蝉時雨

ポテトマト

本文

色褪せた彼との幼い記憶は、稀に、はっきりと耳の中に聞こえてくる。

茹だるような、暑さの中。

蝉の声は、ますますと増え続けている。

ノイズだらけの歌の余韻。

靄に塗れた彼の印象は、乾いた空気のように。

とある、雪の日の事だった。

夏とは真逆の空気の中、彼の葬式は終わった。

とうに過ぎ去った季節のように。

残された声の寒さを、既に忘れ去っていた。

彼は、歌う事が大好きだったのだろうか。

童歌わらべうたばかりが、やけに胸の中から響いてくる。

肌の表面に迫る、煩わしい蝉の羽音。

ジリジリと、過去の隙間が視界を埋めてゆく。

乱雑に混ざった声の群れ。

鼻先に滞る熱気は、輪郭が薄れていて。

欲しかったなあとばかり、今は感じる。

り付くような蝉のプリズム。

万華鏡の中に映った、透けた羽根の紋様。

散らばっていた記憶は、初雪のように。

頭の中に、しんと降り注いでいる。

悴んだ指先の、僅かな震えのように。

ベッタリとした、汗の質感。

吐き気がする。

じろりとにじり寄る、お腹の寂寥せきりょう感。

過去からの自分の影は、映像のように。

瞼の裏で、哀れな姿を踊っている。

ねんねんころり、おころりよ。

当時の僕は、下手くそな彼の子守で。

森の中から、蝉の声の邪魔を受けていた。

暑苦しい夏空の音。

甘くて爽やかな、青いかき氷のイメージ。

彼が住んでいた奥多摩の家は、立派な邸宅で。

彼は、とても静かな風貌であった。

彫刻のように、端正な顔立ち。

育っていたら、髪も艶やかだったのだろうか。

気持ちの悪い妄想ばかりが湧き出る……。

か細い声。汚れの無い純粋な甘さ。

ハスキーボイスの美しさは、磨かれた硝子ガラスのようで。

僕の心に、僅かな跡を残している。

ねんねんころり、おころりよ。

丸みを帯びた、死人の声。

棺の中に見えた表情は、安らかで。

現実を受け容れるのが、精一杯だった。

蝉の、鳴き声が聞こえている。

煩わしくて、そして微かに感じる吐き気。

熱ばかりが、身体を駆け巡っている。

涼やかな、あの景色の奥底へと。

水を、ごくごくと飲んでいる。

氷のように冷ややかな、肌の色艶。

あの時は、泣き叫びたくて仕方がなかった。

でも、どうしても叫べなかった。

ねんねんころり、おころりよ。

互いに手を繋ぎあった、記憶。

儚く感じられた、彼の笑顔。

抱えた痛みの全てが、遠のくような気がして。

色褪せた彼との幼い記憶は、稀に、はっきりと耳の中に聞こえてくる。

ねんねんころり、おころりよ……。

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