愛にすべてを
「なんで迷っとるん?」
兄貴ぃとオレの二人暮らしだった風車家へと遠慮なく上がり込んできた小型の台風・芦花さんはオレの日常を的確に破壊していった。二十三年間積み上げてきた現実は、だいぶ脆かった。二人暮らしが三人暮らしになっただけではない。ただのプラスワンじゃあないんスよ。その一人分で、オレの平穏は押し潰される。洗濯して、取り出したウサギのぬいぐるみが、洗う前より縮んでしまって、表情が変わってしまうような……。
「ええやんか。その顔でヒッキーはもったいないって思っとったんよ。あ、ヒッキーってあの、歌手やなくて引きこもりな」
「知ってます」
「何なら次のジュノンスーパーボーイコンテストに応募したろうかなと。いい線行くんとちゃう?」
「……やめてください」
「ジョーダンやって。めっさ嫌そうな顔するやんか」
どういう
しかし、オレと芦花さんはあくまで婚約者の弟と婚約者という関係性であり、それ以上の関係には罷り間違っても発展してはならない。そのような過ちを犯そうとするのなら、オレは芦花さんを刺し殺すと思う。オレの兄貴ぃを一番に想ってほしい。婚約者とはそういう存在だろう。オレは兄貴ぃのことが大好きだけど、兄貴ぃには幸せになってほしいとも思う。兄貴ぃはオレを見捨てない。その幸せの一部分に、オレの存在もあるはずだから。
芦花さんの気持ちが全くわからないわけでもないのだ。家に引きこもってばかりでは健康的とは言えない。こうして外を歩くべき。太陽に当たらないと、人間はバグっていく。義理の姉なりの、
「これでわかったやろ。智司くんは世間に注目されるべきイケメンなんよ」
今日は渋谷まで来させられて、とある芸能事務所のスカウトマンを名乗る男に声をかけられうた。芦花さんがやたら目立つ服装を好む(※本日は七色のエクステをくっつけたヘアースタイル、トラ柄のオーバーオールに厚底ブーツという組み合わせ。この人のファッションセンスはいつもこうなので、オレは慣れた。道行く人たちはたまに振り返る)ので、最初はそちらが目当てだと思った。芦花さんも「なんや? わたしか?」と食い気味だったし。
芦花さんも(黙っていれば)可愛らし――もうちょいまともな服を着せればそこいらのアイドルグループのメンバーに加入できそうなルックスはしている。だが、話を聞いているとどうもオレのほうらしい。興味がないのでその場からすぐにでも離れたかったのに、一度食いついた芦花さんが「保護者に聞いて、折り返し連絡しますわ」と連絡先を聞き出してしまった。それからスタバに入って、今は芦花さんがオレを説得しているというわけだ。
「はあ……」
兄貴ぃならどう答えるかをシミュレートする。
オレじゃなくて兄貴ぃだったら、その場でスカウトマンについていっただろうか? ――怪しいからついてはいかない。それに、兄貴ぃにはオレがいる。芸能事務所が実際にどういうことをしてくれるのかは知らないが、オーディションを受けさせられたり遠くにロケに行かされたりするのだと仮定しよう。そしたら家に居られなくなる。兄貴ぃがオレを放っておくわけがない。兄貴ぃはいつでもオレのそばにいてくれる。移動教室だったか修学旅行だったかでオレがぶっ倒れた時も、駆けつけてくれたような人だ。オレよりも仕事を優先するなんて、そんなことがあってたまるか。オレより仕事を取るのか。オレの兄貴ぃはそんな薄情な人間ではない。
「智司くんなら、総平さんの好きな特撮にも出られるんちゃう?」
「特撮に、オレが?」
兄貴ぃの名前を出されると、つい前のめりになってしまう。
ようやっととっかかりを見つけたとでも言いたげに、芦花さんがニヤリとした。
「若手俳優の登竜門って言われとるやんか。主役とかレッドとかはむずくても、な?」
芦花さんのおっしゃる通り、兄貴ぃは特撮が好きだ。芦花さんは熱っぽく語る兄貴ぃの話を、当初はあまり興味のなさそうな顔をしながら聞き流していたけど、いざ作品を見始めてからは態度が変わった。
作倉さんが兄貴ぃに芦花さんを紹介した理由はオレにはわからないけども、そばで二人を見ているオレ視点では『根本的に凝り性で真面目』なところが似ている。ひとつのことに熱中するとそれしか見えなくなるタイプ。それしか見えなくなったとしても兄貴ぃはオレが「助けて」と叫べば助けてくれる。いつだってそうだった。これからもそうあるべきだ。
「ないない。ないスよ。本気で目指している人たちに失礼スよ」
「総平さんも応援してくれると思うんやけどなあ?」
「兄貴ぃに、応援される……このオレが……」
万が一オーディションを通ってしまったとしよう。撮影現場の入り時間も早いし、終わりも不定。兄貴ぃといられる時間は減って、画面越しの交流のようになってしまう。第一、オレが、このオレが兄貴ぃの理想のヒーローになるわけにはいかない。オレは兄貴ぃの弟であって、オレが兄貴ぃを尊敬している。その構図が逆転するなんて、恩知らずもいいところじゃないか。オレは兄貴ぃを超えない。生まれてから死ぬまで、永久にオレは兄貴ぃの弟なのだ。そう在らなければならない。
「ま、帰って総平さんにも相談やな」
「嫌です」
明確にノーの意思表示をする。
芦花さんは「さよか」とつまんなそうな顔をして、空になっているオレのプラスチックのカップを握り潰した。
to the END 秋乃晃 @EM_Akino
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