藍い秋

じゅじゅ/limelight

『脱却』

私は絵を描くのが好きだ。

絵描きが高じて、「Y」というSNSに自分の描いた風景画を投稿するくらいだ。しかも、毎回いいね数が万単位でバズり、投稿数は少ないものの、フォロワーは多い。


もちろん、高校生になっても美術部に入部した。初めて部室のドアを開けると大きな声が耳に入った。


「すげー!いいじゃん!この調子でがんば!」


男の人の声が木霊していた。彼は私に気づいて歩み寄ってくる。


「君が新入生?俺は一応、部長のかける。よろしくな!」


「は、はい。よろしくお願いします…?」


すごく元気な人だなと誰もが会ったら思うような人だと思った。まず美術部に入っている男子をあまり見たことはない。それに、あんなに明るい性格ともなればある意味絶滅危惧種なのではないだろうか。


私はリュックを置くと、翔先輩に美術室を案内され、どんなことをしているのかなどを説明された。


「って感じ。あ、今更だけど名前聞いてなかったよね」


「私は藍彩あいりって言います」


「藍彩さんね。改めてこれからよろしく!」


「よろしくお願いします!」


部活紹介が終わり、私は自分の席に着いた。すると、翔先輩がまた私のところへやってきた。


「ごめん!言い忘れてたことがあってさ。前に描いた絵とかってある?もちろん写真とかでいいから!」


「はい、スマホに写真なら…」


そう言って、私はスマホを取り出し、自分の1番バズった自信作を翔先輩に見せた。


「…これ、藍彩さんが描いたの?」


「はい!」


「ほんとに?」


「はい!」


私は声を張って言った。もしかして見られたことがあるのだろうか。

そんなはずはない。なぜなら閲覧データを見た時に200万回表示されてる中でも年齢層で見ると10代20代は少ない。私の絵は大人の方々に人気なのだ。


「そう……か。じゃあさ、藍彩さん。明日、他の描いた絵とかって…見せてもらえるかな?」


「え、いいですけど…」


「うん、ごめんね。うちの学校では毎年新入生の初回制作のお題は先生が決めるんだけど、その先生は去年で退職されちゃって、今の先生には僕が決めていいと言われてるんだよ」


「はい、わかりました」


最初はすごく元気そうだったのに、私の絵を見てから声量が落ちた気がした。



翌日、私はもう数枚自分の作品の写真を撮って、翔先輩に見せた。すると、翔先輩は急に顔を伏せて、しばらく経つと、なにかを覚悟したような真顔で私に言った。


「ねえ、なんで秋の風景画しかないの?」


「秋が好きだからです」


「他の季節のは描こうとは思わなかったの?」


「やろうとはしてみたのですが、うまくいかなくて…」


「じゃあ秋以外の風景画を描いてみようか」


「え?」


「大丈夫、きっとできるよ。藍彩さん、こんなにも秋を描くのが上手いじゃないか」


「は、はい…」


「じゃあ、がんばってね」


そう言い残して、翔先輩は立ち去った。あまりテンションが高くないことに困惑しているのか、他の先輩もちらほら私を見る動作をしている。


そして、『秋以外』の風景画を描くことになってしまった。

私が秋の風景画しか描かないのには理由がある。それは、前に一回夏の風景画を描いたときにYに投稿したら、批判コメントが殺到したからだ。

それ以来、私は秋以外の風景画を描くことを避けてきた。しかし、翔先輩からのお題は『秋以外』の風景画を描くこと。これ以上ない、私にとっては難しいお題だった。


悩んでても始まらないため、私は絵の具を取り出し、とりあえず夏をイメージして描いてみることにした。


数日後、私は最初に描いた秋の風景画と同じ角度から見た景色の夏バージョンを作ろうと奮闘していた。


「藍彩さん、調子はどう?」


「……」


「藍彩さん?」


「ふぇ!?は、はい!」


声がするなぁと思ったら、知らぬ間に翔先輩が横に座っていた。


「すごい集中力だね」


「はい、集中しないとイメージが消えてしまうし、いい絵は描けないから…」


「うん、その調子でがんばって」


翔先輩のテンションは依然、低いままだった。私以外の人と話すときは少し元に戻っているように見えるが、時折作り笑いをしているのが見える。


「私、なにかしたかな?」


思い返しても、なにも思い当たることがない。私は目の前の作業に戻ることにした。


さらに数日経ったある日、私はなんとか夏バージョンを描き上げた。秋よりは劣るかもしれないが、がんばった方だと思う。


「できました!」


「……」


私は絵を見せると、翔先輩は少しの沈黙を挟んでから言った。


「ねえ、藍彩さん。絵の秘めるものってなにか知ってる?」


「絵の、秘めるもの…?」


「そう。あくまでも持論になるんだけど、絵は作者自体を表現していると思うんだ。それを踏まえて、今回見せてもらったものと前見せてくれた秋のものと違いがたくさんあるんだけど…いいかな?」


「は、はい」


私は歯を食いしばった。おそらく、痛烈なコメントがたくさんあるのだろうと思い、覚悟を決めた。


「まず、大前提としてすごく上手だと思う。それで、秋のものとの違いは、そうだね。絵を描くという視点で言うと、少し描ききれてない部分があるんじゃないかな。ほら、例えばこの大きな木の下の草とか。ちょっと明るすぎないかな」


私も木の下の草をよく見ると、確かに影になってる割には少し緑が強いなと感じた。


「それで、ここからは僕の持論部分になるんだけど……藍彩さん、秋以外の風景画描くの怖がってるでしょ」


「え?なんでですか?」


「ほら、ここ。木の枝とか空の雲とか。白い部分が少し青に重なってない?一箇所だったらまだミスしたのかなって思うけど、それが何箇所もあるのはおかしいと

思うんだ。秋の方は綺麗な夕焼けだったから、手が震えていたということになるよね」


「……」


「それとこれは間違ってたら申し訳ないんだけど、藍彩さんってもしかしてあの風景画で有名な藍い秋さん?」


「……っ!」


ハッとした。見破られていた。まず、手が震えていたことは否定できない。どうしてもあのコメントたちが頭をよぎるからだ。

けれど、私の正体を見破られたことに関してはただただ驚きを隠せなかった。


「その反応ってことはそうなんだよね。僕、藍い秋さんの風景画は好きだけどずっと聞きたいことがあったんだ」


「な、なんですか…?」


声が震える。気づけば下を向いていた。翔先輩は一度深呼吸をしてから私に言った。


「絵、描いてて楽しい?ずっと同じテーマのものばかり描いてて楽しい?」


「……」


「あ、いや、その…すまない…」


そう言って、翔先輩は部室を出て走り去って行った。

10人はいる部室に、これ以上ない沈黙が走る。すると、男の先輩が立ち上がって、空気を元に戻し、私の方へやってきた。


「自己紹介がまだですまない。俺は優樹だ。本当にごめん、翔の代わりに謝る。あいつは1種類の『決まった絵』が嫌いなんだ。Yとかに載ってるイラストを見ると、おもんないってほざくくらいにはな。多分ずっと同じ形式なのが嫌なんだろう。実際、あいつが描いた絵に共通点と呼べるものは技術面を除くとほぼない」


「は、はい…」


「翔は必ず連れ戻す。どうか落ち込まないでほしい」


そう言って、優樹先輩も部室を出た。私は、部室に充満した気まずさに耐えられず、家に帰った。


今日のことが頭から離れない。共通点がない、つまり同じ絵がないということだ。共通点、という単語を重点的に私は今まで描いてきた絵を振り返る。


すぐに季節が「秋」という共通点が見つかった。他にはずっと赤系統の色を使っていることや、たまに構図がすごく似ている絵があることが挙げられた。


「そっか…」


改めて、私は意見に支配されていたことに気づいた。なぜ、秋の風景画しか描かなくなったのか。なぜ、似たものしかないのか。

それは、Yに投稿した時に批判コメントがないようにするためだったのだ。

実際、批判コメントを見るとすごく傷つく。私はその傷が付かないようにずっと逃げていたのだ。


「よし!」


私は立ち上がり、絵の具や筆を取り出す。私も別に秋以外のものを描きたくないわけではないのだ。別にYに載せるものでもないわけだし、思いっきり描いてみればいい。


時間は既に9時を過ぎていた。夜が深まる中、今から描くには遅すぎるかもしれない。だけど、そんなことはどうだっていい。今の自分の力を全て出し切って描いてみよう。


時間や眠気、明日の課題などなにもかも忘れて、私は絵を描くことに没頭した。


流石にたった数時間で風景画は描けないため、下書きのようなものになったが、なんとか完成させた。この時の達成感は、今までに感じたことのないくらいに大きいものだった。そして、まずいことに時刻は3時21分と明日の授業は全て睡眠になりそうな時間になっていた。


翌日。無事、ほぼ全ての授業で睡眠になってしまったが、放課後、私は恐る恐る部室に入った。奥で翔先輩と優樹先輩が座り込んでいた。


「お、きたか」


私がリュックを置くと、優樹先輩が翔先輩を引っ張ってくるようにして私のところにきた。


「昨日は、本当にすまない。散々言ったあげく、逃げ出してしまって」


そう言って、翔先輩私に頭を下げた。


「いやいや、全然そんな、私は大丈夫ですから」


「でも…」


「それより、昨日の修正版を作ってみたので見てください!」


袋に入れて持ってきた、昨日(今日)思い切って描いたものを見せた。すると、翔先輩の目がみるみる大きく見開いていく。


「え、これって…」


「修正してみたんですよ。どうですか?」


「ああ、すごくいいと思うよ!なにより、昨日のより色の重なりがないからすごく綺麗だ!でも…」


「これが私の答えです」


大きな平原、藍く澄んだ空。しかし、木の葉は紅く染まっている。そう、空は夏だが木は秋なのだ。


「ああ、いいと思う」


翔先輩は悟ったように優しい声で言った。


1ヶ月後、改めて描き直した絵を『藍い秋』という題名でYに投稿すると、私史上最大でバズり、批判コメントはまったくなかった。


この時、私は過去の自分から変われたんだと思う。

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