第36話 エピローグ



 王太子と聖女との結婚式の最中に、魔族が聖女を殺してデュンケ城を魔界に変え、フォーデルハイド伯爵家のリディアーナがバルトロイ家の養子と、アレン王太子と共に魔族を倒して、囚われていた王侯貴族を救出した――……巷ではそんな話が流れているとリディアーナが聞いたのは、あの舞踏会から三日後のことだった。


(――何かが付け加えられている)


 アレン王太子の活躍などまったく記憶になかったが、わざわざ訂正させるほどリディアーナも暇ではない。すでに王家との密約も済んでいる。


 王は、王家の威信を守るためにリディアーナに取引を持ち掛けてきた。

 リディアーナの出した条件は、今後リディアーナとバルトロイ家に一切干渉しないこと。その代わり、王都での事件について沈黙を守ること。


 リディアーナとしては、アレン王太子がひとりで活躍したことにしてほしいくらいで、そこまで条件で出したいくらいだったが、リディアーナは城に入る前に多くの人々の前で名乗ってしまっているため、それをなかったことにはできない。


(勢いで名乗るものではないわ)


 反省した。


 だがリディアーナが名乗ったうえでハイポーションを集める指示を出したからこそ、その後の回復術士と薬師による治療もスムーズにいったのだから、あのときはやはりあれが最善手だったと思った。


 王家よりも被害を被っているのは教会だった。

 聖女が魔族に殺されたことになってしまい、しかも死体を利用されていたということで、教会の威信はがた落ちである。


 何やらリディアーナこそが本当の聖女だったことにしようとする動きまであるらしい。

 なんて恐ろしいことを考えているのかと、リディアーナは戦慄した。魔族の魂を持つものを聖女にしようとするなんて。


(あちらも反省が足りないわね)


 もちろんそれに応じるつもりはない。

 そしてリディアーナを聖女にしようとする動きと同時に、ハイヒールで多くの人々を魔界の冷気から救ったフィオを聖女にしようとする動きもあった。そのためフィオはリディアーナがバルトロイ家で匿っている。


 元々フィオは貴族の愛人の子で教会で育てられていたが、生来強い神聖力があり、聖女にされそうになったがそれが嫌で教会から逃げ出したらしい。そして冒険者をしていたエリカと出会って相棒となった。

 王都に来たのは新しい聖女が決まったので安心して様子を見に来たためであったが、こんな騒動に巻き込まれてしまって本当に運がないとフィオは言っていた。


 状況が少し落ち着けば、カインの飛竜で辺境の街に行くことになっている。勿論エリカと共に。

 魔族との戦いの最前線である辺境では、冒険者の存在は貴重である。


 リディアーナは王都を出る前に、実家であるフォーデルハイド伯爵家にヴァルターとともに訪れた。借りたドレスと宝石を返すため、そして父――伯爵の見舞いのために。


 伯爵の容体は良好で、リディアーナとヴァルターに祝福の言葉をかけてくれた。後遺症などはないらしい。安心して辺境に帰ろうとしたところ、メイド長のマーサがリディアーナに声をかけてくる。


「リディアーナ様、お客様が――」

「私に?」


 伯爵家の方に来てリディアーナに用があるなんていったい誰なのか。マーサはどうやらその訪問客に口止めされているらしく答えは得られなかった。

 そしてその訪問客はリディアーナにだけ用があるらしい。


 裏口から逃げ出そうかと思ったが、伯爵家の中で騒ぎを起こすのも望ましくない。リディアーナはヴァルターに待つように伝え、ひとり玄関ホールに赴いた。

 そして驚愕した。


「リディアーナ!」


 リディアーナの姿を見つけて嬉しそうに顔を輝かせたのは、アレン王太子だった。


「王太子殿下……もう御身体の方は大丈夫なのですか?」

「ああ、もちろんだ」


 笑顔が眩しい。


「それはよかったです。本日は、どのようなご用件で?」


 嫌な予感がしつつも問う。

 その返答は、アレン王太子が抱えていた大きな花束だった。


「リディアーナ、どうか僕の元へ戻ってきてほしい」


 戻るとは――もしかして、再度婚約したいということなのか。アレン王太子はまさか腐肉に埋もれながらリディアーナに言ったことを覚えていないのか。覚えていたら、こんな厚顔無恥なことはできないはずだが。


「……王太子殿下。私は陛下と約束をしています。王家は二度と私とバルトロイ家に干渉しないと」

「でも僕は、君を愛しているんだ」


 ――愛。

 その言葉の軽さに驚く。薄っぺらくて、まったく心に響かない。悲しいほどに。

 そしてアレン王太子の目的が本当に再婚約だけだとわかり、リディアーナはまた悲しさを覚えた。


「私の夫は生涯ただ一人です」

「大丈夫だ、リディアーナ。僕は君のすべてを受け止める!」


 何が大丈夫なのだろうか。リディアーナにはその思考回路がわからない。

 わからないから――確かめてみることにした。


「王太子殿下。もし私が、魔族の生まれ変わりだと言ったらどうしますか」


 アレン王太子の顔が引きつる。彼にとってあの夜のことは思い出したくもないことだろう。魔族にも魔物にも、これから一生関わりたくないことだろう。だからすべて忘れているかもしれないが、魔族に対する恐怖は覚えているようだった。


 リディアーナは返答を待ってみた。

 しかし、彼は沈黙したまま何も答えなかった。


 アレン王太子も薄々気づいているはずだ。リディアーナが普通の人間でないことに。

 それでも再度婚約の打診をしてきたのは、リディアーナにその価値があると感じているからだろう。愛などではない。


「――王太子殿下、私は辺境にてこの国を魔族から守ります。王太子殿下もどうか気をつけてお帰りください」


 王太子を追い返し、リディアーナはふらふらと応接室に入る。そこには待たせていたヴァルターがいる。


「リディ――俺が片づけてきましょうか?」


 王太子が帰っていった方角を見ながら言う。

 どう片づける気なのだろう。


「そんなことはしなくていいわ、ヴァルター……そうね、最後に、少しだけ外に出ましょうか」


 リディアーナは伯爵家から出る前に、最後に母の愛したバラ園に訪れた。バラ園はもう花の季節は終わり、つやつやとした夏の葉が輝いていた。

 爽やかな緑の匂いに包まれながら、夏の光に指輪を照らす。赤い、《炎の魔女》の鎖の指輪を。


「ヴァルター、私はあなたに謝らなければならないわ」


 ヴァルターに背を向け、バラの葉に触れる。瑞々しい感触に。そのすぐしたには鋭い棘がある。


「私はあなたの意思を無視して、命の炎を共にしてしまった」


 左手の赤い指輪は、内側で炎が燃えているかのように揺らめいている。


「……これから何年、どのように生きるのかもわからない。人の寿命で死ぬのか、魔の永遠に近い時間を生きるのか、それすらも」


 魔族が老衰で死ぬなんて聞いたこともないため、寿命がどれだけあるかはわからない。魔族は同族や人間に殺されて死ぬのが命の終わりだ。


「確かなことは、あなたの命の炎は確実に縮まってしまっていることよ。人間の私と、分かち合ってしまったから」


 魔族にはないはずの寿命というものができてしまった。

 それだけではない。魔族だったときの記憶と権能を引き継いでいるとはいえ、リディアーナは脆弱な人間だ。いつ病や怪我で死ぬかもわからない。


 そんな運命にヴァルターを巻き込んでしまった。


「――リディ」


 背中にそっと声がかかるが、振り返ることができなかった。


「あなたのいない間、俺は冬の嵐の中を彷徨っているようでした」

「…………」

「それに耐えられたのは、あなたのくれた温もりがあったからこそ。暗闇の中を永遠にでも彷徨うことができたのです」


 そんなものがあったとしても、それはきっと小さな灯火だ。

 心を温めるのには不十分な小さな種火だ。

 そんなわずかな熱を頼りに、先の見えない暗闇を、雪の吹き荒ぶ厳冬を歩くのは、どれだけ苦しいことだろうか。


 眩しい夏の日差しの中では、想像もできない。


「――俺はもう、あなたのいない世界に耐えられない」

「ヴァルター……」

「永劫に意味などありません。あなたと共に刹那の時を燃えるように生きられるのなら、これ以上の喜びはないのです」


 背中からそっと抱きしめられる。

 その腕の力強さと優しさに、リディアーナは目を細めた。これほど安心できる抱擁はなかった。


「ヴァルター、私もよ」


 前に回る手に、指輪を重ねるように手を重ねる。


「私も、嬉しいわ」


 共に生きて、共に死ねるのなら。これほど嬉しいことはない。


 ――これから先の未来、どうなるかはわからない。多くの苦難や耐えがたい別離があるかもしれない。だがこの瞬間は、喜びに満ちている。

 だからこれから先もきっと、どんな困難も乗り越えられる。

 心からそう信じれられた。





 ――その後。


 辺境に戻ったリディアーナ・フォーデルハイドは結婚し、バルトロイ家の女主人となる。結婚後は夫婦仲睦まじく過ごし、辺境の防衛と発展に心血を注ぎ、辺境はやがて独立国家として繁栄していく。

 その地を見た人々は、その場所を『黄金の花』と呼び、咲き誇る栄華を讃えたのだった。



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前世魔族の伯爵令嬢です。家から捨てられたら忠誠心の強すぎる従魔と再会し、魔王だった記憶が戻ってしまいました。私は辺境で慎ましく暮らしたいのですが 朝月アサ @asazuki

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