大塚さんとの出会い。その3

 大塚さんと僕との間には、いくつかルールがある。


 その3、お互いを尊重する


 ルールが僕と大塚さんを縛り付ける。


 ルールの存在が、僕が大塚さんに感じている負い目を認識させる。


 あれは事件といって差支えないだろうか。夏休み直前に起きた出来事――僕の大塚さんに対する認識が変わった出来事。僕と大塚さんの関係性が大きく変わった出来事。果たしてその変化は、僕らにとって好ましいものであったかは、現状では見当もつかない。



 事件の後、夏休み前の最後の登校日。僕は大塚さんに屋上に呼び出されていた。

 屋上の入り口が分からず、校舎の最上階を何度も往復して、それらしき扉を見つける。施錠はされておらず扉はあっさりと開いた。未知の場所には、目新しい何かがあるという訳でもなく、埃まみれの空間が広がっていた。その奥に梯子がポツンと取り付けられているのを確認する。

 梯子を昇り切り、やはり未施錠であったハッチを開く。新鮮な空気が肺に入り込んできて気持ちよかった。

 すぐに、視界も外の明かりに慣れてきた。僕の視線の先には、台風明けの延々と思える青空が広がっていた。


「随分、遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」


「屋上なんて来たことありませんでしたから、少しは大目に見てください」


 ハッチから這い出ながら僕は言った。辺りを見渡しても大塚さんの姿は無い。


「どうして屋上集合なのかも疑問ですけれど、個人的にはどうやって屋上の鍵を手に入れたのかのほうが気になりますね」


「先生から借りたんだよ」


 名称不明の設備(発電機だと思う)の裏から大塚さんがひょいっと顔を出した。その表情は、眼前に広がる青空よりも晴れ晴れとしている。


「巻き込まれたくないんで、深くは聞かないでおきます」


「良い心がけだね」


 大塚さんは、手を後ろで組み、一歩ずつ僕に近づく。

 大塚さんは、あと一歩というところまで近づいて止まる。

 正面にいるはずなのに、手を伸ばしても届かない気がした。まだ青空のほうが手近に感じる。


「・・・大塚さん、怒っています?」


「うん。君があんな軽率なことをするとは思わなかった」


「ごめんなさい」


「謝らないで」大塚さんの声色が変わった。初めて聞く低い声だった。

「軽率に謝るものじゃないよ。謝罪の意味が無くなるから。私は怒っているけど、償ってほしいわけではないし、この怒りの対象は何も本間くんに対してだけではないからね」


「だから――約束をしよう」大塚さんはいつもの明るい声に戻った。


「約束・・・ですか」


 どんなを結べと言うのか。


「そう、約束。私と君の間で守る約束」


「分かりました。可能な限り約束します」


 大塚さんは、右手を前に出して人差し指を立てる。


「じゃあ、その1。嘘はつかないで」


 ――嘘をつかない。


「分かりました」


「その2。連絡はすぐに返して」


 ――連絡をすぐに返す。


「分かりました」


「これが最後、その3。自分を大切にして」


 ――に。


「それは・・・約束できません」


 それだけは約束できない。


「そっか、じゃあ、私との関係を大切にして。私も本間くんを大切にする」


 を――に。


 これなら・・・。


「・・・。分かりました。僕は大塚さんを尊重します」


「うん、私も本間くんを尊重するね」


「これからよろしく、本間くん」


「よろしくお願いします、大塚さん」


・・


 大学へ至る桜並木を二人、並んで歩く。


 僕の隣には花柄のワンピースに薄めのカーディガンを羽織った大塚さんがいる。


「本間くーん、おんぶしてよ」


「新学期そうそう、醜態を曝さないでください」


 大塚さんは腰をさすりながら歩いていた。


「一体、どうしたんですか? 先週なんてあんなに元気だったのに大学が始まった途端にこれですか」


「そんなこと言わないでよー。今朝から正体不明の腰痛に悩まされているんだよ」


「正体不明ですか・・・。ぎっくり腰ですか?」


 グーで横腹を殴られた。普通に痛い。


「私はそんな歳じゃない!」


「ごめんなさい、ごめんなさい。冗談ですよ。揶揄からかいたくなっただけです」


 大塚さんは不貞腐れて、頬を膨らましている。


「そういえば、ぎっくり腰って海外だと魔女の一撃っていうらしいですよ。大塚さんもやられちゃいましたね」


「へえ、知らなかった。やっぱり本間くんは物知りだね。・・・って誰がぎっくり腰じゃ!」


 今度は蹴りが飛んできた。まさに魔女の一撃だった・・・。


「ほんと、君は私に対して容赦ないね。もっと尊重して欲しいよ」


 そんなこと言いつつも、大塚さんは笑っていた。僕もつられて笑った。


 大塚さんと二人で他愛もない無駄話をする。


 そんな――日常。


 これが、僕の日常。


 あの日から続く、僕と大塚さんのなんてことない日常。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ありがとう本間くん 多田野 然子 @poti-is-cloudy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ