CPお題ワンライ

<牙と鎖>

第1話 「梅雨明け」

スキンシップお題ったー

https://shindanmaker.com/63822


こちらよりお題を頂戴しました。


○○へのお題は「泣きそうな顔で」「背中にもたれる」。

キーワードは「停電」です。

2023年7月10日0:00~7月16日23:59

※夏コミ前なのでワンライ、48時間ではなく1週間で書いております




 その日は外の大雨の湿度と夏直前特有の暑さで衣服が生ぬるく肌に張り付くようだった。

 祐介が僕を信頼しているのか何なのかは知らないが、今更沙也香と二人きりになるのは少なくとも僕は気まずかった。沙也香の方がどう思っていたかは知らないが、幼稚園からの幼馴染みが自分の親友とはいえ別の男とくっついて何か違う生き物になったような、そんな嫌悪感を感じていたんだと思う。

 高校を出た後の男女のはっちゃけた空気をサークルの内外に感じていたナイーブだった僕にはいくら饒舌に沙也香が僕と二人の共通の思い出を語っていてもどこか薄ら寒いというか空虚というか、現実感のないものとして感じていたのは今でも覚えている。

「ね、陶也さ、お泊まり保育の時におねしょしたよね」

「そうだったっけ」

 よく覚えているな、と思いつつ気のない返事をする。半分は興味のない話題だったということもあるだろう。

 僕は頼まれた用事である備品棟に置かれた捜し物をどうするかという考えごとに終始するふりをしていた。もちろん、それはお互いの距離感のことを考えないようにするためでもあった。

 僕が沙也香のことを好きなのは彼女は知っていたんだろうか? 知っていたんだと思う。その上で祐介を選んだのは間違いないだろう。別に、それを薄情だとは思わない。だけど幼馴染みで始まった三人だからこそつらくもあった。僕一人が友情なんて言葉出して悩む悔しさよりも二人がテニスラケットをお互いに持って歩いているあの空気感、お似合いなのが悔しかった。

「……陶也さ、聞いてる?」

 沙也香が少し唇を尖らせて尋ねる。芋っぽかった眉毛も高校の頃とは違って少し細く整えている。僕と違って大学デビューに成功したんだなと頓に感じる。

「聞いてた聞いてた。コモドオオトカゲが卵産んだって話だろ?」

「はぁ?! 話題がかすりもしてないんだけど?!」

「はは、そうだっけ」

「そうだっけじゃないってば! んもう」

 適当にごまかしながら僕は棚の上の方を背伸びしながら手探りで弄る。金属製の少しさびた棚に積もった湿った埃がねばっこく指の腹や爪の間に入り込む感じがした。

「……雨、すごいね」

 ぼそっと沙也香がつぶやいた。小さな喚起のための窓ガラスを叩く音は確かにさっきから僕も気付いていた。

「そうだな」

「思い出さない、小学校の頃」

 沙也香がそう言って、思わず僕は思い出してしまった。

「……傘のやつか」

「そそ。一本しか傘なくて、一緒にさして帰ったね」

 小学校で男女が相合い傘などするとどうなるか、それは今も昔も大して変わらないだろう。翌日すっかり年季の入ってチョークしみの消えない黒板に書かれた相合い傘を僕は黒板消しで思い切り消して泣きじゃくる沙也香に気にしないようにしよう、と言ったのを思い出す。

「あのときね」

 沙也香の声が背中越しに聞こえる。

「嬉しかったの」

 僕は黙っていた。少しだけ顔が熱くなるのを意識しないようにして、指先に神経を集中して捜し物を探る。備品棟の棚にあると聞いていた捜し物は見つからない。いくら指先で探っても薄汚れた湿った埃が当たるか、指が空を切るだけ。

「……小学校にはああいうところ、あるよな」

 沙也香がもう祐介とキスしたのかとか、エッチしたのかとか、そういうことばかり気になるのは僕が男だからだろうか。僕の知ってる二人が僕の知らないところで僕の知らない二人であることがひどく癪で、惨めだった。

 そのとき、窓の外がひどく光った。じじ、じ、と虫の羽音のような不快な音を立てて頭上の古い蛍光灯がかすかに明滅するのを感じた。

「……そっちじゃ、ないよ」

 沙也香がそう言ったのでてっきりこちらの棚だと思ったのに、と足が痙りそうなのを我慢して背伸びしていたのを僕はやめた。思わず僕は振り返った。

「一緒に帰れたことが嬉しかったの」

 沙也香は泣きそうな顔でそう言った。

「え」

 僕が言ったのとほぼ同時くらいに、また蛍光灯が点滅してふっと消えた。備品棟の中は真っ暗になる。停電した建物の中より街灯がある外の方が明るくて、換気用の窓からわずかに光が差す。外で雷鳴、どこかで地面に落ちたような轟音が響く。

「陶也のことが好きだったから一緒に傘をさして帰れたのが嬉しかったの」

 生唾が乾いて喉が張り付くようだった。湿度の高い空気がひどく肌に不快で、何で今更そんなことをいうんだよ、と言う気持ちを僕は必死に思いとどめた。

「……そっか」

 できるだけ気にしないふりをして、そう告げた。それが精一杯だった。

 暗闇の中雨の音以外の静寂が響く。互いの顔なんか見えないけれど、僕は沙也香に背を向けるように棚の方を向いた。直後、彼女が僕の背にもたれかかってくるのを僕は予想できなかった。

「ごめんなさい」

 何に対する謝罪なのかわからなかった。ポロシャツ越しに沙也香の体温とじわっと濡れる感触が伝わってきて彼女が泣いているのだとわかった。

「祐介の告白を受ける前に言うべきだった」

 背中にもたれかかった沙也香はすっかり大人の体格で、三人でじゃれていた頃とは違うのだと思った。

「……無責任だろ」

 沙也香を非難すべきではないと思ったが僕は自己保身に終始することしかできなかった。祐介に対する背信行為もまた働きたくなかったからだ。こうして二人きりで夜のキャンパスに捜し物に来ているのもあいつからの信頼あってこそだし、あいつも来れるなら一緒に来ていただろう。以前みたいに、三人で。

「どうすりゃいいんだよ、今更」

 思わず僕も弱音を吐いていた。男ならここで凜とすべきだと思った。だがまだ大学に入ってから最初の誕生日を迎えたとはいえ十九歳の僕には受け止めるだけの強さはなかった。

「僕も沙也香が好きだよ」

 半分やけになりながらそう言った。僕だって沙也香みたいに泣きたかった。胃の中から酸っぱいものが戻りそうになる胃痛をこらえて拳を握りしめた。

「……なんで祐介と付き合ったんだよ」

 あのとき相談を受けたのも覚えてる。

「……引き留めてくれるかなと思って」

 知るかよ、そんな気持ち。僕がどんな気持ちで相談に乗ったと思ってるんだ。

「わかんねぇよ」

 絞り出すように僕は言った。

「はっきり言ってくれないとわかんねぇよ。昔みたいに」

「……ごめんね、ごめんね」

 僕の背中で沙也香は泣き続けた。

 捜し物は見つかった。棚の奥でくしゃくしゃになっていた。すっかり埃まみれだったそれをぱたぱた埃を払って僕は回収した。



「えー?! その流れでお父さんとお母さん付き合う、ふつー?!」

 由芽子のもっともな問いに僕は答える。

「その祐介がな。別の大学の女子とも二股してて」

「うっわ。クズじゃん」

 由芽子は容赦がない。目の前のコーヒーとミルクをマドラーでぐるぐるとステアしながら僕と妻の顔とを見比べた。

「そんなすごいドラマみたいな馴れ初め、あったんだ?」

 由芽子は妻の顔を見てそう言った。妻は穏やかに笑う。

「お母さんも若かったのよ。お父さん、ああすれば振り向いてくれると思ったのに裏目に出ちゃって」

 すっかり前髪に白髪が交じった沙也香だが僕はあの初夏の蒸し暑い雨の日の、備品棟での彼女の泣きそうな顔を生涯忘れることはないだろう。

 祐介とは件の二股事件ですっかり疎遠になったが、お陰で沙也香とは丸く鞘に収まったというか。こういうのが、怪我の功名だろうか。

「でもさでもさ、そういう経緯からでも二人付き合おうと思ったわけ?」

 由芽子は興味津々といった様子で僕たちに尋ねる。穏やかなコーヒーからの湯気がふんわりと浮かんでいる。

「だからこそ、かもね。そのお友達が浮気してて、お父さんは逆にそんな状況でも私に手は出さなかったから。絶対、浮気しないって思ったの」

 にこにこして妻はそう語る。

「……奪い取る勇気がなかっただけだよ、小心者だから父さんは」

 年を取るというのはこうして笑い話にできると言うことだろうか。十九歳の自分の人生最大の悩みのようなものはこうして還暦も近くなるとちっぽけな悩みに感じた。それでもあのときの自分の苦悩や判断はきっと正しいものなのだと思うのだけれど。

 人生は選択と決断、その連続だ。それは真っ暗な部屋の中、手探りで埃まみれの棚の中を探すようなあの感触とも非常に似ている。あの夏の日僕の捜し物は確かに見つかったのだ。

「由芽子、あなたの彼氏さんもきっと連れてきなさいね」

 沙也香がそう言うと由芽子はえー、と少し不満げに言った。

「本当につまらない人だよ? あんまりカッコよくないし……」

 そう言いながら由芽子は人差し指でくるくると毛先を弄んだ。少し遠くを見るその視線に、きっといい人を見つけたのだと僕は思った。きっと沙也香もそう思ったに違いない。

 窓の外を見るとすっかり雨は上がっていた。梅雨明けも近いだろう。

 あれからもう何回目かの夏が来る。すっかり年を取ってしまった僕もこの季節になると気持ちはいつもあの停電の夜を思い出すのだった。


<了>


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