第12話 悪役令嬢

 昼なお暗いリィングリーツの森。


 グリムランドの北部に広がる針葉樹の森は、厳しい寒さとそこを根城にする北方蛮族が人々の侵攻を固く阻み、無敵の強さを誇るグリムランドの精鋭騎士ですら切り開くことはできず、未だこの森がどこまで続いているのかも判然としない。


 この国の象徴でありながらその支配の及ばない神聖な場所、黒き森リィングリーツは人々の恐れと信仰の対象であり、『獣が人を攫って食う』とも『妖精が願いを叶えてくれる』とも言われている。


 そして同じくリィングリーツの名を冠せられた宮殿は、骨肉相食む獣の檻だと人々は噂する。


「あらイェレミアス殿下、しばらく見ないうちに随分と逞しくなったんじゃないかしら?」


 ヤルノがイェレミアス王子に成り代わり、このリィングリーツ宮で暮らすようになって一ヶ月余りの時が過ぎた。


 幸いにもイェレミアス本人は昔から体が弱く、表に出ることが少なかったため、数ヶ月はみっちりとヤルノに教育を施し、十分に『偽装』できる様になってから周りと接触させていくつもりであったが、ヤルノが生来持つ他人の心の機微を察知する能力の高さと演技能力から、予定を大幅に早めてこの獣の檻の中に解き放っていた。


 自分の存在を周りに主張するかのようにリィングリーツ宮の中庭で休憩していたヤルノに話しかけたのは同じくらいか、もしくは少し年上に見える金髪の少女。豪奢なドレスと付き人を従えていることからやんごとなき人物なのであろうという事は分かる。


「キシュクシュ、久しぶりですね」


 ヤルノにとっては初めて出会う人物であったが、彼に声をかけて着そうな人間についてはすでに騎士ギアンテとイェレミアスから全てレクチャーを受けている。


周りを小ばかにしたような態度と、特徴的な八重歯、年の割に少し子供っぽい様な振舞い。そこからすぐに個人を特定できた。ノーモル公オーデン・オーガン卿の娘、キシュクシュである。彼の傍にはすぐ近くにギアンテが控えているが、もはや彼女も他人との接触を止めようとはしない。

 それほどにヤルノの事を信用しているのだ。


「どれくらいぶりだっけ? お日様の下に出てるなんて珍しいわね」


 言葉の節々に、若干他人を軽んじるような印象を受ける。グリムランドの冬に訪れる短い日照時間。午後の二時であるが、日はもう若干傾き始めている。この地の民にとって日に当たることは何よりも大切な時間だ。


「去年の冬至の誕生祭以来ですね。最近は随分体調がよくなってきたんで、たまには陽にでもあたろうかと」


 冬至を境に日は少しずつ長くなり始める。太陽神を信望するグリムランドにとって冬至は太陽が生まれ変わり、力強く伸び行く誕生祭として最も重要な年中行事の一つとなっている。


「今年は王別の儀を受けるんでしょう? 結婚する前に私を未亡人にしないで下さいよぉ?」


 そして、彼女はイェレミアスの婚約者でもある。


 二人から事前に聞いてはいる。この婚約者は王子を「軽んじている」と。


 貴族の女にとって結婚相手とはその人生を左右する重要なファクターである。王の正妻、王妃の嫡子がその相手となれば普通であればこれ以上望むべくもない好ましい相手ではある。


 普通であれば。


 しかしイェレミアスの場合は事情が違う。虚弱体質で王位を継ぐ資格も危ぶまれるような人間では心許ないのだ。


 とはいうものの、少女というほどではないものの一人の大人としての覚悟も確立し得てない公爵令嬢はもっと本能的なものでイェレミアスを見下していた。


 思慮の足りない者にとっては「優しい」と「弱い」の区別がつかないことがある。そして多くの場合同じように「悪い」と「強い」の区別もつかない。


 「悪」が許される人間というのは多少の道理を捻じ曲げても許されるほど力の強い者なのだと映るし、逆に「他人に優しさを見せる人間」という者は「施しをする強さのある人間」ではなく「弱いがゆえに奪われてる人間」の様に映るのだ。


 相手から庇護を受けるものとして考えた場合、配偶者に求める一番わかりやすいものは「力」である。キシュクシュの目にはイェレミアスはまさにその「力」のない人間として映っていた。


 その自覚のないキシュクシュは優しく、穏やかな性格のイェレミアスを「つまらない男」と捉えていた。


(どうせなら、アシュベル様みたいに女慣れしてる人とか、ガッツォ様みたいに逞しい人がよかったのに)


「最近は体調がいいですからね。きっと王別の儀も問題ありませんよ」


「どうだかぁ?」


 ほんの少し、ギアンテの表情が険しくなる。イェレミアスはあまり気にしていないようだったが、彼女はキシュクシュに間違いなく悪感情を抱いている。


 ギアンテを侮辱したアシュベルに怒りを向けたのはヤルノであり、イェレミアスではない。ヤルノは「王子なら必ず怒ったはずだ」と発言しただけである。


 しかし叶わぬ恋に身を焦がす彼女の認識は歪んでおり、頭ではそうと分かりつつも、心では王子が自分のために怒ってくれたと思っている。


「キシュクシュ様」


 ゆえに、行動に出た。


「王子殿下に対してあまりに失礼な物言い。さすがに看過できません」

「ギアンテ? 急に何を」


 戸惑いを見せるのはヤルノ。無論これも演技ではあるが。


 一方のキシュクシュはにやにやと冷笑を崩さぬまま。彼女はギアンテの持っている自分への悪感情に気付いていた。


 彼女の王子へのほのかな恋心も、そしてそれが決して叶わぬのに、公爵の娘に生まれたというだけで彼の寵愛を受ける権利を持ち、あまつさえ王子を蔑んでまでいる自分に対して密かに憎悪の炎を燃やしている事にも。


 キシュクシュからすればそれすらイェレミアスの「気に食わない点」の一つであった。自分という婚約者がありながら、いつも女の警護を引き連れている。しかもその女が劣等な南方の血を継ぐ庶子であり、おまけに分不相応な恋心を王子に抱いて自分を敵視している。


「だって本当の事じゃなあい? 怪我する前に王別の儀なんて棄権した方がいいでしょう?」


 今度はあからさまに侮蔑の言葉を向けるが、それでも王子は苦笑いして穏やかな表情を浮かべているだけである。


(つまらない男)


 一瞬ではあるが、笑顔が鳴りを潜め、心の底からの冷淡な視線がキシュクシュの瞳に宿った。

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