帰省

駅前商店街

 先日、田舎へ帰りました。


 夜の迫る夕暮れ、たった一人寂しくローカル電車に揺られて。


 帰ったところでもうすでに両親も亡く、実家もありません。


 ただ、何となく……。


 駅前の商店街もさびれていました。


 もっとも、私の学生時代、もう30年以上も昔ですが、そのときから決して賑わっていたわけではありませんでしたが。


 それでもあの頃はまだ商店街の入り口、アーチの看板もきれいでした。


 電車から見る限り店の灯りはほとんどなく、駅から出れば街灯も暗かった。


 田舎のこと、もともと夜は早かったのですが。


 間もなく日は暮れてまっくら。


 何となく、ただ何となく、闇夜あんやの商店街を歩きました。


(こんなにも……、夜の底に落ちたような商店街になったのか)


 懐かしいという感覚は、ほんの少し。心の奥、うずくように。


 記憶のなかで多少は美化されていた姿も、変わり果てていた現実に感傷も何も、風に吹かれたように消え失せたのかもしれませんが。


 昔、学生アルバイトで働いていたことがあったんです。


 居酒屋です。


 商店街の奥にありました。


 観光地でもない、ありふれた山間やまあいの町の、唯一といっていい夜の憩いの場でした。


 あの時すでに店の大将はけっこうなお歳でしたから、もうさすがに店は閉めているだろうと思っていました。


 それでも足はそこに向かったのです。


 ところが、店には灯りが点いている。


 暗い道に、いっとき暖かさを与えるように。


 賑わう声は聞こえてこないけれど、暖簾のれんも出ていました。


 ごくりと息を一つのみ、緊張に震える手で、引き戸を……。


「いらっしゃい」


 少しくぐもった、まるで客が来たのを嫌がるようなその声。


(ああ、変わらないな)


 すぐに私は分かりました。大将本人がまだ店をやっているのだと。


 頑固な人でしたから。


 さびれた商店街でも、過疎が進む町でも、きっと『そんなことは関係ねえ』って。


 私は奥のテーブルに座りました。


 ほこりのにおいが少し鼻につきましたが、むせかえるような酒のにおいと、大将が作る素朴な煮物のにおいにそれはすぐかき消されました。


(さすがにもう覚えていないだろうなあ)


(俺もずいぶん変わったから……)


「よく、来たな」


 いつの間にこちらに来たのでしょうか。大将は水の入ったコップを静かに置くと、無表情のままでそういったのです。


 涙があふれました。


「おいおい、なんだ? 久しぶりに来たと思ったら……」


 覚えていてくれた。


 それだけでもう、私は胸がいっぱいでした。


 あの日、私は逃げるようにして町から旅立ったのに。


 こんな陰気な町にいつまでもいられるかと。


 若気の至りでしたが、世話になった大将にも何も言わず。


「まあ、いろいろあったんだろうが、とにかくなんか食っていけ」

「酒も出すぞ」

「もう、おまえは飲めるんだろう? 当然か。ずいぶん老け込みやがって」


 薄く笑った大将こそ、小さくなったと私には見えました。


 強く、大きく、何より厳しく、怖い人。


 そう見えていたのに。


 散々、飲み食いしました。


 大将を相手に、なにかこう、お恥ずかしい話、仲たがいしたままだった父に甘えるように愚痴も垂れて。


 客は他に誰もおらず、夜が更けても来なくて。大将はずっと付き合ってくれました。


 私だけがしゃべっていた気がします。


 大将はあの時と同じ、黙って聞いていただけでした。


 眉間にしわ寄せ、口はへの字に結んだまま。でも決して、私の話を遮らない。


 あの頃のままに。


「お代? いいよ、そんなもんは」


 渋る大将にも、私は押し付けるようにして財布の中のすべてのお金を渡したのまでは覚えています。


 


 目が覚めたのは、駅のなか。ベンチで。


 山のてっぺんにまぶしく光る朝日が私を起こしました。


 すっきりした気分でした。


 帰ろう。


 私は立ち上がりましたが、後ろ髪引かれる思いもありました。


 帰りたくない。


 辛い都会の現実にまた戻らなければいけないのか。


 それならいっそ、大将のところでまた働かせてもらえないだろうか。


 今さら……、だろうか。


 叱られるだろうか。


 けれど大将のいかつい、けれど優しい笑顔が頭をよぎると、もう居ても立ってもいられず、また商店街へと足を向けました。


 早朝の商店街など、夜と同じく静かなものです。


 小鳥だけが「チチチ」と、鳴いていました。


 いや。それ以前に、もうどの店も営業されていないような……。


 ずいぶん前から商店街の態をなしていないよう。


 朽ち果てた、まるで映画のセットのよう。


 でも、大将だけは……。


 胸騒ぎにいつしか駆け足になっていました。


 店はもう、暖簾もしまわれ閉まっている。


 当然でしょうが、しかし様子がおかしい。


 当時から古い店でしたが、昨日はあのときのまま営業されていたはず。


(昨日の夜、こんなにもボロボロだったか?)


 家というのは、誰も住まないと途端に風化してしまうものです。


 魂の抜けた、崩れかけた空き家。


 そうとしか見えないのです。


 胸騒ぎに心臓はドキドキと痛いくらい高鳴り、息も荒くなる。


 私は思いきって店の引き戸に手をかけ……、ガタガタと音を立てつつも戸は開きました。


 なかはほこりだらけ。床も、壁も、ぼろぼろ。風穴さえ開いて、壁から朝の光が、割れた窓から風も入ってきてヒューヒューいっている。


 奥のテーブルだけがきれいでした。


 ついさっきまで人がそこにいたような、そこだけほこりも何もなかったのです。


 そのテーブルの上に、一通の古い、古い、それもまたぼろぼろの封筒が置かれていました。


 給料袋でした。


 日付は……。


(あの日!)


 私が町を出た日です、間違いありません。


 その月の給料ももらわず、親とけんかの勢いのまま、私は電車に飛び乗ったのです。


 給料袋には私の名前。


 なかには手が切れそうなほどの、インクが手に付きそうなほどの、ピンピンの旧札。


(あ、あ、あああ……)


 はっきりとは覚えていませんが、そのお金は昨夜、大将に支払った代金。


(う、うう、うううう……)


 声もなく、嗚咽だけが……。


 私はむせび泣き、その場にくずおれました。


 ありがとう。


 ありがとうございます。


 給料袋を握りしめ、私はただずっと泣いていました。

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