夏の記憶

月浦影ノ介

夏の記憶




 怖い体験談ですか? 

 さぁ・・・・私は特に霊感もないし、幽霊を見たりしたことは一度もないですねぇ・・・・。


 ただ不思議というか、あれは何だったんだろうと思うような出来事はありました。それで良ければお話しますが。


 


 ・・・・あれは、私が二十歳ぐらいのことだから、もう三十年ほど前になりますかね。

 お盆休みのその日、特にやることもなかった私は、実家の居間でテレビを見たりして、午前中からだらだらと過ごしていました。

 確か、お昼を少し過ぎた頃だったと思ます。

 いきなり町の防災無線のサイレンが、けたたましく鳴り響きました。


 ああ、誰か溺れたな、と私はピンと来ました。


 私の実家のすぐ近くには川が流れていて、毎年夏になるとその川で泳いだりバーベキューをしたりと、遊びに来る人たちで河川敷はいっぱいになります。

 川の流れは緩やかなのですが、急に深くなる場所があったり、なかには酒を飲んで泳ぐ人もいたりして、毎年のように水難事故が絶えず、むしろ事故のない年の方が珍しいぐらいでした。


 「誰か溺れたみたいだぞ」と、消防団に所属している父が慌ただしく玄関を出て行きました。

 その日は夜に花火大会が予定されており、河川敷がいつも以上に人で溢れ返っていたのもあって、外から騒然とした様子が伝わって来ます。

 

 やがて救急車やレスキューのサイレンが鳴り響く音が近付いて来ました。

 私は二階のベランダに上がりました。そこからだと河川敷の様子がよく見えるのです。

 溺れたのは川に架かる橋の真下辺りで、川の両岸だけでなく橋の上にも野次馬たちが大勢集まっていました。

 

 「・・・・どこの誰だか知らないけど、遊びに来て死ぬこともないだろうに」

 しょせんは他人事ですから、私はそんな冷めた気分で水難事故の様子を眺めていました。

 

 そのとき突然、何の前触れもなく、頭のなかにある映像が浮かんで来ました。


 目の前を流れる川の映像です。その川面に向かって、私は「ごうちゃん! ごうちゃん!」と必死で叫んでいました。

 私はどうやら子供のようでした。ごうちゃんとは、仲の良い友達のあだ名で、私はそのごうちゃんと川へ泳ぎに来ていたのです。

 しかし、ごうちゃんは溺れてしまい、私はなんとか助けようとしましたが、結局は叶わず、ごうちゃんは川底に沈んで行きました。


 私は大人たちを呼びに行き、それから警察や地元の大人たちも加わって捜索活動が行われましたが、全ては手遅れでした。ごうちゃんの遺体が上がったのは、その夕方のことです。

 私は河川敷の端っこの方に立ち尽くして、友達を助けられなかった罪悪感と共に、ずっとその様子を見守っていました。


 

 そんな映像が頭のなかに奔流のように流れ込んで来て、私は目眩を覚えて倒れそうになり、思わずベランダの手すりに掴まって体を支えました。


 ―――今のは何だったんだ? 


 しばらく経って冷静に自分の過去を振り返ってみましたが、私には「ごうちゃん」というあだ名の友達がいたことはありません。

 それに私は幼い頃から何故か水に入るのが苦手で、学校のプールは一番苦手な授業でしたし、田舎の子供には珍しく川で泳いだこともありません。もちろん川で友達を亡くした経験も皆無です。


 なのにその映像は、あまりに生々しい記憶として、確かに自分の身に起きた出来事だと感じられたのです。

 私は訳が分からなくなり、混乱した頭で一階に降りて行き、きっと暑さのせいで頭をやられたのだろうと自分で勝手な理屈を付けて、ソファに横になって眠ってしまいました。


 その夜になっても、友達を川で亡くした記憶の断片は消えませんでした。

 夕飯の席で、私は両親に「ごうちゃんって知ってる?」と訊ねましたが、二人ともキョトンとした顔をしていました。

 「俺の友達で、川で溺れて死んだ奴とかいないよね?」とも訊ねましたが、両親だけでなく弟や妹も奇異の目を向けて来ます。

 そんな出来事があったら大騒ぎになっているはずで、覚えていない訳がないのです。しかし私だけでなく、家族の誰にもそんな記憶はない。

 これはやはり私の勘違いで、昼間見た映像は白昼夢のようなものだったのだろうと、私は無理やり納得することにしました。それ以上考えると、頭が変になりそうだったからです。 

 


 その翌日のことです。

 近所に住む伯母が、畑で取れたスイカを持って我が家に遊びに来ました。伯母は私の母の姉です。

 そのスイカを食べながら、私と母、伯母の三人で談笑していると、母が昨日の私のことを話題にしました。

 「それでね、俺の友達に川で溺れ死んだ奴はいなかったか?とか妙なことを訊くのよ。暑さのせいで頭が変になったのかと思ったわ」

 そう母が笑って語るのを聞きながら、伯母はふと何かを思い出すように首を傾げました。

 「ごうちゃん・・・・ごうちゃん・・・・。どこかで聞いた名前のような?」

 それからしばらくして、伯母は「あっ」と声を上げ、こんなことを言いました。

 「そういえば、ごうちゃんってあだ名の子がいたわ。確かケンジ兄ちゃんの友達だった子だ」

 

 ケンジ兄ちゃんとは、伯母と母のお兄さんのことで、私にとっては伯父にあたります。戦争で兵隊に取られ、二十六歳という若さで亡くなったのでした。

 

 「ケンジ兄ちゃんが子供だった頃、一緒に川で泳いでて溺れて亡くなった友達がいたんだよ。その子が確か、ごうちゃんってあだ名だったはずだ。あんたはまだ小さかったから覚えてないだろうけど、あたしはよく覚えてるよ」

 伯母は、母にそう言いました。そして私を振り向いて「あんたが見たのって、ひょっとしたらケンジ兄ちゃんの生前の記憶じゃないのかね?」と言ったのです。


 言われてみれば、私が見た記憶の中に出てきた人たちは皆、服装がいささか古いもののように思えました。あれが自分が生まれるよりずっと前、戦前の記憶だというのなら、なるほどそれも頷けます。


 「ケンジ兄ちゃん」は、仏間の鴨居に生前の写真が飾られていますが、顔立ちが私とよく似ていて・・・・というより瓜二つで「お前はケンジ兄ちゃんの生まれ変わりかも知れんなぁ」と親戚が集まるたび、皆にそう言われていたのです。

 

 変なことを言うようですが、仮に目の前で起きた水難事故によって深層意識を刺激され、前世の記憶が一時的に甦ったと仮定してみたらどうでしょう?


 もちろん生まれ変わりなど、簡単に信じられることではありません。しかし、もしもそうだった場合、なぜ私が自分ではまったく身に覚えのない記憶を、確かに起きた出来事だと認識したのか、一応の辻褄は合ってしまいます。

 また、なぜ私が幼少の頃から水に入るのが苦手なのか、その理由も同様です。目の前で友達が溺死したことが深い心の傷となって、今生にも影響を与えているのだと考えることもできるのです。


 もちろん、何の証拠もありません。あくまで単なる推察、というより妄想の類に過ぎませんが・・・・。

 

 ですが、もし前世というやつがあって、私が「ケンジ兄ちゃん」の生まれ変わりなら、幼くして死んだごうちゃんも生まれ変わっていて、どこかで幸せに暮らしているかも知れない。少なくともその可能性はある訳です。


 そう考えると、私は何故かひどく懐かしい気持ちになると共に、なんとなく救われるような思いがするのですよ。



                  (了)


 

 


 

 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の記憶 月浦影ノ介 @tukinokage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ