エンドロール

宇佐

第1話

 ただ映画を見ている。毎日朝から晩まで。どさっとソファの上に座って、ぼうっとテレビを眺めて。画面の中で人々が動いたり止まったりしているのを、私はただ見つめ続けて興味深いようなふりをしている。

 今見ているのは一昔前のSFパニック映画で、人類滅亡の危機から生き残るために人々が協力したり、争ったり、涙を流したりしている。いい映画かと聞かれると困るけれど、悪いという程ではない。そこそこ見れる、というやつだ。

 映画を見ようと思ったのは十三社目の不採用通知が届いた日の夜だった。もう就活なんていう時間の無駄遣いに飽き飽きした私は、そのくだらない儀式からドロップアウトすることを決めた。けれどいざ就活をやめてしまうと、やることがなくなった。何もしない時間が増えて、毎日をなんとなく持て余して、その解決策として映画を選んだ。要は、時間を何らかの行為で消費したかったのだ。映画を見ている間は、何か意味があることをしているような気になれた。

 私は立ち上がって台所へ飲み物のお代わりを取りに行く。冷蔵庫の中には買い置きのミネラルウォーターと、飲みかけのワインと、調味料とチーズが少し。そろそろ買い出しに出かけなければな、と思いつつ、外に出る気は全くしない。

 結局ワインの瓶を一本手に取って、私はまた部屋のソファの上に戻る。そうしてワインをグラスに注いで、リモコンを持って映画の一時停止を解除しようとした瞬間に、空気を読まず玄関のチャイムが鳴る。

「何なのよ」

 私はため息をつき、立ち上がって玄関まで歩き、ドアスコープを覗く。そこには案の定真子が立っている。仏頂面で、買い物袋を手に下げて、ぴんと背筋を伸ばして。

 真子か、と私は思う。特に来る約束をしていたつもりはないが、別に彼女なら構わない。

 鍵を解除して、ドアを開ける。外のむわっとするような暑さに囲まれながら、真子が私を見てまばたきをする。

「入って」

 私はそう言って、彼女を家に招き入れる。挨拶や気の利いた会話は特にない。私たちの間に、そういったものは必要ない。

「何買ってきたの」

 と私がたずねると、真子は返事をせず勝手に冷蔵庫の扉を開けて買い物袋の中身を入れていく。惣菜とか、野菜とか、乾麺とか、お肉とか、そういった食料品が冷蔵庫の中のあるべき場所に収まっていく。

 そうして冷蔵庫に全てを詰め終わったあと、代わりにミネラルウォーターのペットボトルを一本取り出して、真子はそれを手に部屋の中を見渡す。

「また映画」

 と、彼女はようやく口を開く。

「そう、映画。今日のは結構面白いよ。最初から見る?」

「途中からでいい」

 呆れたようにつぶやくと、真子はすたすたと部屋の中を歩き、ソファの右側に当たり前みたいに腰を下ろす。だから私もそれを見習って、左側に腰を下ろす。

 うちの中で比較的上等なものはこの二人がけのソファと、一人暮らしにしてはそこそこ大型のテレビしかない。前者はネット通販で衝動買いをした商品で、ちょっと安っぽくて座り心地に慣れがいる。後者はバイト先の先輩が譲ってくれたもので、もともとはその人の行きつけの居酒屋の店長がくれたものらしい。

 リモコンを手にとって、私は映画の一時停止を解除する。止まっていた時間が動き出して、画面の中で人々がまた慌ただしく動き始める。

「ええと、この世界はよくわからないけど滅ぶ予定で、なんか逃げるために船みたいのに乗ろうとしてるところ。これが主人公で、こっちが元妻で、なんか色々あって一緒に行動してる」

 私は真子の隣で、映画のここまでのあらすじを軽く説明する。真子は「そう」とだけ言って、姿勢良くソファに座ったまま画面を見つめる。その横顔にはあまり表情らしいものは浮かんでいないが、これが彼女の素なので、今更驚いたり戸惑ったりはしない。

 真子は大学でできた友人だ。彼女は私と違ってもう内定をもらっていて、春から東京で就職が決まっている。詳しくは聞いてないけれど、彼女のことだからきっといい会社なのだろう。無愛想で仏頂面なことを除けば、基本的にスペックが高いのが真子という人なのだった。せっかくちょっとした美人なんだからもっと愛想を振りまいてもいいとも思うのだが、何かしらの信念とか心情に反するのだろう。

 ともかく私たちはそのまま映画を見続ける。画面の中では目まぐるしくシーンが切り替わっていて、エンディングに向けてストーリーが盛り上がっていくのがわかる。隣で真子がペットボトルの蓋を開けて、水を一口飲む。私もそれを見て、ワインを口に含む。飲みかけのまま放置していたせいでそれは酸化していて、あまり美味しくはない。

 やがて映画が無難に終わって、世界が滅んだり滅ばなかったりして、エンドロールを迎える。

「まあまあ面白かったね」

 と私が言うと、真子は首をほんの少しだけ傾ける。肯定か否定か、あるいはそのどちらでもないのか。詳しいところはわからないが、でも途中から見る映画なんてそんなものだろうとも思う。一度話に乗り遅れてしまうと、正しく受け止めるのは難しい。

「もしこの映画みたいに地球が滅ぶことになったら最後の日に何をする?」

 私がそうたずねると、真子は「何もしない」と答えた。

「本当に? 最後にしたいこととかないの」

「特には。いつもしたいことをしているから、いつも通りでいい」

 そう言って、真子は水を飲む。

 ふうん、と私は言う。真子の性格を考えれば、特に不思議なことではない。仮に本当に世界最後の日になったとしても、彼女は仏頂面でいつも通りの日常を過ごすのだろう。

「次、何を見る?」

 部屋の隅に放り投げてあるレンタルバッグを持ってきて、私は中からDVDの束を取り出す。インターネットで映画のサービスがいくらでもあるこの時代に、私はあえて近所のレンタルショップからDVDを借りてきていた。つぶれかけのその店はいつ行っても閑散としていて、世界から忘れられているようで、そんな雰囲気がなんとなく居心地が良い。

 借り放題です、とレンタルショップの店員は言った。月額制で、旧作限定で、借り放題。ただし一回につき10本までなので、見終わったら一度返しに来てください、と。私はそのサービスを気に入っていて、今月に入ってから何度も店を訪れている。

 良いものは古くなってもなくならないですからね。と、店員は言った。この映画とか、この店みたいに。つぶれかけの店内で、その言葉はどこか空っぽに響いた。

 数日前は、真子と一緒にそのお店に行った。二人で映画を五本ずつ。それぞれ見たい映画を選んで、レジに持っていった。今はそれを消化している最中だ。

「こういうのって名作ほど意外と見ないよね」

 私が選ぶ映画は、そこそこの知名度で、そこそこの出来の映画が多い。あまり有名すぎるタイトルだと胃もたれを起こしそうだし、かといって全くの無名だと外れるのが怖くて。それに、正直に言えば別に映画を見ることにそこまでのこだわりはない。所詮暇つぶしで、現実逃避だと、私も心の奥底ではわかっていた。

 その時に借りた十本も、残りはあと数本だ。私は見ていないDVDを抜き出し、テーブルの上に並べる。そのうちの一本を、真子が手に取った。

「これ?」

 私は受け取ったDVDを見る。タイトルに聞き覚えはない。きっとマイナーな作品なのだろう。真子がレンタルショップで借りた映画はどこか玄人向けっぽい雰囲気重視の映画ばかりだった。でも、彼女が選んだのであれば、見ないという選択肢はない。

 プレーヤーのDVDを入れ替えて、私はまたソファの上に戻りワインのグラスを傾ける。真子は何も言わずに姿勢良く座り、じっと画面を見ている。読み込みが終わったのを待って再生ボタンを押すと、映画が始まる。

 真子が選んだその映画は、意外なことに恋愛映画だった。仲の良い友人同士が、ほんの些細なきっかけでキスをしてしまって、そこから関係が複雑に変化していくというストーリー。戸惑いや、葛藤や、苦悩。そういったものが役者の名演で表現されていて、派手さはないが妙に心がひきつけられる。

 私と真子も、おそらく仲の良い友人同士だ。わりと性格の真逆な私たちだけど、関係は不思議なほどうまくいっている。就活に疲れた私が、唯一連絡を取れたのも真子だけだった。他の友人たちとは会いたくなかった。慰められるのも、応援されるのも、なんだか煩わしくて。真子は愛想もないし口数も少ないけど、黙って私の家にやってきて、映画を一緒に見てくれて、時々食料品を差し入れしてくれた。それだけで、今の私には十分だった。

 映画の展開はひねくれていた。友情と愛情の狭間で、登場人物たちはずっとうじうじと悩んで迷ってばかりいた。そこには人生や運命という途方もない大きな存在に対して人間の小ささや弱さが描かれているように思えた。隣をちらりと横目で見ると、真子はいつもと同じ様子で画面を見つめていた。何の感情も、そこからは読み取れなかった。

「これ、私たちもしてみる?」

 と、私は気がつけばそうつぶやいていた。特に意図があったわけではない。思いついたことを口にしただけ。ただ映画の中の人々を見て、もし自分たちだったらどうなるだろうと、そんなたらればの話をしたくなっただけだった。

 真子は、珍しく画面から視線を外してこちらを見た。大きな目と長いまつ毛で、私を見て口を開く。

「今はしない」

 と、彼女は言った。

「今は?」

 私はそう聞き返す。

「今じゃなかったらいいんだ。いつならいいの?」

「さあ」

 真子は曖昧に言って、テレビに視線を戻す。画面の中では人間たちが話し合ったり、笑ったり、怒ったりしている。それはひどく遠い世界の話をしているようで、私は急速に集中力をなくす。

 結局映画のストーリーがよくわからないまま終わって、私はエンドロールを横目にワインのボトルを手に取る。けれどもうボトルの中にはワインがほとんど入っていなくて、傾けてもグラスにはせいぜい一口分くらいしか移すことができなかった。

「はあ」

 ため息をついて、私はボトルをテーブルの上に戻す。これで家にあるワインは最後だったはずだ。飲みたければ、買いに行くしかない。真子が食料品ついでに気を利かせてワインも買ってきてくれればよかったのだけど、それを要求するのはわがままが過ぎるのもわかっていた。

「飲まない方がいい」

 そんな私の考えを読んだかのように、真子が静かに口を開く。

「え?」

「ワイン。毎日飲みすぎ」

 と、彼女は言った。確かに、私の酒量は以前までと比べたらちょっとずつ増えている。でもまだ常識の範囲内だとも思う。自分のことは自分が一番良くわかっている。

「だって飲まないと眠れないんだよ。色々考えすぎちゃってさ」

 私が言い訳のようにそう言うと、真子はふうと息を吐いた。それがまるでこちらに対する非難のように感じて、私は少しだけむっとしてしまう。

「真子はいいよね」

「何が」

「何がって、いろいろと」

 と私は言って、リモコンで映画のエンドロールを止める。静かになった部屋の中で、冷房の音だけが聞こえる。

 言ってもしょうがないことだ、と私は思う。映画から意識を離すとどうも気持ちが良くない方向に向かってしまう。真子には真子の人生がある。私にも、おそらくは私のための人生がある。それが今は私のアパートのソファの上で一時的に交わっているだけで。

 はあ、と私はため息をつく。別に真子と喧嘩をしたいわけではないのだ。ただ、私は今は楽しく映画を見たい。

「ごめん」

 私の言葉に、真子は首をふる。

「別にいい」

「次の映画、見ていい?」

「その前に夕食を食べた方がいい」

 準備する、と言って、真子はソファから立ち上がる。きっと買ってきた食材で夕食を準備してくれるのだろう。台所へ向かう背中を見ながら、私はソファの上に沈み込む。窓を見ると外はもう暗くなっていた。

 スマートフォンのロックを解除すると、いくつかの通知が目に入る。親からの不在着信とか、友達からのショートメッセージとか、就活関係のメールとかだ。でもどれも見る気にならなくて、私は通知を全て消してしまう。

 こうやって、あとどのくらいいれるだろうか、と私は考える。レンタルショップにはまだまだ数え切れないほどの映画がある。一度に10本ずつ借りたところで、すべてを見ることは到底できない。海の水をコップですくうようなものだ。そもそもこうして映画ばかり見ていても何の解決にもならないことも、自分が一番よくわかっている。私がしているのはただの保留だ。いずれは何らかの答えを出さなくてはいけない。

 いっそのこと、私も真子みたいに東京に行くべきだろうか。と、私は思う。たまに想像して、東京の家賃を調べたり、仕事やアルバイト先を探してみようかとも思う。けれどそれらはやっぱり遠い世界の出来事のように思えて、いまいち現実味がない。

 そんなことを考えていると、真子が夕食のお皿を持ってきてテーブルの上に並べてくれる。簡単だけど栄養バランスの整ったそれは、私の食欲をシンプルに呼び覚ます。

「ありがとう」

 と、私は真子の顔を見て言う。

「そういえば、買い物いくらだった? お金払うよ」

「別にいい」

「いや、良くはないでしょ。払うってば」

 そう言って財布を持ってきて開いてみたが、タイミング悪くそこには紙幣が入っていなくて、小銭だけが数枚見つかっただけだった。

「今度でいい」

 そんな私の様子を見て、真子が言う。

「冷める前に食べて」

 うん、と頷き、私は真子の作ってくれた夕食を食べ始める。白米、スープ、お肉に野菜。温かさと優しい味わいが、私の体に染み渡る。そういえば今日は昼も朝も食べていなかったことを思い出して、急にお腹が空いてくる。だから私は夢中になってそれらを平らげる。

 そうして食事を終えて、食器を洗い終えて、私たちはまたソファの上に戻る。新しいDVDをプレイヤーに入れて、再生ボタンを押す。映画はごくありきたりなアクション映画を選んだ。そこそこ有名な俳優が、そこそこのアクションで画面を盛り上げている。時々挟まるコメディやロマンスも、まあ想定の範囲内だ。でも時にはそんな平凡さが、妙にありがたかったりもする。

「今日、暇だったの?」

 映画を見ながら、私は真子にたずねる。

「用事は特にない」

「明日は?」

「明日も特にはない」

 就活も卒論も終えた真子は案外暇らしい。まあ、暇でなくてはわざわざ私の家に来て朝から夜まで映画を見るのに付き合ったりはしないだろう。

「これ見終わったら帰る? それともまさか泊まっていく?」

「どっちでもいい」

「いやいや、そこはどっちか決めてよ」 

 私が笑うと、真子は表情を変えずに黙ってこちらを見る。

「自分で決めて」

 そう言って、真子はまた映画に視線を戻す。画面の中では主人公が難しい決断を迫られている。でも主人公なので迷うことはない。いつも、正しい選択肢を選んで行動する。

 私には正しい選択肢はわからない。人生は映画ではないので、上手くいくとも限らない。だから最近の私は保留し続けている。なにか答えが見つからないかを、フィクションの中からずっと探している。

「私はいつもしたいことをしてる」

 と、真子が唐突に言った。

「最後の日でも私はここで映画を見るのに付き合う。キスがしたいならしてもいい。眠れないなら一緒に寝てもいい。食事だって、作っても構わない。それであなたが元気になるなら、それが一番いい」

 そう言って、真子はちらりとこちらを見る。彼女にしては、なかなかの長台詞だった。そしてそれ以上の言葉は、もうなかった。

「ええと」

 と、私は言いよどむ。思ってもみなかった言葉に、どう返すべきか迷って。

 真子はもうそれ以上何も言うつもりがないらしく、また映画に視線を戻している。

 テレビ画面の中では、主人公が最後の戦いに向かっている。名誉とか、ヒロインとか、そういうものを取り戻したいのだろう。派手な演出と効果音で、主人公の意思に満ちた眼差しがクローズアップされる。本当にありきたりで、バカバカしいほど安心できる展開。この先はもう見なくてもわかる。だから私はもう画面を見ない。その代わりにただ、考える。この保留に満ちた日々を、真子との日々をどう終わらせるかを。でも本当は考える必要なんてなく、したいことはわかっている。正解は最初からずっと、私の中にある。

「ねえ真子」

 と、私は言う。真子がこちらを見る。私は息を吸い込み、口を開く。映画のエンドロールが流れる。

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エンドロール 宇佐 @usa1975

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