第13話 決闘

「だってイェレミアス殿下が頼りないのは事実じゃなぁい? 少し調子が良くなったからって王別の儀をパスできるのぉ?」


 キシュクシュが王子を侮蔑することに合理的な理由などない。ただムカつくからやっているだけである。


 外見はいいが事なかれ主義で優しいだけがとりえのつまらない男。それが公爵令嬢キシュクシュの、婚約者イェレミアスに持つ評価の全てである。


「王子は強くなります。王別の儀も、きっと……」


 今も必死に弁護してくれている女の陰に隠れて苦笑しているだけである。侮辱しながら余計に腹の立ってきたキシュクシュはこの際ここで大恥をかかせて今後の力関係をはっきりさせてやろうと思い始めた。


「そもそも女のあなたの評価なんて当てにならないじゃない。殿下が可愛い顔してるから贔屓目になってるんじゃないの?」


「なっ……」


 思わず顔を赤らめて言葉に詰まってしまう女騎士ギアンテ。図星である。それが全てではないが。


「実力の怪しい人の評価じゃねぇ……たとえば、あなた私の護衛のヒルシェンに勝てるのかしら?」


 キシュクシュが後ろにいる若い男を指差す。イェレミアスよりは少し年上だがまだ年若い男。ギアンテの様に鎧は着用していないものの、彼はオーガン家お抱えの騎士である。


 如何に女と言えども近衛騎士。率直な侮辱である。「お飾りの女騎士など物の数ではない。それを連れている王子の実力も知れたもの」と言っているのだ。

 連れている護衛同士を立ち会わせ、これを打ち負かされた、となれば王子の評価は地に落ちる。そこに性差があったなどという言い訳は成り立たず、噂だけが駆け巡る事だろう。


「近衛騎士を……舐めすぎですよ」


 まるでスイッチが入ったかのように、ギアンテの纏う空気に殺気が滲んだ。一瞬キシュクシュの顔が怯える。トラの尾を踏んだ。彼女はあまりにも、無遠慮に騎士の領域に踏み込み過ぎたのだ。


「やるのなら……受けて立ちます」


 一方護衛騎士ヒルシェンは如何に女と言えども、近衛騎士の実力というものを重く受け止めている。しかしそれでも自分の主人が「喧嘩を売った」のだ。力によって国を支配し、広げてきたグリムランドにおいて面子は命にも勝る。「舐められたらブチ殺す」が鉄の掟なのだ。


「まあまあ落ち着いてください皆さん」


 二人の間に淀む殺気を切り裂くように割って入ったのはこの空気に似つかわしくなく柔らかい穏やかな声。ヤルノ扮するイェレミアス王子である。


(やっぱり、あんたはそう動くと思ったわよ……つまらない男)


 自分からけしかけておいて、その上で一時は怯えた表情を見せながらも、キシュクシュは場を収めようとするヤルノに冷たい視線を浴びせた。


 ギアンテに喧嘩を吹っかけて恥をかかせてやろうという気持ちは勿論あった。しかしその上で、そんな剣呑な雰囲気になれば何とかしてイェレミアスが収めようとするだろうことも予想していた。


(喧嘩はよくない、ここはどうか僕の顔に免じて、拳を下ろしてくれませんか、とでも言う気でしょう。予想通り過ぎてあくびが出るわ)


 もはや予定調和すぎてこの場に興味を無くしたキシュクシュは、王子に視線を送る事すらせずに中庭のシクラメンに目を奪われていた。


「ギアンテ、訓練用の木剣を二本持ってきてください。私がヒルシェンさんと立ち会って、実力を見せて差し上げましょう」


「なっ!?」


 驚嘆の声を上げたのは全員であった。


「何を馬鹿なこと言ってるの!」

「殿下、一体何を!?」


 慌ててほぼ同じような内容の言葉をかけるキシュクシュとギアンテ。ヒルシェンはもはやかける言葉さえ失って狼狽しているだけである。


 それもそのはず。互いの護衛同士が決闘したというのならば先ほど書いたとおりの事態になる。しかし王子と護衛が決闘したなどと言えば話は別だ。槍働きで召し抱えられている騎士が勝つのは当然。王子は負けても恥にはならない。


 一方騎士の方は大変だ。手加減をして相手に勝たせれば自分の主人の不興を買うし、だからと言って王子に怪我でもさせれば一大事。


 全くの無傷でゆるゆると剣を合わせて「大変お上手でございます」と適当なところで剣を引くか、勝ちを譲るか。しかし、この傍若無人な主人がそれを許すかどうか。ヒルシェンはちらりと主人の顔を見る。


 美しい顔が怒りに歪み、顔は紅潮していた。最悪の事態である。騎士になったばかりの年若い青年の身に余る境遇。


「王子、正気ですか!?」


 もはや頼れるのはもう一方、女騎士ギアンテの方である。ヒルシェンは固唾をのんでイェレミアス王子とギアンテのやり取りに目をやった。


「なぜです? キシュクシュは僕の実力を心配しているのだから、手合わせをするのなら僕の方でしょう。ヒルシェンさんとギアンテが手合わせをする方が意味が解りませんよ」


 道理であるが、道理でない。主君たる王子がいったい一騎士に過ぎない男と手を合わせて何を得るというのか。互いに失うものはあっても得るものはないのだ。


 ヤルノはギアンテの肩にぽんと肩を乗せ、穏やかに語り掛ける。


「僕とその護衛を馬鹿にされたから僕が怒っているだけです。ギアンテは何も心配することはありません」


 心配が無いはずがない。この一ヶ月、ヤルノはひたすらイェレミアスの人間関係の把握とこの国の歴史、地理、重要人物の情報などを叩きこまれてきた。


 最終的には剣などの武術も鍛錬を積む予定だがまだそこまで至っていないのだ。


 そしてキシュクシュは確かに今日会った時「逞しくなった」と言ったが所詮は社交辞令。瘦せ型のヤルノの体形はイェレミアスとほとんど違いがない。これはヤルノの「本物と明らかに体形が違っては替え玉になれない」という意見から、鍛錬をあまりしていない事にも由来する。


 要は、戦闘技術の修練を何も積んでいないのだ。その状態で騎士と決闘をしようというのである。


 一方キシュクシュの方もこのヤルノの申し出には怒り心頭である。


 それもそのはず。彼女から見れば「どうせ王族に刃は向けられまい」と高をくくって舐めた挑発をしているように感じたのだ。この申し出によって「今の話はすべてなかったことに」と矛を収めるか、もしくはやったとしても軽く剣先を合わせてなあなあで終わらせることになる、と予測して場を支配しようとしているように見える。


 下に見ていたイェレミアスがそんな態度を取れば自尊心の強いキシュクシュはこれに怒るのも当然。果たしてヤルノは初めて出会うこの少女の性質を読み誤ったのか。


 「ヒルシェン」


 少し離れたところでキシュクシュが狼狽し続けているヒルシェンをちょいちょいと指を曲げて呼んだ。


 ヒルシェンはこれに少し安堵した。


 今回の件、まだ年若い騎士が自分の判断で事に当たるのは難しい局面。丁重に謝って決闘を断るのか、わざと負けるのか、数回剣先を合わせてお茶を濁すのか。


 おそらくその指示をキシュクシュがくれるのだろう。すぐにヒルシェンは彼女の方に寄っていって耳を傾ける。キシュクシュは小鳥のさえずりのような可愛らしい声で彼に耳打ちした。


「殺せ」

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