壺の中の楽園〔後編〕

〔2〕


「それって、つまりは失踪してしまったということ?」

 そう黒諏が言い、俺はこっくりとする。

「うん……でも、その状況が少し変というか……なんだか不思議なんだ」

 お祖父ちゃんが忽然と姿を消してしまったのは、俺が八歳の時だった。

 多くの美術品や骨董品があるお祖父ちゃんの店は、なんだか秘密基地のようで、よく遊びに行っていたのだ。

 お祖父ちゃんは俺の顔を見ると、いつも嬉しそうに「よく来たなあ」と迎えてくれた。店の奥のお祖父ちゃんがいつもいる小上がりで、彼が蒐集したという骨董品を見せてもらったり、色々と話をしたものだ。

 今思うと彼の蒐集品には『いわく付き』のものが結構あったようだ。

「この簪は江戸時代のものだが、その時の持ち主の悲しい恋心が滲んでいるみたいでな、たまに夜になると泣くんだよ」

「嘘だあ、簪は泣かないよう」

 そう返せば、お祖父ちゃんは「それはどうかな?」と微笑み、俺の頭を撫でた。

 簪だけでなく、イギリス製のアンティークな懐中時計は、蓋を開けて耳を近付けると微かな波音が聞こえてきて、驚いてお祖父ちゃんを見れば彼は「数奇な運命で海を渡った時計だ。その時の記憶だよ」と笑みを滲ませた。

 こんな風に不思議な物が多数ある骨董店だったが、幼かった俺はそれを怖いと一度も感じたことが無かった。

「小鳥遊君の手繰り寄せ体質は、お祖父さんにもあって、曰くのあるものが自然と寄せ集まってきたんだろうね」

「今思えば、そういうことだったんだよなあ。でも、お祖父ちゃんもなんだかそういう出来事をどこか楽しんでいるようなフシがあったんだよね」

 あれは、お祖父ちゃんが失踪してしまう直前の事だった。

 いつものように骨董店を訪ねると、そこにお祖父ちゃんの姿は無かった。

 静かな店内には振り子時計がカチカチと時を刻む微かな音が響き、俺は無人の小上がりを見やる。

「お祖父ちゃん?」

 店内を一通り確認するがやはりどこにもいなかった。

 お祖母ちゃんからは店にいると聞いていたのだが、何か所用で出かけてしまったのかもしれない。

 そう思って、入り口近くにある本棚の図鑑に手を伸ばした時だった。

「涼や、来ていたのか」

 ハッと振り返ると、小上がりにはお祖父ちゃんがおり、俺は目を瞬かせる。

「あれ……お祖父ちゃん、さっきまで居なかったよね?」

「ちょっと壺の中にお呼ばれをしていてな」

 そう文机の横に置かれた壺を撫でる。それは高さ三十センチほどの白磁の壺で、低い立上りの口縁の長壺と呼ばれる形のものだった。

 壺の中に入っていたということ? そんなまさか。でも、出入り口は一つだし、店の中を確認した時には確かにお祖父ちゃんはいなかったはず……

 その不思議さに首を傾げていると、彼は手招きをする。

「お土産に水蜜桃を貰ったから食べよう」

 文机の上には瑞々しい桃が二つ乗っており、俺は「やったあ」と彼の元に向かった。

「お祖父ちゃんなら壺に出入りしても不思議じゃないかも、ってその時は思ってしまって、深く考えていなかったんだよね」

 黒諏は思案げに胸の前に腕を組むと「壺の中、か」と呟く。

「貰ったっていう桃を食べながら『壺の中には誰がいるの?』って訊いたら、お祖父ちゃんは『仙人みたいな人かなあ』って笑っていたなあ……」

「怪異とは少し違うけれど、壺中こちゅうの天地という故事がある」

 目顔で問えば黒諏は氷が大分溶けてしまったアイスコーヒーを一口飲んで、続ける。

「後漢の費長房という人物が、市中で薬を売る老人が壺の中に入るのを見て一緒に入れてもらったという話でね。壺の中には立派な建物がある場所で、彼は美味しいお酒やご馳走を楽しんだ、っていう話なんだ。そして、その老人の正体は仙人なんだ」

 まさにお祖父ちゃんの話していたことと一致しており、俺は瞠目する。

「そういえば、お祖父ちゃんが俺に『仙人にならないか、ってスカウトされているんだがなあ……どうしようかな』って言ってた……」

 ついでに、壺の中ってどんな所なの? と訊けば、彼は「そうさなあ、まるで楽園みたいなところだな」と袖手でにっこりとしていたっけ……

 そんな不可思議な事があった直後、お祖父ちゃんは煙のように姿を消してしまったのだ。

「悩んでいる様子もなかったし自分で失踪したというより、何か事件や事故に巻き込まれたんじゃないか、って皆で心配していたんだけれど……結局、見つかっていないんだよね」

 そういえば、お祖父ちゃんが居なくなってしまった後、あの白磁の壺はどうなってしまったのだろう?

 骨董店はお祖父ちゃんが失踪して暫くしてから畳んでしまい、蒐集していた骨董品などは一部を残して売ってしまったようだ。

 残された美術品は本家の蔵にあると聞いたことがある。

 その中に、あの白磁の壺はあるのだろうか……?

『こちらは壺中天地こちゅうてんちという名前の壺でして……』

 俺と黒諏はハッと息を呑んで、声のする方を見やる。店内のBGM代わりにつけられていたテレビには、白磁の壺が映しだされており、俺は思わず画面を指さした。

「く、黒諏! あれだよ……お祖父ちゃんの店にあったあの壺だ……!」

 黒諏も「ええっ!?」と声を上げ、俺達はテレビの傍へと急いで向かう。

 慌てふためく俺達の様子にスポーツ新聞を読んでいた巴さんが訝し気な視線をこちらにやる。

 どうやらそれは骨董品などを査定する番組のようで、壺は持ち主である中年男性が趣味の骨董市巡りで買ったものだと話している。

 注意深く映し出された壺に目を凝らすが、やはりあれは小さい頃に見たものと同じように思える。

『それでは、こちらの壺中天地のお値段、いくらでしょうか!?』

 そう司会者が元気よく言えば、にぎやかな効果音と共に電光掲示板に数字が映し出される。

 下一桁から順番にゼロの数がどんどん増えていく様子を驚愕しながら見つめていると、アップになった白磁の壺に異変が起きた。

「あっ!?」

 俺と黒諏は同時に声を上げる。壺の中からにょきっと手が伸びてきたのである。

 こちらに手の甲を向け、その節くれだった小指には見覚えのあるシグネットリングが光っていた。

「お、お祖父ちゃん!」

 小指に光る指輪は、間違いなくお祖父ちゃんがいつもつけていたものだった。

 壺の中から手が出ているのに、スタジオにいる人達は一切、その事に気付いていないようだ。

 というより、見えていないようだ。

『こ、これは驚きの金額が出ました!』

 刹那、画面が切り替わって司会者が声を上げる。隣に立つ持ち主の中年男性も表示された金額に唖然としている様子だ。

 もう一度、白磁の壺……壺中天地が映し出されると、壺の中から伸びている手は親指を上げたサムズアップをしており、そのままゆっくりと壺の中へと消えっていった。

 俺達は驚愕したままその様子を見つめ、黒諏が「ね、ねえ……小鳥遊君」とぼんやりと呟き、俺は「なに?」と返す。

「あの壺……買い取ったりする?」

 俺は自分でも情けない顔になっているのを感じながら首を横に振る。

「む、無理だ……だって高級外車や戸建てが買えちゃう値段だよ?」

「……だよね……」

 俺と黒諏は茫然としたまま互いの顔を見合わせる。

 どうやら、お祖父ちゃんはあの不思議な壺の中で生きているようだ。もしかすると、お祖父ちゃん自身も仙人になっているのかもしれない……

 自由人だったお祖父ちゃんの事だから、まるで旅をするように様々な持ち主のもとへと壺が渡っていくのを楽しんでいるのではないだろうか。

 そう呟けば、黒諏も「かもしれないねえ」と感慨深そうに頷いてみせる。

 それから暫く経って、俺は件の『壺中天地』と再会し、そこで怪異な出来事を体験するのだが、それはまたいつかの機会に話せたらと思う。


〔了〕

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