ケーキを食べた日から一週間ほどが経った。相変わらず少女は少年の家に入り浸っており、二人でコーヒーやカフェオレを飲んでは、大した会話もしないまま別れている。まだ、少女が一週間前のような様子になることはなかった。少女からは何も言わないので、少年の方でも詳しくは聞いていない。

「あの」

「うん」

 窓の外を眺めている少女に、少年が声をかける。少女は気だるげなまま首を動かし、少年の方を向いた。少年は一度ちょっと目を伏せたが、すぐ戻してぎこちなく笑う。

「画像・・・そこまで多くないけど、集まったよ」

 それを聞いて、少女の目が輝く。

「ほんと?見たい」

「うん、あの・・・僕のパソコンに入れてあるから、部屋に来て」

 遠慮がちな調子で少年が言うと、少女は頷いて、急かすように勢いよく立ち上がった。少年も続いて立ち上がり、少女を部屋へ連れていく。今日は二度目だ、とこっそり考えたが、少女の方では特に何も言わなかった。


 少年の部屋は相変わらずで、部屋の隅に物が積み上げられていた。それでも一部だけは多少丁寧に並べられており、少年なりの片付けようという意思が感じられなくもない。

 もともと今日画像を見せるつもりだったので、パソコンは部屋の中心のテーブルに移してある。その正面に二人は並んで腰掛けた。

 パソコンを立ち上げ、画像フォルダを開く。その間、二人は画面をじっと見つめていた。少年はいつ、どう話しはじめようか考えつつマウスを動かし、少女はどんな画像なのか想像するのに気を取られ、今の状態を気にしていなかった。

 画像フォルダが開き、中の子フォルダアイコンが画面に並ぶ。

「なんの画像かで、フォルダ、分けてるんだ」

 少年が説明する。子フォルダは十個ほどあり、それぞれに単語のフォルダ名がつけられている。

「どれにしよう」

「じゃあ、水、ってやつがいい」

 少女が指差すのに従い、少年は「水」のフォルダを開く。入っているのは、流れる水や水面に広がる波紋の写真に、水中の泡や魚、海底洞窟や差し込む光を写した写真、水に沈んだ街や泳ぐ人魚などのイラスト。その他にも、炎の代わりに水が灯ったような蝋燭の写真や、きらびやかなアクアリウムの写真など、水に関する画像が数多く収められている。

 少年は少女にマウスを渡し、自由に画像を見られるようにした。少女は一つ一つ画像を開いては、目を細めて楽しそうにそれらを見つめる。

「いいね」

 画像を送りながら少女が言うと、少年が頷く。

「うん。水、好きなんだ」

「そうなんだ。どれが一番好き?」

 少女はそう聞きながら開いていた画像を閉じて、少年にマウスを返す。少年は目をぱちくりさせながらも、画像を眺めて気に入ったものを探した。少しの間、あれこれ画像を見ながら、どれがいいか迷う。

「ええと・・・これかな」

 言いながらダブルクリックして画像を開く。開いたのは、見上げる形で撮影された魚の群れの写真。太陽の光が輝くのを魚たちが遮り、シルエット状に写っている。その明るい水色と黒い魚影と、水の深い青が互いの色を際立たせ、写真全体に神秘的な印象をもたらしていた。

「水の中って、好きだから」

「私も好きだよ」

 それだけで会話は途切れ、二人はしばらくその画像を眺めていた。きらきらとした光は美しく、静止しているはずの画像でもきらめいているように見えた。

「他のも見ていい?」

 やがて少女が口を開く。

「うん、もちろん」

 少年が答えると、少女は親フォルダに戻り、並ぶフォルダ名を眺めた。水、空、街、森、宇宙・・・。

「ねえ、これ見てもいい?」

 少女の目に留まったのは、「退廃」と名付けられたフォルダ。尋ねられた少年は、何やらもじもじしながら目を逸らした。

「いいけど、あの・・・面白いかわかんないよ」

「いいの、ちょっと見せて」

 フォルダを開くと、さらに孫フォルダが三つ並んでいる。「写真」、「イラスト」、最後に「猟奇」。少女は少し迷って、「猟奇」のフォルダを開いた。

「わあ・・・」

 収められた画像を見て、少女は驚愕と感嘆の混ざった声を上げた。フォルダ名通りのグロテスクな画像の数々。血を流す少年少女、体に蛇を纏わり付かせた男女、大量の虫に食い荒らされる女、歪に体を曲げられた背の高い男など、様々な画像が並ぶ。目を背けたくなるような鮮烈なものもあれば、見ていると頭が掻き乱されそうな不安定な印象のものもある。しかし、それらのどれもが猟奇的で独特の美しさを持っていた。

「すごいね」

 少女はうっとりと、破れた腹部から宝石をこぼしている女の絵を眺めながら言った。

「私もこんな風になりたい」

「こんな風に?」

 少年が聞き返すと、少女は寂しげに微笑む。

「うん、なんだか、何かひどいことされちゃいたいんだ。すごくめちゃくちゃに」

 夢見るような目つきで話して、小さく息を吐く。そうして少女は後ろめたそうに目線を落とした。

「変だよね」

「ううん、そんなことない」

 反射的に答えて、少年も気まずそうに目線を落として言い訳のように続ける。

「ちょっと、わかるし・・・。僕もいっそ、殺されたほうが、いいかもって」

「うん」

 小さく頷いて、少女は目を伏せたまましばらく黙っていた。少年もどうしていいのかわからず黙りこくる。少しの間そうしているうち、少女はひょいと少年の方を向いて、唇を震わせた。そして努めて明るい口調で話し出す。

「でも私、ただ殺されるより、もっとひどいことされたいんだ。そのくらいの方が気持ちいいし、楽になれるよ、きっと」

「うん・・・」

 少年はそう返したものの、それ以上に何を言っていいかわからずまた黙ってしまった。何か言わなければと考えるものの、何も思い浮かばない。少女は自分が期待している答えをわからないまま、少年が何か言うのを不安げに待っていた。けれど結局少年は何も言えないまま、まばたきしながら少女の顔を窺うだけだった。

 やがて少女はふにゃりと顔を歪めて、泣きそうな調子で言う。

「やだなぁ・・・やだなぁ」

 呼吸が乱れ、苦しげに吐き出す。

「私、やだよ。やだ」

 その様子に少年はおろおろしながらも、今度はすぐに答える。

「僕も、全部やだな」

 それを聞いて少女はちょっと少年を見て、諦めたようにそちらへ体を預けた。少年はびくっと体を震わせたものの、すぐに落ち着いて、どきどきしながらも少女の体を支えた。自分よりも少し小さい体は、前に寄りかかられたときよりも重く感じる。

「ねえ」

 不意に少女が口を開く。

「試そうか、生きる資格・・・助かっても困るけど」

 少年がまた何も答えられずに黙っていると、少女は比較的明るい声で、吐き捨てるように言う。

「柵乗り越えるのも面倒だね」

 少年は迷ったものの、以前少女が口にしたことを思い出し口にする。

「・・・半分くらい?死んじゃうの」

「そう、たぶん、半分くらいの確率」

 簡単に言う少女。その軽い言葉を少年は頭の中で巡らせる。助かる可能性と助からない可能性が半分ずつ。どちらの方が可能性が高いこともない、同じ確率。その事実は少年にとっては重いものだった。

「やっぱり怖いな」

 少年はそう結論づけた。少女はそれをどう受け止めたのか、微動だにしないまま言う。

「そうだよね、怖い。このままも、向こう側も、怖い。だから殺してほしいんだもんね。怖くなくならなきゃ、意味ないんだもんね」

 そして顔を上げて、悪戯っぽく笑った。

「キミがいたら、怖くないかもしれないけど・・・もっと上に行ってみる?そっちなら確実だよ」

 少しだけ頷いてもいいように思い、少年は答えあぐねた。もし頷いたら、確実な高さまで行って、二人で飛び降りることになるのだろうか。その選択に対する恐怖と、好奇心に似た感覚がせめぎ合う。

「でも、やっぱり怖いよ」

 しかし、結局はそこへ落ち着く。少女もがっかりするような様子もなく頷いた。

「そっか。うん。ボクも怖いな」

 そうしてため息をついてから続ける。

「でもこれからボクたち、どうしようね」

 答えを期待するわけでもないらしい口調。少年にかかる体重がさらに重くなる。少年は勇気を出して、その重さを抱き留めた。

「どうもしないんじゃないかな」

 不思議と、思ったままのことがすらすらと口から出てくる。

「ずっとこうやって生きてくだけ」

「うん・・・」

 少女は悲しげに返し、少年に縋り付いて震える声で言った。

「なら、ボクたち、ずっと一緒にいよう。それならちょっとは、怖くない」

「うん」

 迷わずに返事をする。すると少女はさらに少年に身を寄せて、じっと少年の目を見つめながら捲し立てた。

「ね、一緒にいてね。ボク、キミが大好きだよ。キミがいれば大丈夫だから」

 そしてまた泣きそうになりながら続ける。

「ボクのこと好きじゃなくてもいいから、一緒にいて、置いてかないで」

「うん」

 その様子に気圧され、少年はすぐに頷く。そうして、答え方に迷いながらも口にした。

「ずっと・・・一緒にいようね」

 それを聞いた少女は少しの間、その言葉を噛み締めるように少年を見つめたままでいた。それからふわりと柔らかく笑うと、少年の胸に体を預ける。

「嬉しいな、ありがとう」

 それを受け入れながら、少年は今後のことを考えようとしたものの、何も浮かばなかった。これから二人でどうしよう。自分たちの関係はどうなるだろう。少女の抱える事情はなんだろう。

 やがてそんなことはどうでもいいように思えて、少年は考えることをやめると、少女の気が済むまでその体を支えていた。

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答え合わせ 間宮りーな @mamiya_lina

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