グレートオールドトミコ☆オカルティックチェンジ!

尾八原ジュージ

チェンジ!!

 それは老婆であった。

 どこからどう見ても後期高齢者であった。少なくとも八十歳は優に超えているであろうと思われた。このようなネオン瞬く歓楽街にいるよりも、和風の邸宅の奥座敷にちんまりと座っていた方が似合うと思ったし、「お兄ちゃんお待たせ~!」という台詞よりも「落ち武者様の祟りじゃ」とでも呟いていた方が断然様になるだろうとも思った。

 とにかくおれのストライクゾーンではなかった。「かわいい妹(風の成人女性)と個室でエッチなことをしようね」という趣旨の店に「カワイイ子イルヨ」と勧誘されて入店し、(まぁ実際看板みたいなカワイイ子が出てこなかったとしても想定内だし、そのときは得意の自己暗示で何とかするべ)という心構えの時に、安っぽいセーラー服を着て現れるべき人物ではなかった。

 いや、この人が妹で通る人、今何歳だよ。さすがにおれの自己暗示もそこまでのイマジネーションを働かせるのは無理だよ。成人してもう何年、色々な店にお世話になってきたが、これほど厳しい状況に置かれたことは今まで一度もない。

「トミコだよ~! よろしくね!」

「トミコちゃんかぁ~ってちょっと待てぇ!」

 おれの抗議もむなしく、おトミばあさんは個室のドアに鍵をかけるのであった。見かけに似合わずキビキビした動きで、元気なおばあちゃんなんだなぁと思ったが今は何の救いにもならない。

「いやいやいやいや、ちょっと待って。ちょっとさすがにこれは」

「まぁちょっとそこに座って、落ち着かんかい若造」

「早々にロールプレイもやめちゃってる!」

 ただのセーラー服を着たおばあちゃんになったトミコさんは、個室の隅に置かれていた冷蔵庫から瓶ビールとグラスをふたつ取り出した。

「ばあちゃんが奢ってやるから一杯飲みな」

「多少酔ったところでどうにもならないと思うんですが……」

「まぁまぁまぁまぁ」

 トミコさんは慣れた手つきで栓抜きを使い、ふたつのグラスをビールで満たすと片方をおれによこした。「かんぱーい」と一人で言ってぐびぐびと飲む。いい飲みっぷりである。

「あのぅ、来てもらって早々悪いんですがチェンジで……」

「いいからちょっと飲んで、話をお聞き」

 小柄なおばあちゃんだが押しは強い。おれは迫力に負けてビールに口をつけた。そして流されやすい自分を呪った。どうしようこれ。どうしたらいいんだろう。

「あたしゃ本業は霊媒師なんだよ」

 トミコさんは自信たっぷりに自己紹介した。

「はぁ……」

「まぁいきなり言っても信じないだろうね。論より証拠」

 そう言うとトミコさんはセーラー服の胸元から大きな数珠を取り出し、それを手に巻くとお経のようなものを唱え始めた。小柄な体躯から出るとは思えない迫力のある声が、狭い個室に満ちていく。おれはベッドに腰かけたまま、しばしの間今自分が何をするためにどこにやってきたのかすら忘れていた。次第に視界が白くぼやけ、頭の中が読経で満ちていく。そのとき、

「ヌン!」

 トミコさんが一発気合いを入れた。ぱっと霧が晴れるように視界が晴れた。

「うわっ!」

 さっきまでセーラー服の老婆がちんまりと腰かけていた場所には、筋骨隆々の黒人男性がどっしりと座っていた。ごついタトゥーが入った右手でドレッドヘアをかき上げ、ダンディーな低音で「ヘイ、こいつでどうだい坊主」とささやくと、ニタリと笑った。だが服装はセーラー服である。

「あわわわわわわ」

 おれはベッドから落下した。いてぇ、と言ったところに、「だらしないねぇ」という声が降ってきた。トミコさんである。

 慌てて起き上がるとすでに黒人男性の姿はなく、小柄な老婆が元いた場所にちんまりと座っていた。思わずほっとしてしまった。

「これがあたしの生業さね」トミコさんは自慢げに言った。「今さっきのは、先月この辺で死んだラッパーの霊をあたしの体に降ろしたのさ」

「うおおおぉぉ! すげぇ!」

 おれは心の底から感動していた。自己暗示がどうとか言っているレベルではない。トミコさんは完全に屈強な黒人男性へと変貌を遂げていたではないか。このデモンストレーションから女の子でやってくれればいいのに。ていうか今更なんだが、

「トミコさん、なんで風俗で働いてんすか?」

「趣味。てかここあたしの店だし」

 店まで持っちゃうほどの趣味ならしかたない。

「ともかくこの降霊術を使って、兄ちゃんの好みドンピシャの女をあたしに降ろしてやろうってわけさ」

「まじかぁ……すごい店入っちゃったな……」

 とはいえ、トミコさんのクオリティなら全然いける。別のすごいものを見て霧消しかけていた性欲が「やっぱり今って私の出番ですか?」と頭をもたげてくる。そう、お前の出番らしいのだ。信じがたいことだが。

「ああ、体はあたしのだけど心配しなくていいよ」

 トミコさんはグラスのビールを飲み干し、もう一杯注ぎながらそう言った。「あたしゃもう年だし骨粗しょう症スレスレだけど、霊を降ろしたらそれなりに強化されるからね。たとえばさっきのジェフだったら、リンゴは片手で砕けるし、大抵のチンピラは一発殴りゃ吹っ飛ぶよ」

 ラッパーのジェフ、もしかしてトミコさんにいいように使われているのではあるまいか? まぁいいか。

「で、どんな感じでいく? 看板みたいな感じの子?」

「話が早い! お願いします!」

 なんてったって時間制限があるのだ。

 トミコさんは「フン!」と気合を込め、数珠を握りなおし、ふたたびお経のようなものを唱え始めた。迫力のある声が殺風景な部屋に満ち、おれはまたぼーっと頭の中に霧を吹き込まれたような気分になって、

「おにい~ちゃん!」

 と声をかけられ、はっと気づくと、目の前に美少女が座っていた。

 紛れもなく女の子である。ツインテールの長い黒髪、すべすべの白い肌。大きな瞳に愛らしい唇、ほっそりとした体つきと、それに不釣り合いなほどの豊満なバスト。ぺらぺらのセーラー服を着ていても明らかに美人だ。許容範囲どころかとんでもない、百点満点を超えている。

 おれの表情を見て「満足したらしい」と察した彼女はサッと立ち上がり、猫のようなしなやかな動きでおれの隣にストンと座った。上目遣いでおれの瞳を見つめ、

「あたしのこと好き?」

 と尋ねる。

 もう「うん」としか言いようがない。彼女はおれの返事を聞くと嬉しそうに微笑み、「ほんと?」と小首を傾げながら太腿を撫でまわしてくる。

「ほんとだよぉ」

「じゃあいっしょに死んでよおおおぉぉぉぉ!!!」

 女の子はそう叫ぶと急にカッと目を見開き、唾を飛ばしながらおれの首に両手をかけてきた。刹那、彼女の両手首の内側にある夥しい傷跡と、生々しくぱっくりと割れた赤い溝のような傷が目に入った。

「あたしのこと好きなんでしょおおぉぉぉ!!? 一緒に死んでよぉぉ!!!」

 両手の親指で動脈をぐんぐん押してくる。肉体はそれなりに強化されるとトミコさんは言っていたが、それにしてもすごい力だ。これ筋力だけジェフじゃない? とかそんなことを気にしている場合ではない!

「おおおおお! とっ、トミコさあぁぁん!! チェンジ! チェンジぃ!!」

 おれは首を締められながら叫んだ。途端に「どうした兄ちゃん」と老婆の声がした。息苦しさが消え、荒い息を吐きながらなんとか気を落ち着かせる。老婆の姿に戻ったトミコさんは、三杯目らしきビールを飲んでいる。

「めっ、メンッ、メンタルがあの、怖いひとが」

「あー、レイナちゃん降りちゃったか。そうかそうか」

「いつメンなんすか?」

「あの子はこの辺を漂ってる悪霊なのさ……付き合ってた男を刺して自分も手首を切ったんだが、男が死ななかったもんでひとりぼっちになっちまった。それ以来、常に道連れを探しているのさ……かわいそうに」

「いやかわいそうだけど、そんな危険な子呼ばないでくれます?」

「美人だからウケがよくってねぇ。で、どうする?」

「はい?」

「言ってなかったっけ? チェンジ、二回までだけど」

 トミコさんはしれっとそう言う。

「ええ!? ていうかジェフもカウントされんの!?」

「しょうがないからあたしとするかい? エッチなことを」

「帰ります!!」

 というわけでおれは店を後にした。趣味でやってるというだけあって、かなり良心的な価格だった。すごいイリュージョンを見た代金だと思えばむしろ安いかもしれない。「これ家に入るときに肩にかけな」と、お清めの塩までつけてもらったし。

 それにしてもトミコさんの力は本物だな。もう一度行って……いやいや、また悪霊に襲われたらかなわない。今度こそ性欲も引っ込み、おれは大人しく家路についた。

 一人暮らしのアパートに着くと、おれはトミコさんに言われたとおり塩の小袋を開け、中身を肩にかけてから中に入った。わびしい住まいだがほっと落ち着く。風呂に入って一杯ひっかけて寝るかぁ……などと考えながら手を洗っていると、

 ピンポーン

 と、インターホンが鳴らされた。

 時刻はすでに午後十時過ぎ、宅配便が届くような時間でもない。戸惑っていると、

 ピンポーン

 もう一度インターホンが鳴った。厭な予感がした。

 残念ながらモニターなどという高級なものはない。しかし、いきなりドアを開けるのも不安だ。おれは息を殺してドアに近寄り、ドアスコープを覗き込んだ。

 カッと見開かれた目が、こちらを睨み返していた。

「ひっ」

 おれは尻餅をついた。慌てて蓋を閉め、座ったまま後ずさった。

「おにいちゃあぁぁん、なんで追い出したのおぉぉぉ」 

 ドアの向こうから聞き覚えのある声がした。

 レイナちゃんだ。おれに憑いてきたに違いない。そして、清め塩を使われたことを怒っているのだ。

 そう理解した直後、ドアノブがガチャガチャと激しく動き始めた。おれはとっさに「チェンジ!」と叫んだ。何度も叫んだが、ドアノブの動きはいつまでも止まなかった。

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