が見つかり2年で妻を失った。
妻を助ける方法を求めて、10年もかけて世界中を駆けずり回り、与太話すら信じて魔法を極め、剣技を極め、術に出会った。
通常ならあり得ない時間。10年でやり切るなんて人間業ではない。だが妻の為だからどんな事でもやり遂げられた。
その甲斐あって、術に出会った男はダテトミーにあった妻と構えた家に帰って、肉体生成術で妻の肉体を呼び戻した。
妻を助けたい一心で魔術書を熟読せず、入門部分を才能に依存して読み飛ばしていた男は、魔術書の誤記を見落としていた。反魂術に入夢術と入本術の記述がされていて、反魂術で呼び戻した妻の魂が、身体に戻った瞬間に妻が好きだった本「イリゾニア」の中に入って行った。
魔術書の中にいた魔術の神の残りカスから、魔術の神の見解と妻の助け方を聞きながら、無事にエンディングを迎えて妻を迎えに行こうとしたが、妻はイリゾニアの意思で記憶をなくしてしまったヒロインになっていた。
ヒロインは聖剣の勇者ブルガリと結ばれて、その愛で魔王を倒して世界に平和をもたらす存在だという事を思い出す。
それは妻が勇者と肉体関係になる事で、更に認められないのは妻の愛は男に向けたものしか無かった時、ブルガリと肉体関係になっても魔王に殺される結末もあり得た。
男は「妻が本の中に蘇り勇者と結ばれる前に俺が魔王を倒すだけ」と心を決めて妻を取り戻す為にイリゾニアに入ると、男は何故か4人の勇者の1人「カイン」になっていた。
男の存在を認めないイリゾニアは本編を書き換えて男を謀殺しようとする。
男はカインとしてイリゾニアを無茶無茶にして生き永らえて妻と再会し、自らの手で魔王を倒してイリゾニアの旅を終わらせて妻を取り戻そうとした。
だが目の前に現れた聖剣の勇者はブルガリではなく。ブランドと名乗った男だった。
不運だった。
同時期に男が持つ魔術書ではない、二冊目の魔術書を読んで術開発を行ったブランドという男も、野望を持って自身が持つイリゾニアに入った時、何故か二冊のイリゾニアは繋がってしまった。
男はブランドの妨害に遭いながらも、妻と仲間のライムと共にイリゾニアの旅を進めていく。
破綻した物語でも無事に旅を終わらせられると油断した時、ブランドは自身が二冊目の魔術書から来た存在だと正体を明かし、妻パールを自身が開発した術を使って滅茶苦茶に凌辱してやると言ってきた。
最終決戦、男は何故か倒せない魔王、魔王を倒す為には本来の聖剣の勇者ブルガリと勇者クラムの愛を再現する為に、聖剣の勇者ブランドと男の妻パールの肉体関係、性行為を認めろと迫るブランドを前に、禁術の招陽術を放って自身毎ブランドと魔王を殺そうとしたが、それが間違いだった。
最後の最後で物語をなぞらえる事を怠った男はイリゾニアで死を迎えて本の外の身体も心が死んでしまっていた。
その間に生き残ったブランドはイリゾニアの中で虐殺行為と凌辱行為を行い、仲間のライムを殺し、遂にパールを凌辱した。
パールはその中で男の事を思い出し、様々な後悔の中でブランドごと自身を焼き殺した。
その事を知った男は激しい後悔の中、魔術の神から諦めずに術の開発をすればいいと言われ、妻を取り戻すその日まで生き永らえる事にしていた。
その横にはかつての妻に酷似した女性、二冊目のイリゾニアから本の中に入り、仲間のライムとして共に旅をしていたクルムが居た。
魔術の神の言いつけ通り、魔術書と妻を助ける日の為に唯一のイリゾニアを持ち、妻の故郷のダテトミーを捨てて、まずは二冊目の魔術書を回収した男は、元々魔術が細々とだが残っていたコクバーノレの地に根付くと魔術書の清書を行った。
そして魔術の神から仕事を授かった使徒として、特別な存在としてコクバーノレの人々を魔術で救いながら術開発に勤しんでいた。
年齢はある程度の衰えを感じると身体操作術で若返りを繰り返す。
その横にはクルムが妻のように寄り添ってくれていた。
イリゾニア最後の日からもう20年が過ぎたある日。
クルムが「なあ、仮初で構わない。私をお前の妻にさせてくれないか?」と言い始めた。
男は、そもそも妻に似た美貌のクルムの人生を台無しにしたくないと思い、何度もコクバーノレを離れて自由になって欲しいと言っていたが、クルムはそれを受け入れず、男が思いついた術式を記録して、結果をメモをし、改善点の提案をしていた。
そのクルムからの求婚に男は一瞬揺らいだ。
そして次の瞬間には激しい自己嫌悪で自分が許せなかった。
妻に似たクルムに逃げてしまいたい事、そんな扱いをクルムにしてしまいそうな事。
様々な事から自己嫌悪になった男はあのイリゾニアを読み続けた。
1冊は自分が持ち、もう1冊、ブランドの持っていたイリゾニアはクルムが持っていた。
クルムの申し出を断った男は部屋にこもりイリゾニアを読み、自身の後悔を思い出す。
クルムも、もっとじっくり仲を深めるべきなのに焦ってしまった事を、申し訳なく思いながらイリゾニアを読んだ。
それからはしつこいと言われないギリギリで、クルムは何度もパールを取り戻すその日まででいいから妻にして欲しいと言い、男はそんな失礼な真似は出来ないと拒む。
だが告白から50年。
イリゾニアから70年が過ぎてから男はクルムの求愛に応えた。
思いつく術もなく、文字通りやり切った男は絶望の中、クルムに縋ってしまっていた。
全てを見ていて知っていたクルムはそれでも嬉しい気持ちでいた。男が夫になってくれた事が嬉しく、日々をコクバーノレの人々を助ける事、術開発、2人の生活に費やし、衰えを感じると若返り、更に人生を謳歌した。
身体操作術は弟子の中でも男とクルムに認められたものにしか授けないようにしていたし、禁術はもっと慎重に扱い、強大な力を授かった後で豹変した弟子を禁術で終わらせたこともあった。
豹変した弟子を終わらせた日は悔しさで2人で抱き合いながら夜を明かしていた。
その楽しい日々が150年近く過ぎた頃、クルムは男とはいたいが、250年近く生きる自分は人と何が違うのかを自問するようになり、このまま生きる事を拒否するようになっていた。
男は若返りを拒むクルムの気持ちを聞き、繋ぎ留めたい気持ちもあったが、クルムからされる「お前も共に終わらせないか?」の言葉を、「いや、俺はパールを取り戻していない」の返答で終わらせている以上、繋ぎとめる権利はないと受け入れていた。
それから約50年。
日々衰えるクルムは遂に終わりを迎えようとしていた。
男は朝の挨拶のように「クルム、身体操作術を受けないのか?」と聞く。クルムはベッドの中で天井を見ながら穏やかな顔で「ああ、私はもう長く生きた。とは言えお前よりは短い生だが300年は生きすぎた。ここで終わらせよう」と答える。
男の泣きそうな顔を見て、その表情の奥にある気持ちを知っているクルムは優しい声で「そう泣きそうな顔をするな。共にいた270年の日々は楽しかった。2番目の…仮初の妻になるまで70年は長かった。パールに悪いからと私を拒み続けてくれたな。それすら懐かしい」と思い出を口にすると、男も「ああ、パールによく似たクルムと、パールが蘇らせられるようになるまでの仮の妻で良いからと言われてから、俺が受け入れるまで長かったな」と答えた。
「それからの200年は更に楽しかったよ。コクバーノレの人々を助けながら術開発に打ち込んだ。あの日々の全てが昨日のようだ」
「ああ。楽しかったよ。毎日ありがとうな」
クルムは「いや」と言ってから「昨晩は久しぶりにイリゾニアの夢を見た。悪夢とも吉夢とも判別できないあの日々。懐かしい」と言い、あの全てを思い出しながら涙を流した時、部屋の中に近頃は顔も見せなくなった魔術の神が赤い髪の女性と現れた。
男が魔術の神に気付き、「魔術の神」と名前を呼ぶと、魔術の神は「ああ、久しぶりだな」と返している。
クルムは起き上がれずに「ご無沙汰しています。このような姿ですみません」と謝ると魔術の神は「いや」とだけ言った。
その後は挨拶らしい挨拶も近況を話す会話もなく、男が「まだ術は出来ていない。だが俺は諦めない」と言った時、魔術の神の横にいた赤い髪の女性が「こんにちは。私は調停神チィト」と名乗った。
白くふんわりとした服装の、珍しい目鼻立ちの女神を見て、男が「調停神?」と聞き、神でも名乗るのかという気持ちでクルムが「チィト様?」と聞き返すと、チィトは「ええ、今のままだとクルムも心残りでしょう?魔術神にこの世界の調停を頼まれてきました」と言って男の顔を見た。
チィトは優しい顔のまま、何処か呆れるように男に向かって「あなた、クルムも大切ならキチンと言葉と態度にしなさい。お別れの挨拶は大切よ?」と注意をする。
男は困り顔でクルムを見て居て、その表情で言いたい事はわかっている。
本当は死んでほしくない。身体操作をして共に生きて欲しい。パールを抜きにしたら愛しているんだと言いたいのだと。
だがあの男が、秘事の時以外でそれを言葉に出来る訳もない事を知っているクルムは、「調停神様…私には伝わっていますから」と助け舟を出した。
クルムに優しく微笑んだチィトは「ええ、わかってるわ」と言った後で表情を戻すと、突然男に「今日から身体操作術にはリミッターを付ける。400年を超えての身体操作術は使った時に絶命術が発動するようにしたわ」と言った。
絶命術は術の力で強制的に命を終わらせる術。
それを打ち破る方法はほぼ無い。
身体操作術を使った瞬間では男に防ぎようはない。
クルムは、それではまだ先だが、いずれ400年を迎える男を心配した時、男は目の色を変えて「何!?それはダメだ!俺はパールを助けられていない!」と神相手でも食って掛かろうとする。
クルムが健康で若ければすぐに男を止めたかった。
だが寝たきりの自分ではどうする事も出来ない中、チィトが「代わりに本の中から命を連れてこれるようにする創造の術を授けてあげます」と言った。
クルムは聞き間違いを疑った。
それは男も同じだった。
前に出て縋るように質問をしようとする男を遮ったチィトは、「術の名前は造器術。この世界と本の世界の違いはわかる?」と質問をして、男は確かめるように「イリゾニアとここの違い?時の流れが違う」と答える。
「それは大まかな概念よ。もっとシンプルに見れば本は本、世界は世界、本は世界が産んだ存在、命の組成が違うのよ。仮に本の中の人を外に連れてきたら、魂が世界の空気に押し負けて死んでしまう。だから魂の器を造るのよ。この世界で肉体と魂の器を作ったら器を持って本の中に行き魂を呼び出してその中に入れて帰ってきなさい。そして器ごと身体に入れれば蘇生は完了よ」
チィトの説明の後で、クルムと自身の中に造器術の術式が流れ込んでくる。この術なら確かに世界の違いを無効化できる。
それを知ったクルムは「ああ…良かった。これで残される彼が1人にならないで済む」と言って涙を流した。
チィトは「見届ける?」とクルムに聞く。
クルムは「いえ、もう安心しました」と言ってから男を見て、「さらばだ…パールと仲睦まじく過ごしてくれ。だが身体操作術はもう使えない。私は2番目の妻だが年月ではパールに勝ったな」と言って笑い「埋葬は任せた。…絶命術」と唱えて自らの命を絶った。
男はクルムを失ってから涙を見せる。
泣きながら墓を作りクルムを埋葬すると、「魔術の神、調停神、見届けてくれ」と言って、300年前以上の精度で肉体生成術を使い、妻の肉体を蘇らせる。
前回より余裕があるが、完全に成功させたい男が「休む時間をくれ」と言うと、チィトが手をかざして「回復してあげた。次に行きなさい」と指示を出す。
確かに疲労も何もない。
体内の術量も完全な状態になっている。
男は造器術で魂の器を造ると、妻が死んだイリゾニアを取り出す。
あの後、デイドリーは生き残ったわずかな人々で復興をしていて、墓地にはブランドの暴虐で亡くなった人々の慰霊碑が設置され、その傍には「真の勇者カイン、パール、ライム」の像と共に、パールとライムの遺体が埋葬されていた。
カイン村を作り、金と暴力と快楽に人々を溺れさせていた男の行為はイリゾニアから[勇者カインはわかっていた。ブランドに勇者の資質がない事、それにより魔王が自身を狙う事、魔王の力で民衆がカインを狙う事を…。その為に汚い事もやって生き延びていた。人々の為に心にもない事をする勇者カインこそ真の勇者だった]と記されて美談に変えられている。
外では300年。
だがイリゾニアの中はまだ3年しか過ぎていなかった。
男は懐かしい空気感の中、反魂術で妻の魂を呼び寄せて造器術で作った器に魂を入れると本の外に出てくる。
不安で魔術の神とチィトを見たが、2人とも何も言わずにただ男を見ている。
男は深呼吸の後で妻の身体に器を入れると、あっという間にパールは蘇った。
目を開けたパールは目の前の男を見て「リード?」と名前を呼ぶ。
「ああ…。俺だ。300年以上かかったがお前を蘇らせたぞパール!」
「え?だって私、リードに助けてもらったけど、そこはイリゾニアで…、リードがカインでブランドとライムさんと…」
リードは「ああ、それでも俺はお前を助けたよ」と言ってパールを抱きしめる中、パールは家の中を見て一人暮らしでは無い事に気付くと、「リード?ここには誰かいるの?」と聞く。
「ああ、さっきまで…。ライムも本の外の人間でクルムという名だった。さっきまで俺を助けてくれていた。でも寿命で死んでしまったよ」
リードが説明をする中、部屋の中には魔術の神もチィトも居なくなっていた。
リードは長い時間をかけて、術ではなく言葉で何があったかを説明する。
自身の身に起きた事を思い出して顔を暗くするパールに、リードは「記憶を失ったのはイリゾニアの意思で、ブランドの奴の事は奴の術のせいだし、肉体も元に戻した。あれは全部悪い夢だった」と言葉をかける。
パールはリードの説得を素直に受け入れていき、徐々に普段のパールに戻って行くと、リードがするこれまでの話の全てに大きなリアクションで驚いていく。
ここが300年も未来の世界で、しかも生まれ故郷のダテトミーではなく遠方のコクバーノレだと聞くともっと驚いていた。
リードは最後に「もう、身体操作術は使えないんだ。このまま老齢になって死ぬしかないんだが、それまで一緒に生きてくれないか?」と聞くと、パールは「勿論だよリード。長い時間をかけて助けてくれてありがとう。全部大変だったよね?ライムさんも居たのに私を諦めないでくれてありがとう。私は冒険がしたいよ。あのイリゾニアの日々のようにカインとパールではないけど、リードとパールで旅がしたいよ」と答える。
カラ元気なのはすぐにわかる。
何かの折にイリゾニアの日々、あの最後を思い出して苦しむ事もあるが、リードは支えていこうと密かに誓う。
「ああ、何でもいい。どこでもいい。俺はずっと一緒にいる」
リードはそう言った後で造器術を魔術書に書くとパールと共に旅に出た。
(完)
妻が本の中に蘇り、勇者と結ばれる前に俺が魔王を倒すだけ。 さんまぐ @sanma_to_magro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます