第3話
天女は下界を見ていた。
じっと、見ていた。
「おまえは何を見ているんだい?」
父である天界の王はたわむれに訊いた。
「私の旦那様が、あそこに……」
姫が指したその先には人間しかいなかった。
牢のなかの汚い人間だ。
王は笑った。大いに笑った。
取るに足らない人間。
つまらない人間。
おのれのことしか
だから牢に入れられたのだろう。
そんなものが
「おまえは何を言っているんだ?」
怒りだ。
王の言葉ははっきり怒気をはらんでいた。
はっと、そこで姫は気付いた。
「お父様! おやめください!!」
大いなる
「人間などすべて同じ。すべて、罪人だ! おまえを惑わすゴミどもなど、何もかも! きれいに掃除してくれるわっ」
雨である。
すべてを流す。
雷である。
すべてを打ち滅ぼす。
千の滝と、万の雷が人の地を襲った。
男は牢から解き放たれていた。
必死で駆けた。
必死で呼びかけた。
「皆々、山の上へ! あの上ならば!!」
男はいつも天を見ていた山の上へ誰も彼もを
雨に、雷に、その声はかき消されようとしていたけれど。
男はそれでも、その手から幼子を、年寄りを、離さなかった。
怪我したものに肩を貸し、くじけようとしたものいたならば笑顔で励ました。
「ああ、哀しい」
男は誰も彼も助けようとした。
今まで男のことを笑っていたものも。
男を
男を
長者の娘も、長者も。
男は助けたかった。
ただ、それだけだった。
「見ろ、あれを!」
誰かが叫んだ。
天が裂けた。
そう、見えた。
雲が割れ、暗い空に一条の光。
その光の先に。
「ああ、天女がいる……」
それは幻だったのかもしれない。
男は一人、泥水の中に浮いていた。
もう、みんな山の上へ。
男は満足していた。
これでいい。
これでいいんだ。
みんなには家族がいる。
みんなには友達がいる。
愛する人がいる。
でも、私には誰もいない。
でも、私はみんなを助けられた。
「それで、いいの?」
手が、伸びていた。
しなやかで美しい。
白い手。
男はうなずいた。
「私はでも、あなたに生きていてほしい」
「どうして?」
「あなたはずっと、私を見ていた。私もあなたを見ていた。あなたは一人じゃない」
「君は……」
「私は……」
男は、手を伸ばした。
雨が止んだ。
空が晴れた。
百日ぶりの青空に、人々は歓喜の声を上げた。
神に祈りを捧げた。
「やまない雨はない」
祭りが開かれた。
天に感謝する。
何より一人の男を
何でもない、ありふれた男を。
ただの正直者を。
寂しくないように。
夫婦和合に親愛も込めて。
人々は男を
ただ、それだけの話。
つまらない話だったな。
付き合ってくれてありがとう。
ありふれた昔話 歩 @t-Arigatou
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