第9話 男子三日会わざれば
「びっくりした……」
小さな声でそう呟いて、一人私室にこもった次兄アシュベル王子は一人掛けのソファに沈み込むように座った。
「間違いない」
薄暗い部屋には誰もいない。独り言である。自分の考えを整理するために喋っているのだ。
「あれは間違いなく本物のイェレミアスだ」
彼は事前に、噂レベルではあるが
イェレミアスは体が弱く、王別の儀をパスするのは非常に難しい。命の危険を考えたらそもそも儀式を受けないかもしれないと言われていたが、しかしあの野心家で執念深い王妃インシュラがそれで引き下がるとは思えない。
あまり宗教が強い力を持たないこの国では権力者が側室を持つことは許されており、インシュラは正室、長兄ガッツォと次兄アシュベルの母は側室である。
既に王別の儀を通過しているガッツォとアシュベルにとって、イェレミアスの儀式の成否は非常に意義が大きいのだ。
ならば、インシュラがイェレミアスに替え玉を使うなどという搦手も、もしかしたら有り得るのかもしれないと、それとなく注目してはいた。
そんな中で起きた一昨日のイルス村の火災である。生存者はまだ一人も見つかっていないという。
野盗や傭兵団が村を襲うという事件はこのグリムランドでもやはり日常であるが、「根絶やしにする」という事は滅多にない。その「滅多にない事」がよりによってイルス村で起きたというのなら、アシュベルは当然のように「替え玉」を疑い、イェレミアスにカマを掛けに行ったのだが。
「それにしても、イェレミアスにあんな一面があったとは……」
弟が懇意にしている女騎士がいることは知っていた。
ヤルノが思った通り、今まで見せなかった弟の強い反抗の意思を、次兄アシュベルは「替え玉」だとは考えず、「今まで見せていなかった彼の一面」であると判断した。
騎士ギアンテは弟イェレミアスにとってそれほど大切な存在なのだと。
アシュベルはソファに座り込んだまま、顎に手を当てて考え込む。
もし今回の
だが現在彼の頭の中では「イェレミアスが替え玉をたてるなどあり得ない」に傾きつつあった。
まず、先ほど彼に対応したものが「替え玉本人」という考えは真っ先に消えた。
「もし偽物だったら、わざわざ部屋から出てくるはずがない」
それはあまりにもリスクの大きすぎる行為である。しかも一見してメリットがない。
「仮に姿を見せたとしても、僕に対してあんな反抗的な態度を見せるわけがない」
イェレミアスの事をほんの少しでも知っている人間ならば、「怒ってみせる」などというリスキーな行動はとらないはずだ。
ならば、先ほどの「怒り」はイェレミアスが今までに感じたことがないほどの怒りを自分に対して持ったのだろうという思いにたどり着く。その方が自然だからだ。
「さっきは……ギアンテへの僕の態度に、怒りで我を忘れて王子の演技も放り出して激情を見せたのかと思ったが……よくよく考えてみればその方がおかしいか」
先ほどの自分の「勝利の確信」の穴を自分で見つけたのだ。
冷静になって考えてみれば村が焼き払われたのが二日前なのだから当然替え玉になってからもまだ最長で二日。
元々替え玉とギアンテが知り合いだった、などという荒唐無稽な事がなければ、替え玉とギアンテもまだ会って二日なのだ。
会って二日の女が目の前で侮辱されたからなんだというのだ。
そんな事で怒りを見せる男などいるはずがない。ましてやイェレミアスの普段の様子に反するような行動をとることで得られるものは、何も無い。
アシュベルは、そう思った。
だが、事実は違った。
ヤルノはそこまで読んだ上でリスクを承知で「疑いの視線」を排除するために、あえて怒ってみせたのだ。
ただ「疑いの視線から逃げる」だけの事を良しとしなかった。
可能な限り「疑いの視線」を「シロ」に傾けるため、その場で出来る最大限の演技をしたのだ。
イェレミアスの温厚で弱弱しい性格を知った上で、彼自身まだ一度も見たことのない「イェレミアスの怒り」の演技をしてみせることで、アシュベルの疑惑の念を拭い去ったのだ。
「あの目……」
アシュベルは先ほどの弟の視線を思い出す。
「どこまでも、真っ直ぐで、純粋な目だった……」
彼は、侮辱を許さない正義の怒りのこもったあの目の持ち主が「替え玉」などという不正を働くはずが無いとまで思い始めていた。
オオカミやキツネに狩られるだけで、逃げるしか能のないウサギでさえ、追い詰められるとその強靭な後ろ足で敵を蹴り殺すことがあるという。
その爆発力を弟の目の中に見ていたのだ。
「もしかしたら……『王別の儀』、自力で通るかもしれんな」
ヤルノの『偽物の目』の中に、ありもしない「弟の成長」までも見出していたのである。
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