後編 ハーレンのジレンマ

 あれから半年。私は反乱軍もとい怪異討伐隊を国に創設させた。人間というのは案外話がわかるようだ。てっきり、そんな話信じられるか。確かにこの国の夜はおかしいが、それとその怪異は関係ないだろ。俺たちは俺たちの生活のためだけに生きているんだ。他の人間など知らん……こう言うと思っていた。どうやら国民全員が結託して与党を変えたようだ。私は人間界の政治にそこまで詳しくないが、与党野党くらいならわかる。それがひっくり返るのがどれだけのことかもわかる。ようは不満爆発っていうことなんだろう。怪異の世界は国ごとにあり、私はポルトガルの怪異世界からこの国の怪異世界へ、人間の言葉で言うなら引っ越しをしてきた感じだ。この国の怪異王はきっと外国に援軍を要請するだろう。そうだとしても、そうだとしなくても、気になることは──


「怪異は確かに母数は少ないが、自衛隊と米軍と私とこころざしを同じくする怪異たちの三つが合わさって勝てるものだろうか……。協力を仰いでおいてなんだが、こいつらは人間だぞ? 人間の兵士は戦のあと、同族を殺したことがトラウマになって精神疾患にかかってしまう。そんな脆いやつらが果たしてどこまで活躍できるだろうか……」

「まあまあ安心したまえハーレン君。僕はね、この戦争に勝てば英雄として讃えられるんだ。君と、早織ちゃんと、エクスタシー大統領と共にね。僕はこれが夢だったんだ。戦争を起こせないこの国で英雄になるにはこの地位に着くしかないと思った。だが……言われるのはいつもお前の政治はおかしいということだ。しかし、観てみろ。今やマスコミ各社、SNS全てが私への賛美で埋め尽くされている。もちろん、君たちの名前も入っているから、僕が手柄を全て奪おうとしてるわけじゃないからね……はぁん? なんだテメェ! この九六くろくに向かって【死ね】だと! こんなも──」


 パシッ


「……! ハーレン君。すまない。僕はどうしても頭に血が昇ると我を忘れてしまうんだ」

「何回目だ。もうかれこれ三桁くらいはこのやりとりしているぞ。やはり人間は嫌いだ」

「それ以上に憎いんだろぉ? 同族が」

「そうだな。とても憎い。だが、いつかはお前も始末しないとな」

「ほっほっほ。やれるものならやってみるが良い。そんなことしたら、君は英雄を殺したになってしまうぞー」

「別に何の脅しにもなっていない。私は悪として生み出された存在だからな。だが、今最優先すべきはお前じゃない。だが、お前が今後英雄としてぬくぬく生きていけると思うなよ」

「ふん……」


 私は乱暴に扉を開けると、九六総理大臣の部屋から出ていった。もうこの空間には堪えられない。私は何よりあんなやつくろくと組むことが嫌だった。兵士は腐っても正義の心を持っている。なのにあいつはなんなのだ。権力の欲に溺れた醜い豚野郎だ。国民には本性を隠しているから、本当に奴を英雄視する馬鹿もいる。当たり前だ。この態度は私の前でしかとらない。一緒にいることがかなり長いが、誰かがいるところ、盗撮盗聴の疑いがある場所ではまるで優しいおじいさんかのように振る舞う。国民は驚くだろうな。もしこいつがこんなやつだと知ったら。

 いかん、イライラすると怪異の力がとても昂ぶる。この力は、絶対に簡単に使ってはならない。それは私が一番良くわかっている。先祖代々この力で神の加護圏外を支配していたのだ。人間の奴隷を何億人と作らせ、魔性のミルクで一瞬で成長、即戦力。私はやろうと思えばそれをやれる。やれば、援軍なんかいなくても、早織からでる魔性のミルクで兵士を量産することができる。だが、やらない。武士道とは正々堂々戦うこと。相手はきっと卑怯な手を使うだろう。それに武士道で勝つことは奴らにとって最大の屈辱……! 私たちはズルをしても勝てませんとわからせてやるのだ。もう私と早織は鍛錬を積んで半年前あそこで出会ったときより圧倒的に強くなった。地蔵の雷さえ耐えられる強さになった。怪異王に正面向かって勝てるかはわからないが、二人で分かれて戦えば、チマチマとは削っていけるはずだ。そうしてどんどんダメージを蓄積させていって……


「最後は四人でドーン! ですよね」

「! 早織……お前いつからここにいたんだ。ここは首相官邸だぞ。いくらお前でも簡単には入れないはず……そうか。チョコか」

「あったり〜」

「フフ、オレ、サオリネエチャンノヤクニタテタ」

「はぁ、まったく……いつから話を聞いてたんだ? 私の考えてることを読むのは勝手だが、余計なことまで頭に入れるなよ。余計なことを入れれば入れるほど戦いの質に違いがでるんだからな」

「うーんと、ハーレンさんが部屋から現れてからです。中での話を聴くなというのはあなたから釘を痛いほど刺されていますし、あまり良い会話内容じゃない気がするので……」


 そういうところは律儀なんだな。偉いんだか悪いんだかわからない。だが、チョコの力を濫用してここに許可なく立ち入ったのは事実だ。しつけてやるべきだろうか。いやでも、話は聴いてないしな……悩みというのは日々増える物だ。生きれば生きるほど悩みの種はかれる。その度になんとか解決しているが、今回の件はどうするべきだろうか。


「ハーレンオジサン、マタコワイカオシテルヨ……」

「そうね。きっとまた難しいことを考えているんだわ。でも、もう口にはださなくなっちゃった。強くなったんだね、きっと。少し寂しいかも」

「敵にペラペラと情報を渡すわけにはいかないからな。仕方あるまい。さあ、あと少しで演説の時間だ。お前たちは裏方でスポットライトを当てる仕事だから頑張れよ。相手に照準を合わせる鍛錬だと思え。あ、九六とエクスタシーにはテキトーに当てて良いからな。それじゃあな。またあっちで会おう」

「えー、ハーレンさん、もうちょっと話しましょうよ。この戦い、私たちは生きて帰れるかどうか分からないんですよ? だから……ぐすっ……」

「今さら怖気おじけづいたか」

「死ぬのは怖くありません! 私は、私はハーレンさん、チョコ、ピーチちゃんの四人での暮らしが終わってしまうことを恐れているのです。このまま争いなんて起こらなければ、皆んなで幸せに暮らせることだってできるのに……」

「情……か。そりゃあ湧くよな。だが戦いでは情けなど無用だからな。もしその生活が崩れるのが怖いのなら、私だけで行く……どうする? まだ決められるぞ」

「……いいえ、私たちも戦います。この生活は、放っておいて続く幸せではありません。この争いを終わらせなければ始まらない、本当の幸せ」


 早織の目から涙が絶えず流れ続ける。チョコとピーチもなんだかしゅんとしてしまっている。しかし、お前たちよりも私の方が悩んでいることは多いぞ、年齢的に。いや、年齢など関係ない。今この時に悩みは発生した。私はこの国の怪異を根絶やしにすることを決めている。そうなると、怪異王を倒したら、私とチョコとピーチはどうなってしまうのだろう? 勝っても幸せが保てないのではないか。そう思ってしまうともう止まらなかった。半年間、鍛錬に夢中で考えたこともなかった。私は色欲と性欲を司る上級怪異。しかしそれはただ単に繁殖を促すのではなく愛を育んでいたのだ。この私がそうなるとは思いもしなかった。しかしこのことは早織のためにも秘密にしておかねばならない。しかし、いや、やはりSNSでは私とチョコとピーチに対する処遇で時々論争が起きている。このことが九六やつの耳に入っていてもおかしくはない。いずれにしても私は処分されるのだろう。早織と駆け落ち……というのも限界がある。国外逃亡……いいや、迷惑者が増えるだけだ。いっそこの星から逃げだすか……いやいや、いくら上級でも宇宙で生きられる術など使えない。やはり、私たちは……思わず拳を握る。


「くっ」

「ハーレンさん……ちょっとこちらに」

「……なんだ。熱はでてないぞ」

「そうじゃないです。ほっぺたをこちら側に近づけてください」

「んん? わかった」


 私は言われるがままに頬を早織の顔に近づけた。早織がこんなに積極的なのは、やはり私の運命を察しているからだろうか。何をされるかは想像がつかない。しかし顔に近づけるということは……


 ちゅ


 やはり、口づけだった。なぁに、今さら驚きはしない。この女さおりは既に色欲及び性欲怪異の私と共にいることで色気づいているのだ。そんなことではない。真に驚きなのは──


「ハーレンさん、私をここまで理解してくれたのはあなたが初めてでした。戦いの前夜、私と、その……」

「! ななな、何を言うか! 私は未亡人だぞ! 人じゃないけど! そそそそんなことできない」

「私のはらわたを食い破られても良い。あなたの子どもになら。奴隷にされても良い。あなたの子どもになら。奥さんのことはよく話されたのでわかっています。ですが、あなたのような方が殺されて一族が途絶えるなんて……耐えられないです」


 やはりやるなら自分一匹でやるべきだった。しかし、今さら戻れない。今、私が彼女にしてやれることは一つ。


「大丈夫だ。私はなんとかして生きていく方法を見つける。怪異王が地蔵を狙っていた目的を覚えていないか」

「まともな生物としてやり直せるんですよね」

「そうだ。だから、全てが終わったら、私は……お前が許すのならば、あの地蔵を使って人間になろうと思う」

「まぁ」

「私はな、元々は鳥になりたかったんだ。一度、この大空を我が物にしたい。そう思ってな。この汚れた施設の窓からも良く見えるだろう。この澄んだ青空。どこまでも広がる大空。人間になんか絶対なるかと思っていた。機械を使わねば空を飛べない上に、クズばかりだ。あれほど醜い生物になど、なりたがるやつも少なかった。だがな、今は違うんだ。お前と一緒にいられるなら、私は人間にでもなる。私は、お前が……」

「お前が……なんでしょう」

「……ここですることではないな。ロマンチックをするに似合う建物ではない。最後はどうか、怪異ではできないところで、な。さあ、戦は近い。気を緩めるなよ」

「……はい! 油断大敵です」

「チョコとピーチ! お前たちは必ず早織から離れるなよ」

「「ワカッタ! マタネー」」


 あれから数日。演説で士気を高められただろうか。私の演説は完璧だったが、九六とエクスタシーの演説は……会場がヒエッヒエだった。権利欲が滲みでてしまっていたからだ。なんにせよ、もうここまできて引き返すことはできない。先陣を切って道を開ける役目を持つ兵士たちの後ろに私たちは並んでいた。夜19時。太陽が沈むと同時に怪異の世界と現実世界の狭間が大きく開かれる。そのときが進行のチャンスだ。当然敵も警戒しているはず。だが、残念だったな。私と早織とチョコとピーチの強さはお前たちの想定を遥かに超えている。今さら尖兵に遅れをとる兵士などここにいない!


「さあ! 19時だ! いくぞ! せーの……」


 おーーー!!!


 風のように、いや、桜花のように、もっと、光よりも速く、私たちは突き進んだ。尖兵どもを蹴散らし、大罪六匹、欲求二匹の大ボスが総出そうでで出迎えてくれた。しかしまあ、なんと華奢な身体だ。人を恐怖で押し殺すことしか考えてこなかった甘ちゃんばかりだ。こっちには、力があるんだ。概念として逃げようったって、そうはいかんからな。

 早織たちにアイコンタクトを送り、私は一番強い睡眠欲と傲慢の怪異を相手にすることにした。どうやら相手も私が本命のようだ。睡眠欲と傲慢の野郎はこう尋ねてきた。それは、私を失望させるには十分すぎることだった。


「問おう。戻る気はないか。今我らが謝れば、全て丸く治らないか。怪異王は決して戦争が好きなお方ではない。できれば、戦わせたくない……」

「命乞いか。怪異も怪異で醜いな。私が謝ったくらいでお前たちを許すとでも思っているのか。夜を支配するのは確かに私たちの仕事だ。だが、襲うのは違うだろう? せめて悪行に悪行を重ねたクズをギョッとさせるのが元来この国の怪異ではないのか」

「そんなことない。我々は常にこの国の夜を支配してきた。あんなギンギラの電灯とかいうのができてからは、貴様の部下しか動かせなくなったがな」

「やはり誰かの差し金かとは思っていたが、そういうことか。武士道を学び、人間社会に溶け込むことがとても上手くなった私の部下を、力でねじ伏せたんだな……! お前たちまとめて、地獄行きだ」


 私は睡眠欲に飛びかかり、正拳で腹をぶち抜いた。あまりの痛みに奴は腹を抱えて苦しんでいる。被害者ぶるな。早織はあの時期、それの何倍もの痛みを味わったんだぞ。なのに、睡眠欲、お前ときたら……そう思っていると、傲慢に背後を取られてしまった。後ろからなら殺すのも容易たやすいと思ったのだろう。だが、甘かったな。私はマントをトゲのように尖らせ、迎え撃った。マントは傲慢の右腕を貫通し、私には弱った拳がポカっと当たっただけであった。傲慢も睡眠欲と同じく苦しむ。被害者ぶるなと言っておろうに。自身の力を大きく見すぎたな、傲慢野郎。苦しみ終わったのか、睡眠欲は永遠の眠りにつかせようと概念となり私を襲った。確かに下級の怪異ならそれで済む。そうして永遠の恐怖を与え、服従させるのが私たち上級怪異のよくやることだからだ。しかし私はもう悔い改めた存在。そのような手は使わず、この拳をって制裁を加えてやるのだ。概念をどう鉄拳制裁するのかと訊く者がいるかもしれないが、怪異に限っては概念というモノに核があるのだ。つまり、どこかに奴の弱点がある。私は全神経を集中させ、睡眠欲の核をさぐった。すると、少し驚くところにあった。傲慢の身体の中だ。そして傲慢の核も睡眠欲の身体に入っている。そうなったら、何しろ傲慢から倒す必要がありそうだ。傲慢は怪異でも珍しく実体として存在する怪異。概念となって逃げることは不可能なはずだ。そう考えていると……


「フフフ……我々も貴様らを見て修行したんだ。とくと見よ! となった傲慢怪異をな! グォォォォ……」

「何! 傲慢が概念になるとは、驚いたな……目的はなんとなくわかるが、そうまでして勝ちたいのか」

「怪異はどんな手を使ってでも人間やそれを好いた裏切り者どもに勝たなくてはならない! 誇り高き民族は皆そう考えるだろう」

「誇りがあるのなら、正々堂々戦えないのか、まったく……さあ、二匹とも、どっからでもかかってこい。無駄な抵抗だがな」


 二匹の誇りを失ったカスは、私を挟み込むように襲いかかってきた。何も恐れることはない。確かに縦横高さの全てが揃った巨大な概念だ。しかし、私にはあのすべがある。使うと私の手も痛むが、致し方ない。私はソレを掲げた。ソレを握る手が痺れる。だが、私なら痺れる程度で済むのだ。一方、二匹はというと……とてつもなく苦しんでいる。どんどんソレに吸い込まれていく。ソレに文字が刻まれていく。


「貴様! なぜ護符を持って平気なんだ! グワァァァァ……」

「この傲慢……あぐらをかいていくら経っただろうか……最期がこれとは、なんとも愚かよのう……グォォォォ……」

「く、痺れが強くなってきた……ちくしょう、絶対放さないからな。この二匹を封じるまでは……」

「しかし残念だったなハーレンよ。それは封印しかできないから、根本的解決にはならない! いつか我々は蘇るのだ。悔しいか」

「護符に関しての情報が古すぎるな。所詮怪異王の下っ端か」

「何」

「ただの護符とこの最高クラスの護符を一緒にするんじゃあない! この護符は、封印したあと燃やしてしまえば中身ごとこの世から消えてなくなるんだ。灰が残っていようとな」

「ま、まさか。そんな護符があるわけがない! 我々の作りし偽の護符の流布で退廃してるはずだ! そんな優秀な護符がこの国にあるわけ……」「本当だ。私はお前たちと違って嘘はつかないからな。さあ大人しくここに吸い込まれてもらおうか!(ひぃー、流石に痺れで指がしんどくなってきたぞ……まだもってくれよ、私の指)」


 決着がつくのにそれほど時間はかからなかった。1分ほどで睡眠欲と傲慢は護符の中へ消えた。私は痺れが限界を迎えつつある指を早く解放するために急いで護符に火をつけ、そのまま早織と戦っている怪異に投げつけた。一石二鳥。鳥を獲物としか捉えていないこの言葉は大嫌いであったが、今だけはまさにそうだと実感した。炎は早織が相手にしていた怪異どもに燃え広がり、焼け死んでいった。チョコとピーチも他の怪異を殺して、残すは王だけとなった。

 玉座の間までの廊下、私たちは罠に警戒しつつ、ただ前を向いて歩いていた。誰もが覚悟を決め、無言を貫いている。流石私の鍛錬した者たちだ……いいや、この場合私が成長させられたのだよな。心の声をどうしても漏らしてしまう私をその面で鍛えてくれたのは、他でもない早織だったからだ。早織は強い子だった。私が稽古をつけてやると言ったのに、弱点であるのを治してくれたのは、他でもない彼女だ。こういうときにベラベラ喋っていては敵の警戒を強くするだけだ。饒舌じょうぜつな私は正直前のままだったらこの無音に耐えきれず喋っていたはずだ。まさかこの歳になって人間から物事を教えられるとは思ってもみなかった。早織との出会いは、とても良かった。だからこそ、私はなんとしても人間となり、早織とともに生きたい。そう、思った(首相官邸では恥ずかしくて言えなかったが)。

 玉座の間に着いた。この巨大な扉を開けば、そこに怪異王がいる。昭和のモノの考え方とはいえ、狡猾な怪異ではないはずだから、ここにいるのだ。もし罠だったら……私は、怒り狂うだろう。大切な人にさえ見せたことのない本当の自分が顕現けんげんすることになる。それだけは避けたい。どうかここにいてくれ。そう思いながら、四人で力を合わせて扉を開いた。

 扉を開く音でこちらに気づいたのか。ゆっくりと椅子を回しながらこちら側を向く。あの禍々しい者こそが、私の主であった怪異王【八岐大蛇やまたのおろち】だ。人間界では神話上の生物として記されているが、私たち怪異は人間の想像から創造される存在。誰かが思い浮かべた恐怖を誰かが広めることで怪異の知名度は上がり、それとともに力も増す。八岐大蛇は、この国で最も恐れられている存在。鬼や悪魔、妖怪など数多の魑魅魍魎ちみもうりょうを差し置いてこの国一番の怪異となった。その歴史ははるか昔だ。そんなだから思考が古臭い。今になって後ろを振り向く。八岐大蛇を見た恐怖でか、後ろに残していった兵士たちの無事を祈っての行動かわからない。


「ハーレン……ワシは失望した。お前は誰よりもワシに忠誠を誓っていたではないか」

「あなたにはアレが忠誠に見えてたのか。ポルトガルから渡ってきたところを拾ってもらって仕方なく従っていただけだ。あの男に負けてからは、私はあなたへの忠誠心は既に消えていた」

「それまでは色欲と性欲の力を使って世の中をかき乱していたのにな。今さら罪滅ぼしのつもりか? お前のせいで被害を被った人間がそれで許すと思うのか」

「なんです? 精神攻撃で私の戦意を喪失させようとでも? 甘いな、八岐大蛇。私はもうブレない。今までと同じだと思わないでいただきたい」

「そうか。成長したんだな。あの頃の甘ちゃんから変わって。もう他のから散々言われてるだろうが、今一度訊こう。今すぐワシの元へ帰れ。そうして、全てを忘れ、自分の職務をまっとうするのだ」

「断ります」

「そっか。ならば仕方がない。夜が明けたな。援軍は期待できないぞ。それでもやると言うのなら、先手はお前たちに譲ろう。上下左右前後どこからでもかかってくるがいい」


 私は三人にアイコンタクトを送ると、そのまま計画の通りに動いた。八岐大蛇がいつまでも古い情報しか握っていないとは思えない。きっと知っている最新情報がいくつかあるだろう。それさえ読むのだ。もしこうなることを想定して動くなら、奴なら──


「ハーハッハ! ワシは顔を引っ込めて別のところから顔を出せるのだ! 小娘、後ろが死角だと思ったか」

(ハーレンさんは大蛇の顔からは常に概念怪異がにじみでていると仰っていた。もうこの世界を何度見たのかしら。ハーレンさんに頭の中にこの映像を送られるたび、気が狂いそうになった。でもそのあと、ハーレンさんが抱きしめてくれたことで安心できた。だから、きっと今も……)

「ハーレンさんが抱きしめてくれるなら、耐えられる」

「な! こいつは人間ではないのか! なぜ概念怪異に一切怯えないのだ」


 馬鹿だった。八岐大蛇は早織に夢中で全ての首を早織に向けている。もう一度顔がでてきたとしても、正面から攻撃を加えられる。この一撃に全てを込める。チョコとピーチはここでお別れだ。私が貸した身体だ。私に還ればそのまま私の力となる。このことは既に早織にも説明済みだ。私の中には生き続けている。人間になってから、また会おうと約束している。さあ、準備は整った。この一撃は、恐らくあの男でも耐えられないだろう。私が最初からこの力をゆうしていれば、早織との出会いもなかっただろう。


「ありがとうございます。武蔵坊むさしぼう──」


 弁慶べんけい──




「残りはお前ら二人だな」

「ひぃぃ! お前ら! 撃ち殺せ」

「I don't want die……」

「今さら銃弾など効かない……大人しく死んでもらうぞ」

「ギャアアアア」

「Oh,noooooo」




 全ては終わった。もう怪異としての私に未練はない。私は黙って地蔵に触れ、早織に言われた通り念仏を唱えた。どうやら念仏ならどんなのでも良いということらしいから、一番ポピュラーなものを選んだ。途中、雷に何度も撃たれた。しかし今の私にはそれすら無効だ。この地蔵がそんな恐ろしい力を持っている理由が良くわかった。段々と私の身体がきらめきながら消えていく。それを見守る一人の乙女。これを以って、この国から怪異は去る。だが、忘れてはいけない。。私が消えたとて、再び現れてもおかしくない。それは全国民に伝えてある。怪異を生みださないためにするべきこと。それは、恐れを捨てて、将来に活路を見出みいだすことだ。今この時起きている不安はどうしようもない。だが、未来の不安はどうとでもなる。この世は終わりだと言われ続けてかれこれ400万年以上文明は続いているのだ。この国なんかはおよそ2700年の歴史があると言うではないか。そんな国が簡単に滅びるものか。例えどれだけ世の動きによって不安になっても、それを将来の自分に持ち込むな。今を生きるのに必死になれ。そうしていたらいつの間にか人生というものははかなく、終わっている。私は、弁慶の言っていたあの言葉が大好きであった。


「それ、時は末世に及ぶといえども、日月(じつげつ)いまだ、地に落ちたまわず。ご幸運、ははぁ、

ありがたし、ありがたし」


 狂った世の中でも、月や太陽は未だこの大地に落ちてきていない。それは、自分が幸運なおかげなのだ。私は彼の言葉を自分なりにこう解釈している。……もう時間か。雑念ばかりで念仏の意味があったのかはわからないが、きっと、きっと人間になれますように……。

 気がつくと、ベッドの上だった。見慣れた天井。そのはずなのに、やけに目新しさを覚えた。私は自分が人間になれたのかを今すぐにでも確かめたかった。怪異にできて人間にできないこと……それは、なんだろうか。よく考えたが、答えはでないまま、聴き慣れた声がした。左下を見ると、これまた見慣れた顔。名前は、早織。


「早織! 私は、人間になれたのだろうか……」

「ふふ、試してみます? ハーレンさんはそのまま横になっててください」

「え、な、何を……」


 私の声を遮るように、彼女は私に接吻せっぷんした。それも、ディープなやつだ。私は初めてのその感覚に驚いた。色欲性欲怪異だった頃とはまた違う快楽が、そこにはあった。接吻を終えたあと、彼女は私の上にまたがった。


「ハーレンさんが人間になったのなら、私の孕む子も、人間です。はらわたを食い破られることも、奴隷にされることもありません」

「早織……そうやって証明すれば良いのだな。確かに、私たちはお似合いの──」

「「家族」」



「……ふう、ここまでが私の人生で最も大きかった出来事だ。お前たちの時代になっても、結局怪異は現れなかった。夜の不審事件はあれ以来一切発生していない。これも、お前たちのおじいちゃん、おばあちゃん世代のおかげだからな。もう私は寝たきりだが、お前たちには未来がある。その未来に不安を持たず、今を必死に生きるんだ」

「ハーレンじいちゃん、その話は思い出話でしたでしょ。忘れちゃったの? 年齢だねー。ぷぷぷ」

「な、なんだとー! 私のゲンコツを食らいたいのか」

「わー! みんな、逃げるぞー」

「こら! 待たんか──」


 がしっ


「やめましょう。この年齢になって頭に血が昇ると危ないですよ。ハーレン」

「すまないな。もう外にでてるのもしんどい。家で桃子ももこ夏華夫かかおと遊んでこよう」


 よく見ると、少年少女軍団の中で唯一礼儀正しい子どもがこちらに手を振っていた。私は思わず手を振り返した。

 私たちの遺志は必ず語り継がれていく。英雄(だなんてつけられると照れくさいが)ハーレンの伝説として。

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