モーラモーラの聞こえない叫び

和田島イサキ

モーラモーラの聞こえない叫び

 おれの親友はマンボウだったのだということになった。

 以前ネットで見かけた話だ。マンボウっていうのは体がとんでもなく弱くて、やることなすこと全部死因になっちゃうのだと。本当かは知らない。あるいは海洋学者なんかが聞いたら憤死しちゃう類のデマかしらんが、しかしおれの知り合いに海洋学者はひとりもないので、そんなものは好きに死なせておけばよいということになる。まして憤死だ。「怒りくるいすぎて頭がアーッてなっちゃって死ぬ」とかいうウルトラおもしろ死因、おれは絶対うれしくなっちゃう自信がある。きっと指さして笑う。えーっなにあいつ、マンボウじゃん、って。

 おれの親友は結果としてマンボウだったが、しかし憤死ではなかったので特に面白くはなかった。

 自殺だ。わずか二十歳かそこらの若さでこの世を去った結果、おれから「あいつはマンボウだった」みたいなことを言われている。それも毎年。七月の二十日があいつの命日で、いやマンボウの命日なんかいちいち覚えてないから「だいたいこの辺」くらいの適当な記憶なのだが、とにかく真夏のクソ暑い一日にあいつは命を絶った。理由は知らない。遺書はなかったし別段そんなそぶりもなかった。だいたい三年か四年ほど前の話だ。五年だったかも。六年ってことはないと思う。

 仲は良かった。大学で知り合った級友で、なんでもできる天才肌の男だった。おれはもともと人の好き嫌いが激しくて、誰といてもすぐに喧嘩別れになってばっかいたのが、でもどうしてかこいつとはずっと一緒にいられた。悪いことも一緒にたくさんやった。悪いことというのは悪いことだ。言うと本当にドン引きされるので多くは言えないのだが、「よく被害届出されなかったよなおれたち」みたいなレベルの悪行っていうか犯罪行為を、でもこいつとなら笑いながらいくらでもやれた。楽しかった。きっとこういうのを友情というんだなって思った。自分がいもんの側にあるとき平穏無事にやれるのは普通だけれど、でもなんの正当性も道徳もない獣の所業を、一緒に楽しく分かち合える関係というのは本当に希少な気がした。

 なんで死んじゃったんだろうなあ、とときどき思う。もう死んじゃったものの内心をどんなに勘繰っても詮無いのはそうだが、例えば急に突っ込んできたでかいトラックに轢かれてだとか、そういうんじゃないのは本当に気の利かんやつだったなって思う。

 葬式には出なかった。正直迷ったし、出るのが礼儀だってのはちゃんとわかっていたけど、わかったうえで迷うくらいなら別にいっかということになった。

 だって、あんなに仲が良かったのだ。これで葬式なんかに出ちゃった日には、大声でワンワン泣いたりしないと格好がつかんなって思った。でもおれはそういう、何か狙ってビシッと格好つけたりするのが本当に苦手で、だって黙ってても普通に格好いいんだから仕方ない。顔がいい。女の子とか無限に寄ってくるし、それをあいつと一緒に滅茶苦茶したりさせたりして遊んで、そんな話をご遺族相手にしちゃうのもなって話だ。そういうことにした。実際には今思いついた即席の理由で、そのときは単に面倒くさかった。

 あいつはそこにいねえのに、あいつに会いに行くというのは意味がわからない。

 いたらもっと意味がわからない。なんというか、あいつは死んじゃってもういなくなっちゃったんだから、つまり今となってはもう過去の人間、おれの人生には関わりのないどうでもいい奴ってことだと、その考えが顔に透けちゃうのをおれは止めることができない。それはまずい。おれはこんなだけどあいつと違ってちゃんと人並みの常識があるから、きっと怒られちゃうなということをちゃんと知ってる。葬式は大変だ。泣く以外の感情表現は全部間違いで、そもおれがあいつとよく一緒にいたのは、あいつがそういう気遣いの一切いらない男だったからだと思い出す。

 それが死んだ。よりにもよって自殺だ。こうなるとおれから言えることはひとつ、「よくよく思い返すと死んで当然のクズだったよな」ってことくらいで、だってそうでもないとおれは何してたのって話になる。

 事故死や病死ならいい。突然のトラックならおれには止めようがないし、謎の難病とか憤死とかでもそれは一緒だ。でも自殺は困る。そりゃおれだって「死んだほうが楽だな」って場面は人生に何度かあったりしたけど、その都度おれなりの〝ハッピー〟や〝たのしい〟を集めてうまいこと「いい感じの人生」の体面を整えてきたわけで、つまりあれだ。インスタ。みんなでえる写真とかあげて「いいね」しあったりするやつ。キラキラした最高の人生の上っ面は、たとえハリボテの宝箱でもこれがなかなかバカにできないもので、騙し騙しやっていくうちにこれが意外となんとかなったりならなかったりする、その積み重ねがすなわち人生ってやつなんだろうなとか知らんながらに思う。

 おれの場合、その一番でかい「なんとか」があいつだった。でもあいつにとってはその「なんとか」が本当になんにも、おれの存在含めて一個もなかったみたいで、そうなるとおれとしては「じゃあいいや」って話になってしまう。

 惜しくはあった。だって本当に優秀な男だ。あいつとふたりならなんでもやれたし、あいつと見て回る景色はなんでも嘘みたいに綺麗で、もう毎日バカみたいに楽しかった。生きててよかった。それこそ初めてマンボウの死ぬ話を聞いたときみたいにゲラゲラ笑って、そんなハッピーが毎日続くとかもう本当になんの奇跡だって話だ。ヤッターおれの人生全部最高! とまで言わないにしても、でも人間生きてりゃそう悪いことばっかでもねえもんなんだなと、おれに初めてそう思わせてくれた頭のいい男がでもサクッと死んだ。

 勝手に。おれになんの断りもなく。それも肩透かしを食らったおれの、立つ瀬がどこにも無くなっちゃう形で。

 身も蓋もないことを言ってしまうと、おれはあいつのことが好きだった。正確には、おれのことが好きなあいつのことが好きだ。問題は、向こうはどうやらおれが思っていたほどにはおれのことを好いてはいなかったっぽいことで、でなきゃ黙っていきなり死んでみたりなんかしない。命の瀬戸際ににいちいち人のことなんか気にしないってのはそりゃそうだろうし、なによりおれはそもそも好かれるに足るほどの人間でもないという自覚もあるけど、それはそれとしておれは人から軽んじられるのが嫌いだ。気にくわない。特にここまではっきりした形で、「自分にとってお前はその程度の存在でした」と、内心はどうあれ行動と結果によってそう示されたりなんかしちゃうと、おれだって「ああそっか、死ね」くらいの気持ちになる。

 別におれのことなんかそこまで好きじゃなくったってよかった。いや全然よかないけど、でもそんなんで死んじゃうくらいなら別に嫌いでもいい。優秀な男で、生きてるだけでいろいろ有利で便利なはずが、でも死んでしまえばそれもない。無だ。本当になんだったのあいつって話になる。おれとしては最悪あいつに寄りかかって生きていく気満々で、でもそれが急にいなくなっちゃって、なら最初から出てくんなよバカというこのおれの底知れない怒りの、その持って行き場を見つけられないままこうして三年だか四年だかが過ぎた。

 もうあの頃みたいな無茶もしていない。なんか言い寄ってきた女の子が、でも思っていたよりだいぶブスで中身もアレだったからと、適当に山奥に捨ててゲラゲラ笑ったりするようなこともなくて、だってそれは隣にあいつがいたから楽しかった。同じものを見て、同じものを分かち合ってふたりで笑う、そんな当たり前の青春を初めて教えてくれたのがあいつだ。だからあいつが悪い。おれの悪行は全部あいつにそそのかされてやったようなものだと、こうして死人に口なしとばかりに罪を全部押し付けてみたとて、やはりこのやり場のない苛立ちを埋め合わせるにはまだ全然足りそうにない。

 冗談じゃなかった。いやおれこんな女々しいのヤなんだけどと思いながらも、それでもおれはあいつに腹を立てるのをやめることができない。

 ——バカ丸出しじゃんか。

 おれの方ばっかり、お前のことこんなに好きで。

 今となっては心底嫌いな相手。こうしてスッと「じゃあいいや」ってなれたこと、それ自体が結局あいつへの執着の証だ。可哀想なのは死んだあいつじゃない。それをなくしたおれの方で、あいつ自体はもうどうだっていいやもう死んじゃってんだしと、そういうことにでもしなきゃとてもやってられない。生きられない。こうしてクズのカスの薄情者の、あれだけ親しかった相手に線香の一本もあげない人でなしの冷血漢なんだおれはって思い込むことで、どうにか騙し騙し歩いてきた三年だか四年だかだった。もし冷静に自分と向き合って、そこに子供のワガママじみた情けない執着を認めてしまえば、おれはきっとこの先もう恥ずかしくってまともに生きてなんかいけない。

 ひどい話だ。いまも色褪せることなく思い出せるあいつの笑顔、一緒にバカやってゲラゲラ笑ってた最高の日々が、でも思い出すたびおれの繊細なハートを責め苛む。結局あんな風に笑ってたのも全部嘘で、おれじゃあいつをこの世に引き止めるにはまるで足んなくて、それどころか相談にも愚痴にも不足のどうでもいいつまんないカスでしかなかったのだ——と、それをおれの自虐とかでなく「ただの客觀的な結果」として確定させられちゃってるのがもう本当に「おれお前にそこまで悪いことしたっけ」って思う。

 言っちゃ悪いんだがやっぱり自分で死ぬような奴は所詮自分で死ぬような奴だ。ワガママで身勝手で自分のことしか考えてなくて、だからおれもそうしたって文句はねえだろって思う。可哀想なのはおれだ。大事な友達がいなくなっちゃったおれ。あいつのことは知らない。なんで死んだのとか、裏でそんなにいろいろ抱え込んでたのとか、そんないくら考えても答えが出ないし取り返しもつかないことを、延々考えるだけ無駄だし無意味だ。バカだ。あいつは頭と性格の悪いヤな奴だから順当に死にましためでたしめでたしと、そう思って忘れちゃうのが一番いい。そうしてる。努めてそのようにしているのだが、でも生きていくってのはそう簡単にはいかないもので、時折こうしてつい思い出しちゃったりしている。特に七月のクソほど暑い夏の日、こんな風にセミなんかがミンミン鳴いてたりなんかすると、うるせえなお前らが死ねばよかったんだと、そう思うついでにむくりと鎌首をもたげたりする。

 ——なんで死んじゃったんだろうなあいつ、って。

 マンボウだからじゃん? と二秒後、そのいらん考えを打ち消すために思う。

 あるいは海洋学者が聞いたら怒るかしれない。お前の身勝手な感傷のためにマンボウを殺すなと。うるせえ死ねと思う。おれは別にマンボウでもセミでもなくてお前でいいんだ、とも。どうせ面白いやつのいなくなっちゃった人生、なんなら後を追ってもいいかなとも思ったんだけど、でもそれじゃあいつとおんなじになっちゃってここまで垂れてきた文句が全部嘘になっちゃうからやめた。おれは死なない。マンボウじゃないから。死ぬくらいなら殺す方が楽だし得で、なぜならこの世のどこかにいるともいないともしれない、おれのこと好きな誰かを裏切らなくて済む。三千世界の海洋学者を殺し、あいつはもういないけどひとりゲラゲラ笑って、そんなんでなんの餞にも抵抗にもなるとは思わねえけど、でもそれしかないならそれでいい。死ぬよりゃいい。人生はインスタだ。嘘でキラキラしているうちに、なんか本当にキラキラしてくるみたいな都合のいい話はなくても、なんかそんな気分にだけにはなっちゃってだからいいかこれはこれでってなる、それくらいの鈍感さと頭の悪さだけを支えにして進むだけの道だ。

 あいつとは違う。良くも悪くも、こうして死なずにいられる間は、おれの人生はおれだけのものだ。

 本当かは知らない。なんかデマらしいってどっかで聞いた。でもおれにとってはもう決まったことで、決まったことならもう振り返らない。

 夏が来る。来るたびに何度でもおれは思う。

 おれの親友はマンボウだったのだということになった。




〈モーラモーラの聞こえない叫び 了〉




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