メッセージ

川谷パルテノン

逆境

 おわた。見てよ。幅百十四ミリ。こいつは規格で決まってるとして長さ三〇ミリ。辞世の句なら書けそうだ。俺は今、コンビニのトイレに、いるッ。そして、紙が、こんだけしかないッ。どうする俺。どうするッ。


 遡ること数分前。同僚との飲み会を終えてへべれけだった俺は帰宅の道すがら強烈な便意に襲われた。もともと酒は強い方でもないくせに日々のストレスからか進みに進みまくった飲みっぷりには同僚も初めこそイケイケいったれであったものの次第に不安を覚えたかグラスを離さない俺は凶悪犯が如く羽交締めにされ店を出たのであった。心配する同僚をよそめに酔っ払い特有の「大丈夫」「酔ってない」を連呼し彼らを呆れかえらせることに成功した俺は一人になった途端に道端に寂しさをオンセールした。だから胃の中はこれで空っぽになったはずだが同時に取り戻した一握の冷静さが序盤のシーザーサラダ、唐揚げの畳みかけからの生牡蠣を忘却の彼方より呼び起こしてしまう。生牡蠣なんて久しぶりだぜヒャッハーした俺は他人の分までたいらげたせいでロシアンルーレットなら連続で六回ひき金を引くような真似をしたのだ。無論ヒットした。よって吐き気こそなかったがそれはもう鯉が滝を登って龍となる突き上げが腸から脳へと走り、龍が如くの俺は命からがら発見したコンビニのトイレに駆け込んだのだ。それは尻穴を引き裂く勢いのかめはめ波だった。かめはめ波の後にピクミンが幾らか量産され宇宙船の修理にフン闘した。先立って前から吐き出し後ろからも発射したことで少しはスッキリ感を覚えた俺だったが、安住のエデンと思しきかの地にあったのはメッセージカード大の紙切れ一枚だったってわけ。俺はとりあえずそのメッセージカードを大事にせねばならなかった。最後の希望だったからだ。幸いウォシュレット機能付きの便器だ。シェイオラァと力んだ指先がボタンをポン。水圧によって開門した途端またグレイトドラゴンがヴォルカニック。悲鳴が木霊する。再び大地は汚染され焦土化したけつまわりの汚さはかつて実家で飼われていた柴犬のベンを思い出させた。ベンはところ構わず糞する犬であったが犬ゆえ最期まで愛されて旅立った。俺は愛されたかった。だが世は無情である。まだ龍の寝床である可能性は捨てきれなかったが恐る恐る追いウォシュレした。優しい。先程と違ってまるで圧を感じない。水が出ていないようだ。優しい。水は出てなかった。しばしの沈黙がありウォシュレの故障を知らせる鐘の音が街全体に響き渡っていた。のぼりかけた陽がきまぐれで日没した。暗夜に包まれた俺の目に再び映るメッセージカード。優しさに包まれずとも全てのことがメッセージだった。


「おい、いつまで入ってんだよ!」

 最悪の事態が発生した。予期せぬ訪問者。俺は生まれてこの方真っ当に生きてきた自負がある。なのに責め立てられていた。便所に籠城したから。一回死んだフリしよう。何も解決しなかった。ドンドンドン。次第に強まる拳圧。借金取りに追われている気分だ。借金。一瞬脳裏をかすめた考えはすぐさま顕現した。右手にはメッセージカード、左手にはピン札のフクザーユキチ。馬鹿な真似はよせとは天啓。一方でどうだ明るくなったろうと太ったジジイが微笑んでいる。試すならばこの右手からだろう。俺は勇気を出してメッセージカードを股下に這わせた。ダメだ。足りない。足りない足りない足りない。何なら指先にピクミンが乗っかっていた。


「いい加減にしろよ莫迦野郎!」

「お客さん大丈夫すか!」

 店員まで来た。おいもう深夜だぞ。なぜこんな辺鄙なコンビニの便所に固執する。帰って家でやれや。実質的には密室殺人だ。俺はこのまま何かの活路を得てここを出たとしても社会的な死が待っている。全部がネガティブに感じられた。不甲斐なさに太腿を殴りつけてしまう。刺激によって目覚めたのかサードインパクトが始まった。まずい。もうメッセージカードはないんだぞ。マン札はやっぱダメだろ。ここが最後の人道だ。待てよ。考えてもみろ。ストックがあるだろ普通。どうしてこんなことを気づかなかったんだ。俺はまったくマヌケだぜ。さて、ない。


「お客さん! 大丈夫?」

「仕事しろ莫迦野郎!」

「よかった。生きてる」

 状況変わらずのまま、また数分が過ぎた。俺はトイレットペーパーホルダーを見つめる。聞いたことがある。芯をほぐす。これは古来よりペーパー難民が語り継いできたフォークロア。試すしかなかった。俺は肛門と尻が触れ合わぬように股をかっ開いた姿勢でレバーを捻り、僅かに滴る流水へとペーパー芯を浸した。次第に柔さを宿した芯は一枚の紙であったことを思い出しつつあった。いけそうな気がする。なんかワカメみたいになってきた。それを徐にけつへ充てようとした刹那、あまりにひたひたになった芯は掴んだ指先の端から千切れ便器オブジアビスへと吸い込まれていった。アッと思ったついでに何を思ったかレバーを捻ったせいでワカメは虚空へ。全ての策は尽きた。残されたのは鬼と成り果て紙幣で急を凌ぐことだけ。


「すみません。お兄さん。警察です。店員さんから通報ありまして。大丈夫ですか?」

 何してくれてんねん。俺は腹を括っていた。パンツ一枚がどうした。そいつが汚れたって未来の俺は清廉潔白。なんなら二枚この店で買って帰ったっていいぜと。それが気づけば警察沙汰になっていた。尿意、或いは便意我慢ニキにぶん殴られていたほうがいくらかマシだった。気づいた時には遅すぎて事態は悪化の一歩を辿った。

「お兄さん。大丈夫?」

「エロイムエッサイム」

「え? なに?」

「エロイムエッサイム」

「お兄さん?」

「エコエコアザラク」

「は? どうしたの?」

「我、悪魔崇拝の教徒なり。汝、その御身を五体満足で過ごしたくばこの地を立ち去るべし」

「お兄さん?」

「立ち去るべしーーーッ」

 何をやってんだ俺は。助かる道を思案した結果選ばれたのは邪教徒化でした。


「店員さん、中の男性ちょっとおかしいからドアこじ開けちゃっていい?」

 何を言ってる。やめろ。いいわけないだろ。

「あー、でも店長に聞いてみないと」

 そうだろ。何ごとにも許可が必要だろ。そうだ。俺が考えた企画だって無許可でやっていいってんならきっとうまくいってたはずなんだ。頭の硬い古い考え方しか出来ない部長の許可なんて要らなきゃ俺は。そうだ。それで俺はくだまいて酔っ払って生牡蠣ロシアンの果てがこのザマだ。なんだってんだ。部長が全部悪いんじゃねえか。チクショウ。俺に力があればあんなやつ。俺は。俺は。

「店長オッケーみたいです」

 いい職場だなッ。オッケーじゃねえんだよ。全然オッケーじゃねえ。どうする。考えろ俺。時間の問題だぞ。なぜこの便所に窓はないんだ。なぜ俺は犯罪者並に焦っている。人殺しか。違うだろ。誰も傷つかない道があるはずだ。考えろ。


「お兄さん、ぶち破るからドアから離れてね」

 俺はフジツボばりに張り付いた。ドォン。強い衝撃が全身を伝う。耐えろ。絶対に破らせるな。ドォン。やめろ。ドォン。やめてくれ。ドォン。愛されたいんだーーーッ。


「愛されたいんだーーーッ」


 ベン。ベンなのか。だってお前。なんで。おいおい。またこんなとこに糞して。全然変わらないな。よし、こっちこい。よしよし。ベン。俺はお前に謝りたかったんだ。ベンが弱ってるのは知ってた。だけど俺もまだ小さくてさ。子供だった。ベンを散歩に連れて行きたくて無理させた。しんどいのにお前は付き合ってくれてさ。あれがダメだったんだよな。母ちゃんにめちゃくちゃ叱られたよ。でもそりゃそうだ。ベン、ごめんな。俺、こんな大人になっちゃった。ベン、ごめん。よしよし。ベン、ちょっとにおうな。

「お兄さん! しっかりしてお兄さん!」

「ベン……ベン……」

「顔についちゃってるよひでぇなコリャ」

「ベン……」

 

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