清い大人

多賀 夢(元・みきてぃ)

清い大人

 今日も今日とて、朝から長い行列だ。

「いらっしゃいませー!」

 弟子が声を張り上げる。それを聞いて、自分もさらに大きな声を出す。

「いらっしゃいませーぇ!」

 視線は常に手元から離れない。長いのし棒に巻き付いた生地を、手際よく注意深く押し広げていく。

 ――今日は粘りが強いな。

 感覚で厚さを調整し、それに見合った太さに切っていく。

 うちのうどんは、1日たりとて同じではない。自分が思うベストを目指して、最高の味と腰になるよう鍛えられていく。

 常連客にちょっとだけ笑顔を向けたら、直ぐにまた麺と対話する。

 ただ仕事に没頭する。この快感、たまらない。




 気が付くともう午後3時になっていた。店を閉める時間である。

「のれん片付けてくるから」

 弟子にそう伝えて表に出て、のれんを軒先から外した。そのまま店に戻ろうとして、僕は何気なく後ろを振り返った。

「おおう!?なんや」

 そこには、黒いランドセルを背負った少年がいた。なんだか全体に古めかしい感じの子だ。なぜか僕をじっと見てくる。

「んー、坊や、どうした?」

「あのう」

「うん」

「聞いていいですか」

 やたら切羽詰まった顔つきに、僕はただならぬものを感じた。なんか、うっかりどうぞと言ってはいけない気がする。

「答えられることなら、ええよ」

 なるべく相手の目線に合わせて言うと、少年はなぜか僕から目を逸らした。

「なんで、うどん屋選んだんですか」

「ん、なんでって――」

「なんで勉強して会社にもはいらないで、うどん屋なんかになったんですか!」

 あー。なるほどなるほど。なんか理解した。

 だけどその前に、しっかり訂正しておくべきことがある。

「僕、めっちゃ勉強したよ? 会社員もやってたし」

「うそやんっ」

「ほんまです。――そういう話なら、おじさんいくらでも答えるけど」

 しかし少年は、ダッシュでその場から走り去ってしまった。僕はなんだったんだろうと思いながら、のれんを抱えて店に戻った。


 だがその翌日から、店には小さな異変が起きた。

「大将、また来てます」

「またかー」

 あの少年が、毎日店をのぞきに来るようになったのだ。決まって時間は午後3時あたり。他にも下校の子供たちがいるから、おそらく学校が終わってからここに来ているのだろう。

「大将に憧れて、うどん屋になりたいんですかね?」

 にやにやしながら言う弟子に、僕は頭を振った。

「いや、逆。こんな仕事やりたくないと思ってる」

「え、そうっすか?」

「多分ね」

 軽い会話を交わしながらも、僕らは黙々と片付けを続けている。その姿をじっと眺める少年に、自分がどう映っているのかを想像してみた。

『なんで勉強して会社にもはいらないで、うどん屋なんかになったんですか!』――僕は猛勉強をして難関大学を卒業して、大手企業で働いていた。だけど、与えられた仕事は楽しくなかったし、没頭もできなかった。だから地元に帰った。ピンと来たからうどん屋になった。

 しかし、他人には僕の気持ちなど関係ないのだ。赤の他人に、なんであの会社をやめたのかと根掘り葉掘り聞かれた。聞いたくせに、あることないこと吹聴された。もう少しで精神科のご厄介になるかも、そう思う程度には追い込まれた。

 こうやって汚れをこそぐ僕らの姿は、みじめだろう。粉まみれの僕はさぞ哀れだろう。そしてああはなりたくないと思うのだろう。

 ――なのに、どうしてあの少年はあんなにキラキラした目で僕を見てるんだ。まるで僕の一挙手一投足を覚えこもうとするかの如く、窓の外から微動だにせず真剣な目を向けてくるんだ。おかしいだろ、気持ち悪がるところだろう、そこは。

「大将。なんか考え方がいじけてませんか」

「いじけてないっ、僕はずっとまっすぐに生きてるっ」

 弟子にはそう言い返したけど、正直その通りだった。自分は、この歳になるまで傷つきすぎた。子供の言葉に意固地になる程度には、性格がひん曲がっていた。



 それから、またしばらく経った頃。

「ねえ大将、聞いて聞いて!」

 ある日曜のお昼前、常連客の女性が僕を呼んだ。彼女は近くの小学校の教師である。

「うちのクラスの男子がね、大将の作文で賞を取ったのよ!」

「え、僕の?」

「そう。それもね、○○新聞社の結構大きな賞!」

「え。ど、どんな?」

 誰が書いたかよりも、何を書かれたのかが怖い。

「題名がね、『理想の大人』っていうんだけどね。大将のことを本当によく観察しててね、普段の様子も細かいんだけど、道具の手入れとか、掃除のこととか、本当によく見てるのよ」

 僕は、すぐに作文の主が誰か思い当たった。あの少年だ。

「それでね。『僕は清い大人になろうと思った。いつも汚れのないあの店のように、片付けを辛いとも言わない大将のように、まずは清い大人になろうと思った』ってあってね。もう、大将への愛がすごいのよ」

「うわぁ……なんとも大層な……」

 僕は清くない。いたって俗人だ。なのにそんなこと書かれたらこそばゆい。

「だけど、あの子は僕のうどん、食べた事ないんですけどね」

「うそだぁ」

「ホントホント。近所の人が店に来たら、覚えてますから」

「えー、まじで?」

 女性客は驚いていたが、すぐに納得したようにうなずいた。

「あそこの家、選民意識強いからなあ。安いものは食べさせてもらえないのかもね。……おっといかん、しゃべりすぎた」

 それを区切りに、女性客はお椀を返却して帰っていった。

 僕はそれを見送って、うどんを棒でのす作業に取り掛かった。ふと気になって、いつも少年が覗いていた窓の方を見た。

 また来たら、そろそろ一杯ぐらい奢ってやろうかな。お安いうどんの美味さを、とくと味合わせてやろうかな。

 そう思ったら、ちょっとだけにやけた。いかんいかんと首を振り、僕は麺を切る用意にとりかかった。さあ、もうすぐお昼だ。今日のピークがやってくる。

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清い大人 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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