外伝⑦ 登りつめたその先に【外伝最終話】


「王と二人きりで話がしたい」


 母のその言葉に、側近たちは私を残して部屋を出た。


 私は、ベッドに横になっている彼女を見つめた。

 まだ、若々しく美しい母の、しかし青白い顔には死の影が映る。


「ルイーサ王、私に何かお役に立てる事はありますか?」


 私は平常を装い、ベッド脇の椅子に腰かけた。


「今の王は、あなたであろう、アルノ王」


 彼女は微笑みながら、私の差し出す手を握った。

 かっては、鷲の盾の一員として、自ら剣をふるっていた方とは思えぬ弱々しい手に、胸が痛む。


「即位してひと月経ちますが、まだその呼び名に慣れませんね」

「本当はあと、2、3年は遊ばせてあげたかったのだが、申し訳ない。まさか、アドラー様が、あんなに早く逝かれるとは予想外だった。私まで体調を崩すとは……。あなたには苦労をかける」

「いえ、覚悟の上です。しかし、父上が亡くなられて一年。今、母上にまでいかれては困りますよ。早く良くなっていただかないと」


 冗談のなかに本意を込めた私の言葉を聞き、母は一度目を瞑った。

 そして、ゆっくりと目を見開き、私の顔を真っ直ぐに見た。


「アルノ、まだ話せるうちに、あなたに話しておきたいことが三つある。一つ目は、あなたの出生の事。噂は聞いているでしょう?」

「ええ、色々な説を聞いてきましたよ。私は父上が愛妾に産ませた子だとか、母上が不義をして出来たのだとか、川で拾われたとか、ね」

「……あなたは、本当の事を知りたい?」

「本当の事、ですか? そうですね……。私は母上と父上の子として育てられた。そして、今、王としてこの国を守り治める地位にいる。その事実以外に何を知る必要があるでしょうか?」

「フフッ。あなたのその剛胆なところはアドラー様にそっくりだな」

「女だてらに剣をふるう様は、母上にそっくりだとも言われますよ」

「そう、そうね。女性が家門を継げるよう法改正しておいてよかった。あなたという、その立場に相応しい人間が、王になれて本当によかった」


 物心ついた時から次の王になると教育された私にとって、体の構造が女性であっても、自分が王になることに何の疑問もなかった。


 ただ、この国はつい最近まで、かなり保守的だったらしい。母上と父上が、かなり強引に色々なルールを変更したと、あちこちで話を聞いた。


「二つ目は、お節介な話だけれど、嫌がらずに聞いてもらいたい。あなたへの願いというか、祈りを。どうかあなたも、愛する人と出会ってほしい。……私にとってアドラー様は、輝く光だった。私をあたたかく包み、進むべき道を照らしてくれた。アドラー様の存在が、私という歪いびつで不確かな者に、豊かな重みをもたせてくれたのだ。彼に会えた事は、本当に私にとって幸運としか言いようがない……」


 母は心から父を愛していたのだろう。父を語る時、いつも本当に幸せそうな表情をみせる。

 はたして、私はそのように愛せる相手を見つける事ができるのだろうか?


「決して、アドラー様が完璧な人間だと言うつもりはない。彼にも、勿論私にも、色々と至らない点はあったから。彼が私の期待する行動をとらない事に腹を立てたり、弱さを可愛く思ったり。そうして関係を積み重ねていく内に、人間とは思ったより悪くないものだと心から思えた。その変化は、私にとっては奇跡的なことだった……。アルノ、お相手が女性でも男性でもどちらでもいい。その愛が成就しても片思いであっても、どちらでもいい。他人を愛するという事は、人間をより深く知る、学びとなる。傷つく事を恐れずに、あなたには愛を感じてほしいと願っている」

「……私にできるかどうかわからないが、愛を拒否せず、求める人間であるよう努めます」


 母は満足そうに頷いた。

 それから、最後の話を始めた。


「三つ目は、完全に私のわがままなのだが……。これは私の日記で、これから最後のページを書くつもりでいる。私が死んだら、まず、あなたに読んでほしい。そして、あなたが問題ないと思う部分だけを抜粋して、ヨーロピアン国の劇作家に送ってもらいたい。私の日記を元に、演劇用の物語を書いてくれるよう彼女に依頼してほしい。それが、私からの最後の願い……」


 予想外の話に、すぐに返事ができない。

 どういう事だ? 母上の書いた日記を元に、創作物語を書くよう依頼するのか? 他国の作家に?

 なにより……。


「……なんの冗談ですか? 死ぬなど縁起でもない。その作家には、母上がご自分で依頼すればよい」

「アルノ、私にはもう時間が残されていない。一度経験しているから、わかるの……。だから、よく聞いて。この作家は、平民出身でとても人気がある。多くの作品が舞台化されていて、国をまたいであちこちで上演されている。私の話を原案として彼女に作品を書いてもらい、その物語を世に広めてもらいたいと思う。彼女の代表作『おてんば姫様の元でメイドは今日も野望に燃える』を渡しておこう。……この不条理な世界で、生き辛さを抱えている人間は大勢いる。私の経験が、彼らに一筋の希望をもたらすことを期待して、この依頼をあなたに託したい。もしかしたら、私に起きた奇跡が、次は自分にも起こるかもしれない、そう思ってもらえたら、と。暗闇のなか、八方塞がりで出口がないように思えても、明日は太陽が照らしてくれるかもしれない。ささやかな、だけど、確かな小さな灯りを、物語から感じとってもらえたら……。とにかく、約束してくれないか? 依頼金を多めに払ってでも、必ず彼女に、私の物語を書いてもらうと」


 真剣な眼差しで話す母の依頼を、どうして私に断れようか。


「約束します。母上の仰せのとおりに。必ず、このヨーロピアン国の作家に、母上の日記を原案とした創作物語を書いてくれるよう依頼します」

「有難う、アルノ。私の大切な子、私の宝物。愛しているわ。……今生であなたと出会えて良かった」


 そう言って、母は私を抱きしめた。

 そして、それが、彼女との最後の会話となった。


*******


 間もなく母は昏睡状態となり、一月後にそのまま眠るように亡くなった。 彼女の死後、物事が滞りなく行われるよう、全てが完璧に手配されていた。


 国をあげての葬儀には、国内だけではなく、海外からも人がつめかけた。

 あらためて、母の人柄と功績を誇らしく思った。さすがだ、母上。


 一週間かけた全ての別れの儀式が終わり、私は執務室でひと息つく。

 ギルティアスが強めの酒と甘い菓子をトレーに載せて運んできた。


「よろしければ、どうぞ」

「これは?」

「アドラー様とルイ様の秘蔵酒です。二人でこっそり飲まれていた。高級品だから旨いですよ。アルノ王、これからはあなたが……」

「そうか。……いただこう」


 ギルティアスがグラスに琥珀色の酒を注ぐ。

 私にとって彼は、父の家臣だった。


 実際、ギルティアスは父が子どもの頃から、ずっと共に過ごしてきたと聞く。


「ギルティアス、あなたも飲めばいい」


 私はグラスを受けとりながら、彼にも酒をすすめる。

 意外にも、ギルティアスは断らなかった。

 私達は、静かにグラスを傾ける。


「あなたにとって、母はどういう存在だったのだろうか?」

「私にとってルイ様は、アドラー様との婚約が決まった時から、私の二人目の王でしたよ」

「父上の婚約者となった時から? どういう意味だ?」

「アドラー様と初めてお会いした時の事を今でも覚えています。まだ幼子だったにもかかわらず、既に王の威厳を備えていらっしゃった。ルイ様にも同じものを、人の上に立つ王者の風格を感じました。ルイ様が兵の前でアドラー様に求婚され、婚約者となったあの瞬間から、私は二人の王を持つ身となったのです」


 知らなかった。てっきり、父への忠誠心から、母にも従っていたのだとばかり思っていたが。


「そうか……。母もまた、ずっと昔からあなたの主あるじであったのだな。あなたが二人の右腕として、身を粉にしてこの国を支えてくれていた事に、心から感謝する」


 ギルティアスは、フッと笑みを浮かべた。


「アルノ王、あなたはルイ様とアドラー様、どちらにも似ている。……私は結婚をせず、生涯を二人の王に捧げてきました。それが私の誇りであり、悔いは一切ありません。そして、お二人はこの老兵に、嬉しい贈物を残して下さった。アルノ王、あなたは私の三人目の王だ。この命が尽きるまで、側でお守りする事を許していただけようか?」


 あまり見たことのない彼の柔らかい表情に、彼が私を大切に思っている事が伝わってきた。

 母と父を亡くした私を、二人のかわりに守ろうとしてくれている。そう感じた。


「勿論だ、ギルティアス。あなたは私の、……叔父のような存在だ。私が愚行を犯さぬよう、しっかり見張っていてくれ」

「御意。長年、アドラー様とルイ様を抑えてきた実績がございますゆえ。遠慮なく奇譚なき意見を申し上げます。お覚悟ください」

「お手柔らかに頼む」


 ギルティアスが退室した後、私は日記をめくりながら、ひとり母を思う。


 この日記に書かれている事は真実なのだろうか?

 本当に、生まれ変わる事など、あり得るのか……。


 だが、読み進めるうちに、そのような疑問は消えていった。

 真実かどうかは、たいした問題ではない。


 それよりも……。


 どこをどう切り取って、まとめて、原案として件の作家に渡してよいのかが、悩ましい。

 やはり、この最後のページは外せない。


 しかし、表現をかえないと……。

 身分制度の否定。我が国だけでなく、王制をとっている全ての国を敵にまわすような言葉を、よくもまあ言えたものだ……。


 ヤレヤレ……。母上の最後のお願いは、思っていた以上に骨の折れる案件のようですね。やるべき仕事が多くて、しばらくの間はあなたを失った悲しみに浸る時間はなさそうです。


 そう、心のなかで愚痴た。

 母がすぐそこに座って、微笑んでいるような気がする。


 もう、母も父もいない。

 しかし、彼らから受け継いだ知恵や思想、そして仲間が今も私と共にある。


 有り難い。


 私の肩には、国王としての責務が重くのしかかっている。

 しかし、私は一人ではないのだ。


 穏やかな気持ちで、私は母の日記を何度も読み返した。




ーーーーーーーー


 これが、私の日記の最後のページになるだろう。


 死を前にして、今なぜか思い浮かぶのは、あの時のアドラー様の姿。


「側妃を迎えるつもりはない」


 結婚して、5年。私達には子ができなかった。


 彼はかわる事なく、いや、結婚当初よりいっそうの愛情を私に注いでくれた。表情から、言葉から、行動から、彼の私への愛が伝わってきた。


 それに甘えて、後継者についての話題を避けていた。

 楽しい蜜月を、逃したくなくて。

 でも、それも潮時だと理解していた。


 私達は、ただの夫婦ではない。

 国を統べる権限と義務があるのだ。


 そう思ってはいたものの。


 あの時のアドラー様の言葉に涙が溢れた。


 子供ができなくとも、跡継ぎの王子をもつことができなくとも、私達はこのままでよい。私達は子はいなくとも、国を育てているのだという彼の言葉が、何より嬉しかった。

 本当に私という人間を必要としてくれている、この人は信じられると素直に思えた。


 アドラー様を、アルを愛していた。

 しかし、心から信頼できると感じたのは、この時からだろう。


 様々なことがあった。

 多くの事を経験した。


 惨めに殴られなぶられていたサラディナーサわたしが、一国の王妃となり、そしてアドラー様亡き後、王にまでなったのだ。


 信じられない、お伽噺だ。


 登りつめたと思った。

 だが、そこで終わりではなかった。


 問題、課題は無限にある。

 解決したと思えば、また次がでてくる。


 物事も、人も、そして天候などの自然の摂理。

 人間の思惑通りには運ばない。


 登っても登っても、進んでも進んでも、そこに終わりはみえない。


 それでも。今の私は心に希望を持っている。

 相手を思いやり尊重する愛というものが、そこかしこに溢れていると感じる。


 サラディナーサには、絶望しか見えなかった。


 現世の私は、アドラー様を得た。

 アルノと出会えた。

 大切な家族、友人、そして志を同じくする多くの仲間もできた。


 前世とは違う世界を見ることができ、本当に有り難く思う。

 こんなに静かに、あたたかい気持ちで死を待つ事ができる今に、心から感謝する。


  今回の生での、大きな学びは


 『進むべき道がないなら、つくればいい』 


  という事だ。


 辛過ぎる場所から、勿論、いったん逃げてもいい。

 自身のエネルギーが貯まるまで、現状維持に注力する時間があってもいい。


 だが、ただ現状に耐えているだけでは、状況は何らかわらない。


 昨日と同じ今日を過ごせば、今日と同じ明日が来るだろう。

 違う明日を望むのであれば、今日をかえなくてはならない。


 自分の考えを、行動を、習慣を変える。

 そして、望む道が見当たらないのであれば、つくればいい。


 思い切ってやってみると、さほど難しいことでもない。

 必要なのは、ほんの少しの、勇気。

 その小さな小さな一歩を踏み出し、継続するだけだ。


 道、と言えるほど立派なものでないかもしれない。

 だが、それでも。

 掘り進めていれば、いつかそれは、確実に道となる。

 例え細く小さなあぜ道であっても、その歩んできた道程は、経験として自身の血肉となるのだ。


 最後に、出来る事なら伝えたい。


 昔の私のように、身分や状況や悲しみで身動きが取れなくなっている女性達に。


 我が同胞よ、諦めず、共に進もう。

 前に遮る壁があらわれれば、よじ登り、超えて行けばよい。


 女性だからと見下してくる者に、蹂躙を許すな、足掻き続けよ。

 身分の違いで馬鹿にしてくる奴らには、表面上は頭を下げても、心の内では屈するな。


 同じ人間として、互いに敬意をもって関係性を築くよう、心をくだけ。

 自分という唯一無二の存在を、決してぞんざいに扱うな。


 我が同志よ、道なき道を、進み続けよ。


 

 少し過激な事を書いてしまったが大目に見てほしい。

 私の人生は、これでいったん幕となるのだから……。



 あなたは物語を通し、時間という枠を越えて、私と繋がった。

 私の経験が、あなたが一歩を踏み出す為の、追い風となる事を願う。

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再会した彼は予想外のポジションへ登りつめていた 高瀬 八鳳 @yahotakase

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