第8話 大団円
五月病から抜けた雄二と、中二病に罹ってしまった裕美は、お互いにSMの関係が続いていた。
これは、裕美が中学生に入った頃から始まったもので、最初に言い寄ってきたのは、裕美だった。
雄二には裕美が、
「Mではないか」
ということは薄々感じてたようだ。
裕美の方も、兄に対して、兄としてよりも別の感情を抱いていて、それが何から来るのか分かっていなかったのだが、中学に入った頃に、兄のS性に気づいたのだ。
それは裕美がまだ思春期に入っていなかった時期だったが、ちょうど初潮を迎えた頃で、精神よりも先に身体が大人に変わりつつあった頃だったのだ。
まだ、精神的に追いついていない間に、肉体的に目覚めてしまい、兄である雄二に身を任せることにしたその時から、裕美は自分が中二病になっていたことを漠然と理解していたのだろう。
中二病というのが恥ずかしいことであり、それを、
「許されないことだ」
と感じていたのは、
「キリシタンである細川たまが、自殺できない自らの命を絶つにはどうすればいいか?」
と考えた時と、どこか似ているような気がする。
肉体的には大人になりつつあったが、精神的にはまだまだ子供だった裕美にとって、精一杯の背伸び、それが、兄へのSMの関係の容認という考えだったに違いない。
裕美は歴史が好きだったので、中学に入った頃には、すでにいろいろな歴史の本を見ていた。
その中で、この細川たまの話を見た時、
「どこか、他人のような気がしないわ」
と感じたのだろう。
まるで自分の気持ちの中に、細川たまがいるような気がした。兄に対しての、これもタブーではないかと言われる、
「SMの関係」
それを思うと、これからの自分をいかに考えればいいのかということを思い悩むようになっていた。
さらに、裕美は自分を見ている兄の親友である弘前の熱い視線も感じていた。
その視線は、本当は兄である雄二に感じたいものだったが、明らかに視線の熱さには、温度差があった。
弘前の視線は、暖かく包まれるようなものであり、兄の視線は、近づいただけでやけどしそうなほどだった。
本当であれば、
「逆のような気がするんだけどな」
と、弘前に対してというよりも、兄の雄二に対して感じることが多かったのだった。
「お兄ちゃんだったら、普通なら、妹を暖かく包んでくれるものだって思うのが本当なんじゃないかしら?」
と、裕美は感じた。
「それなのに、あの脂ぎったような危険な視線は、どうしたことなのか、自分がまるで悪いようではないか」
と裕美は感じ。自分に何をどう言い聞かせればいいのか分からずに、考え込んでいるようだった。
そんな時、細川たまが降りてくるのだった。
彼女は、いつも何かを裕美に言おうとするのだが、何を言おうとしているのか、裕美には分からなかった。
「私は、一体、何を感じているのだろう?」
兄が嫌いなわけではない。弘前にしても同じだ。
兄の視線を感じるまでは、どちらかというと、弘前にあこがれていた。
いつも、正義感に満ち溢れていて、頼りがいのある男としての弘前と、彼の話をしていて、溢れ出てくるような知性は、裕美の中の少女が、大人になっていくのを、弘前であれば、感じさせてくれると思うのだった。
だが、本当であれば、弘前に感じたかった視線を兄が浴びせてきて。兄に感じたかった視線を弘前が浴びせてくる。
「大人になってしまうと、二人の視線は違ってくるのだろうか?」
と、裕美は考えた。
そこで裕美がとった感情は、
「私が早く大人になってしまえばいいんだ」
ということであった。
肉体的には無理があるが、精神的にはいくらでも、背伸びをすれば、大人になれると思うのだった。
そして、気持ちが一気に大人になれば、実際のスピードよりも急激に肉体も大人に変わるのではないかという思いを、裕美は抱いたのだった。
裕美は、兄である雄二が、
「五月病」
に罹ったのを見ていた。
五月病という言葉は、弘前から聞いたことがあったのだが、その意味はよく分からなかった。まだまだ子供が理解できるものではなく、話をしても、体験しなければ普通であれば分かることではない。
そのため、
「五月病って何なのかしら?」
という思いと、
「お兄ちゃんのあの苦しみ、どうにかしてあげたい」
という思いが交錯した。
それは、すでに二人が、
「SMの関係」
に肉体が溺れていたからだった。
とはいえ、まだ子供の肉体である裕美に、必要以上の凌辱などできるわけはない。
SMの関係というよりも、どちらかというと、
「幼児をいたぶる」
という、ある意味、
「SMの関係」
を超越したものだったに違いない。
そんな関係が許されるわけもなく、その思いが兄である雄二に襲い掛かり、
「大学生になってまで、妹を幼児としていたぶっているなんて」
という罪の意識の強さから、五月病になったのではないだろうか。
そのことを、誰にも知られてはならないという感情から、雄二は必死になって、五月病を装ったのかも知れない。
ということは、厳密にいえば、あの時の雄二は、五月病ではなかったということになるだろう。
だから、今陥ってる裕美だって、
「中二病」
とは、厳密に言えるものではないのかも知れない・
弘前は、裕美を熱い視線で見ることができなかったのは、兄である雄二の熱い視線を知っていたからだった。
「俺までもが熱い視線を送ってしまうと、今の裕美には耐えられない状況になるかも知れない」
と考えた。
それはあながち間違いというわけではない。ただ、裕美が自分の立場と兄と弘前という二人の男性に対する立ち位置を考えると、弘前の選択は、
「果たして、間違っていたといえるのだろうか?」
と考えられるのであった。
「俺は裕美のことをどう思えばいいのだろう?」
それまで裕美というのは、
「雄二の妹」
としてしか見ていなかった。
それは彼女がまだ子供だったからだ。しかし、兄の雄二は違った。この違いが裕美に対して、
「歪んだ感覚」
を抱かせることになったに違いない。
裕美は、弘前のことが好きだった。勧善懲悪で真っすぐな性格に憧れていて、兄との違いも分かっているつもりだった。
雄二は、自分が弘前と性格も似ていると思っていた。態度などは、いつも一緒にいることで似てくるところもあるだろう。だから、裕美が弘前のことを快く思っているということは、自分に対しても、よく思っているはずである。しかも、兄である以上、さらに自分のことを好きになったとしても、当然のことであり、好きにならなければ、ウソだと思っていたことだろう。
そんな中で、SMの関係になってしまった。
兄の方から迫ってきたのだったが、その時の兄を裕美は、
「まるで鬼畜のようだ」
と思っていた。
自分の欲望のままに、女の子を蹂躙するなんて、ありえないと思っていたのだが、自分が子供だから、それは仕方のないことのように思っていた。
しかし、実際には、相手が十三歳未満であれば、もしそれが合意の上であっても、その行為は罰せられる。十三歳未満は、まだ子供であり、判断能力がないと思われているのだった。
だから、婦女暴行にしても、十三歳未満は、
「婦女ではないので罪にならない」
というわけではない。
「幼女であったり、児童として解釈され、その場合は、もし、女の子が同意したとしても、男側の罪は消えない」
という解釈だ。
それはもちろんのことであり、未成年よりもさらに若い世代の話だからである。
ただ、裕美が中二病を発症した原因として考えられるとすれば、十三歳前後の裕美に対して、SMの関係を結んでしまったということが、原因なのかもしれない。
判断能力のない状態で、SMに目覚めてしまったわけで、その罪悪感は、子供なのでなかったといってもいい。
しかし、彼女の中には、弘前と同じような勧善懲悪の気持ちが存在していて、その感覚がその時の自分を不安定にさせていた。
SMを悪いことだとは思っていなかったが、何かまわりから諫められているような気がして、後ろめたさのようなものはあったのだ。
その時に感じたのは、
「私が大人になっていれば、その理由が分かったのに」
ということであった。
理由が分からないということは、当然のことながら、自分を納得させられる理由が分からない。
それだけに、大人になると自分を納得させる理屈を考えることができるんだと思うようになった。
だから、大人になりたいと思うのであって、大人になるということが、自分を納得させられることと同意語に思え、そのために、思春期を通り超えなければいけないと思うのだった。
思春期を通り抜けるためには、結界を通り超えなければいけない。それができないのであれば、自分は大人になれないとまで感じていた。
大人になるためには、無理もしなければならない。どのような無理をしなければならないのか、おぼろげながらにも感じていた。
大人というのは、
「身体が先に大人になってしまわないと、精神はついてこない」
と裕美は思っていた。
だから、自分はどちらかというと他の人に比べて晩生だと思っていたので、精神的な成長も遅いと思い込んでいた。
「初潮だって、中学に入ってからだったし、胸が大きくなってきたのも、中学に入ってからだったわ」
と感じていた。
そんな状態なのに、兄からの強要で、SMの関係を押し付けられていた。自分では無理なことだと思っているのに、兄は許してはくれない。
「まるで私は、お兄ちゃんの奴隷にされた感じだわ」
と思った。
今まであれだけ優しかった兄が、どうして豹変したのだろうか?
「まさか、異母兄弟だということが引っかかっているのではないかしら?」
という思いと、さらに、
「年齢が離れていることも、何か影響があるのかしら?」
とも思った。
そんな状態で、思い悩んだ結果、たどり着いたのが、
「私が大人にならなければいけない」
という感情で、その感情の行きつく先が、
「中二病」
だったのだ。
中二病に裕美が至るまでのことを、ゆっくり考えれば分かるはずのことだった。少なくとも、雄二には分かってしかるべきだったのだ。
しかし、そのことに雄二が気づかたかったのは、自分が裕美に対しての異常な感情と、さらに裕美が弘前に対して感じている感情。そして、その感情に自分が嫉妬していることで、弘前を遠ざけたいが遠ざけられないという感情があったことだろう。
自分の五月病も、こんな異常な感情の行きつく先が見えていなかったからだろう。
勧善懲悪というものが、想定的な感覚を生み出し。それが、三人の間で、歪なスパイラルを形成していることで、結界が出来上がっていたのに、それが見えずに、皆がそれぞれに、自分に納得できないという状況に陥ったことだろう。
弘前は、たぶん、自分が勧善懲悪な性格が災いしていると思っていることだろう。
それはそれで間違ってはいないが、他の二人には、それがいいことにしか見えていない。
つまり、他の二人も自分の性格の悪いと思っているところでも、まわりから見れば長所にしか見えていないことだってあるのだ。
それは、歪な、
「負のスパイラル」
を形成しているのだった。
裕美が患っている中二病の正体を、誰か一人でも気づくことができれば、問題は解決するのではないだろうか。
本当は裕美が気づくべきなのだろうが、自分のことは自分にはえてして分からないものだ。
そのことを、雄二も弘前も、そして裕美も分かっている。
「中二病というスパイラル」
を抜けることができるには。裕美が本来の意味での大人にならなければいけない。
「本来の意味の大人とは、何なのだろうか?」
このことを考えていたのは、何と、弘前だったのだった……。
( 完 )
中二病の正体 森本 晃次 @kakku
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