あの日の学校の怪談
歩
旧師
先日、先生と久しぶりにお会いしまして。
ええ、小学校の。
偶然に。
老けておられても、すぐわかりましたよ。
で、「先生!」って。
振り返った先生はそりゃあ、怪訝な顔でした。
突然、太ったおっさんに声をかけられたのですから。
あれから数十年。こちらは印象深く忘れがたくても、あちらにとってはわずか1年未満の付き合い。子供が大人になり、人相も変わる。この年になれば、大人と子供の時間の密度の差くらい分かります。覚えておられないだろうなあとはね。でも、私はほら、この通りの性格で。懐かしさばかりで思い出してほしくて必死で。
あれこれ話しかけて、やっと「ああ……」と、先生の顔はほころびました。
ほころんだ?
いや、苦笑い?
会いたくない人にあったと、そんな感じだったかもしれません。
そう。「先生」と呼ばれたこと自体に嫌悪感を催しておられたようにも。
今にして思えば。
そうそう。
それであの日のことにまで話が及んだわけですよ。
公園でね。
え?
ああ、もちろん、「お時間ありますか」「良ければ、どこかで」と誘いましたけどね。
先生は首を振られて。それで公園のベンチで。
自販機の飲み物片手に。
暑い日でしたが、木陰で風は通っていたので。
汗を拭きながら。
ハハハ。
そうそう、私、すっかり太って汗っかきになってねえ、ハンカチがぐずぐずになったものです。
先生はでも、木陰の暗さでしょうか、顔色が悪いように見えても涼しい顔でね。
蝉がうるさく鳴いていたなあ。
公園にはキッチンカーが出ていましてね、ホットドッグを売っていたのですけど、それのにおいが少し離れたこちらまで。食いしん坊? ちょうど昼時でしたから。
話がそれましたけど、そうです、先生との話題はあの日のことになりまして。
え、知らない?
ああ、そうか、貴方が転校してくる前のことでしたか。
じゃあ、どこから話しましょうか……。
当時、小学校で流行っていた学校の怪談。
他愛ないものです。
よくあるね。
下足室の、とある棚、そこに手紙が入っている。誰も使っていないそこに。
理科室に行け。
行くと、そこにまた手紙。
音楽室に行け。
また、手紙。
家庭科室……。
学校中を回らされるわけです。
たいてい、もう飽きて帰ってしまうのですけど、宝探し感覚でワクワク、ドキドキと追ってしまう子もいるわけです。小学生のことですから。禁断の遊びみたいで。無我夢中になってしまう。
怪談というよりも、いたずらだと思いますがね、大人になった今なら。
最後までたどり着いた子など聞いたこともないですし。
知らなかった?
そういえば、あのあとぴたりとこのうわさは消えたような……。
うわさ、あくまでもうわさですよ。
その手紙はだんだん、文字が崩れてくる。
インクがにじんだような。慌てて書いたような。紙自体もなんだかすすけたものに。
だんだん、判別できなくなるそうです。
え? ああ、私はそれにチャレンジしたことなくて。友達の友達がね、まあそれもよくある話ですが。けっこうなところまでたどったそうです。
それで、下校時間もとっくに過ぎて。
二、三人でひそひそと、必死に「何が書いてある?」と、廊下で解読していたそうです。夏の日は落ちるの遅いとはいえ、もうそろそろ薄闇に包まれる時間。そのなかでは手紙など読みづらくて。
そのとき、先生に見つかったんです。
「早く帰りなさい!」
「何をしていたんだ!」
当時、まだ先生になって3年目ほどじゃなかったかな? 若いので、そこは勢いに任せてしまうところがあったんでしょうね。
ずいぶん叱られたと聞きました。
しぶしぶ手紙をたどっていたことを先生に言ったわけですよ。
「バカなことを……」
先生は手紙を全部取り上げて、
「だれのいたずらか突き止めてやろう。先生が叱ってやるから、おまえたちはもう帰りなさい」
と。
翌日、先生は学校に来なかった。
翌日も、週が明けても。
何かあったのかと生徒が騒ぎだしたころ、朝礼で「ご病気で先生は退職されました」と。
私はね、先生が好きだったんですよ。
余裕のないところはありましたけど、放課後のクラブ活動にも熱心で、私はお世話になっていた印象しかないので。
それで、偶然会ったら、ね?
「お体、大丈夫ですか?」
「ああ……」
「突然辞められてビックリしましたが、急な体調不良で?」
「そんなところだ」
「良ければ、お話しいただけませんか?」
「なんで、おまえに?」
「あ、いえ……。何か、心に障りがあるような……」
フン。
ひどく、冷たい笑いでした。
何も知らないくせに。
ありありと、冷たい缶コーヒーに目を落とす、暗いよどみが。
それでもしつこく食い下がってしまったんですよ、私は。
後悔しています、今では。
「あの手紙なあ……。たどっていったんだよ。何とか読んで。最後はもう、かすれて薄くて。それでもまあ、すっかり日が落ちていたけど、意地になってな。最後の手紙は、なんでだろうな、いつの間にか、大鏡の前にあったんだ。……あったんだよ。前を見ろ、鏡を見ろ、はっきり書かれていた」
ぞっと、背筋に冷たいものが走りました。
先生はどことも知れぬところへ目線を向けてね、無表情で淡々と。
いつの間にか、蝉は鳴き止んでいました。
近くで遊んでいたはずの子どもの声も遠くに。
そういえば、うちの学校、けっこうな歴史がありまして。
戦前に建てられたもの。
戦争中は空襲の被害も受けたそうです。
そのときの木造校舎など一つも残っていませんけど。
「鏡の中には、木造の、焼け焦げた校舎が映っていたんだ。はっと後ろを振り返っても、そこはもちろん、白いコンクリートで」
あの怪談、続きがありまして。
手紙を最後まで追うと、永遠の友達に会えるとか、未来の恋人に出会えるとか。
「友達? 恋人? ハハ……。バカな。……ああ、そうか。友達、友達か。そうか、そういうことか……。あれは、あそこに映っていたのは、学校の昔の姿だ。焼けただれた。こども……。校舎……。それが、はっきり、いっぱい、いっぱい……」
先生はベンチから立ち上がりました。
ほとんど飲んでいらっしゃらなかった缶コーヒーは手から滑り落ち、芝生の上にどくどくと。
「や、やめろ! く、くるな!!」
誰もそこにはいないのに、狂ったようにして、何か虫の大群にでもたかられたように。
先生は足元を、手をぶんぶん振り回して。
「遊ばない! 遊びたくない!! もう、俺は、俺は……っ」
ダッと、先生は走り去っていきました。
私など最初から眼中になかったように。
蝉の声が、また耳に。
それだけです。
それっきり、先生とも会っていません。
人から聞いた話です。
怪談のことは……。
そうだ!
同窓会! 同窓会のことでしたね。
いいですね、懐かしいです。私も幹事になりましょう。
でも、先生は……。
来ないだろうなあ。
あの日の学校の怪談 歩 @t-Arigatou
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