第4話 眠る少年

 質素というほどではないものの、装飾の押さえられた王宮の中の小さな一室。


 ヤルノ少年はすやすやと静かに寝息を立てて寝ている。


 陳腐な言い方ではあるが「まるで天使のような美しい寝顔だ」とギアンテは感じた。見れば見るほどに。


 ギアンテはほうっと少し熱っぽいため息をついた。誰にも知られずに、密かに彼女が想いを寄せているイェレミアス王子に瓜二つ。同一人物であると言っても誰も気づかないほどだ。


 顔のつくりは似ている。しかし正直なところを言うと、彼女はファーストインプレッションではそれほど王子とヤルノが似ているとはあまり思わなかった。


 雰囲気や佇まい、上手く言えないが、姿形すがたかたち以上に重要な要素である、その人が持つがあまりにも違うと感じたのだ。姿は似ている、しかし言葉を発したり動く姿は全くの別物だ、と。


 だがほんの数時間前、馬車を降りて王妃に挨拶をしたヤルノはイェレミアス王子に生き写しであった。


 ギアンテはヤルノに手を差し出されるまま、思わず彼が馬車から降りるのをエスコートしてしまったし、王子の母である王妃インシュラは虚弱体質の王子が元気な姿になったように錯覚して、感極まってその場に泣き崩れてしまったほどであった。


 ギアンテ自身も、どこかで目を離したすきに王子とヤルノが入れ替わったのか、と混乱したくらいである。


 女騎士ギアンテは事態を測りかねていた。


 馬車に揺られていたほんの数時間の間に、全くの別人だった人間が、母親の心の平衡を崩すほどに王子にそっくりに生まれ変わったというのだ。


 いったい馬車の中で何があったのか。その短い時間の中で王子の特徴や喋り方、立ち振る舞いなどを話した覚えはない。


 記憶を掘り起こす作業と共に、ある『奇妙な点』に気付いてギアンテは戦慄した。


「何故、この少年は私の名前を知っているのか……」


 あまりにも異様な事態だったために気付くのが遅れた。村で出会った時にも、馬車の中でも、彼女は一度もヤルノに自己紹介をしていなかった。しかし確かに先ほどヤルノは彼女の事を「ギアンテ」と呼んだのだ。普段王子が呼ぶように。


 ひとつ思い当たるところがあるとすれば。


 ヤルノを馬車に押し込んで、外で部下と話していた時に、部下が彼女の名を呼んだ気がする。


 もしこれを盗み聞きしていたのだとしたら、これは大変な事だ。なぜならその時彼女は部下に「村の住人を皆殺しにするように」と命令していたからだ。

 その時に名前を聞かれたのならば、虐殺の命令も聞かれたことになる。


 だがヤルノは馬車の中でも、降りてからも、それに気づいているようなふしは一切見せなかった。


 夜通し馬車に揺られて疲れた、と言って暢気に仮眠してしまうほどだった。逆にギアンテの方が気が高ぶって寝られなくなっている始末である。


「私は……何かとてつもない化け物をこのリィングリーツ宮に招き入れてしまったのでは……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら部屋の中を歩き回っていると、ヤルノが目を覚ました。


 ゆっくりと上半身を起こし、眠そうに目をこする。一眠りして周りの状況が分からなくなったのか、静かに、ゆったりを周りを見てから、ギアンテの方に視線をやった。


 ギアンテは自分の鼓動が早まるのを感じた。


 ついさっきまで得体のしれない化け物と思って恐怖すら覚えていた男。しかしその仕草は敬愛する王子そのものである。王の嫡子にはふさわしくないこの小さな部屋に二人きり、愛しの王子の傍にいるような感覚に体温が上がる。


「今、何時くらいですか?」


 ヤルノの言葉に現実に引き戻される。こうして話してみるとやはり彼は王子ではない。そうはっきりと感じられた。


 そして彼女は先ほどの出来事を直接問いただしてみようと思った。正体不明のたかが平民に、これ以上あれこれ思い悩むのがバカバカしくなってきたからだ。


「先ほどのあれはなんだ? 何故お前に王子の真似ができる? 妃殿下に無礼な口まできいて」


 その妃殿下はショックのあまり寝込んでいる。


「ギアンテさん……言ってましたよね? 『もしバレれば、命はない』って。二人相手に今の私が王子にどれほど似ているかを、見てもらおうと思っただけですが」


「ふざけるな!」


 怒りに任せてギアンテは隣にあったテーブルを強めに叩く。この示威行動にもヤルノはびくりともしなかった。


「殿下の事を何も知らないお前が何故真似をできると聞いているんだ。寒村の鍛冶屋の子に過ぎないお前が殿下の事を見たことがあるはずがない」


「何故って……」


 自分の名前を知っていることについてはギアンテは問わなかった。問えなかった。


「気管支が弱いなら胸を張って立つのは苦しいかな、と猫背に……その姿勢で、私と同じくらいの背丈なら、自然と話しかけるときは上目遣いになりますよね?」


 少し上目遣いで相手の気持ちを窺うように遠慮がちに話しかける愛らしい瞳はまさに王子そのものであった。


「体が弱いなら、普段から階段や馬車を降りるとき、いつもそばにいるギアンテさんに手を引いてもらってるかも……」


 実際にその通りであった。だからギアンテは差し出されたヤルノの手を自然にとった。そしてヤルノは普通に考えれば王子が臣下に対してしないような「お礼」を敢えて言ったのだ。


「アレだけギアンテさんが心酔するくらい優しいんなら、もしかしたら家臣に対してもお礼を言ったりするのかな……って思ったけど、どうでした? 妃殿下の事を何て呼んでるかは、賭けでしたが、対面した時の殿下の表情から察するに、自分の駒としてではなく家族として愛着を持っているように見えたので、あの呼び方をしてみました」


 ギアンテは馬車の中でイェレミアス王子の事など話していないつもりであったが、それは大きな間違いであった。


 ヤルノはギアンテの漏らした数少ない情報と、二人の態度からイェレミアスの人物像を想像し、身体的特徴や性格から姿勢、喋り方、周りとの接し方を仮定、そしてそれを極めて正確に実演して見せたのだ。


 冬の寒い時期であるにもかかわらず、ギアンテの額に汗が浮かんだ。


「化け物め……」


 彼女はこの件について主体的に判断を下すことを王妃インシュラから許されている。それは、彼がこの「替え玉計画」に不適格であれば斬って捨て、闇から闇へと葬り「そんな計画など最初から無かった。仮にあったとしても全て私の独断である」と処理するためである。


 それはヤルノの実力が計画を実行するにあたって「足りなかった」場合の話なのだ。決して「手に余る」時の話ではない。


 彼女が漠然と「この男は危険だ」と感じたとしても、計画を中止することなどできないのだ。

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