第2話 佐枝の持ち込んだ指輪
鑑定士の動きを佐枝は見つめていた。こういう所は初めてだから店に入るまでは緊張もしていたけれど、今は子供のような好奇心が勝っている。
繊細に重量を測る秤や比重を見る水?の入った器械は奥まってはいても客から見えるように配置されているから鑑定士の作業はカウンター越しにもよく分かる。実に丁寧に母の貴金属が鑑定されていく。
あれらを見つけたのはつい最近の事だ。母が亡くなって6年、遺産分けはもうとっくに終わっている。姉妹二人だから二分の一ずつ、とは言えない引け目が佐枝にはあったから、更地にしなければ買い手のつかない実家を佐枝が、好立地にある貸駐車場を妹が相続した。
別に争う事もなく決まったので、妹は駐車場の社員給与名目で佐枝に月々小遣いが入るようにしてくれている。
貴金属や預金株券等はおおよそ半分ずつにした。はずだったのだが、
最近になって、母の和ダンスの上部の引き戸のバランスが悪いのに気が付いた。
扉を外してみると奥に隠し扉が現れ、そこから僅かばかりの貴金属が出てきたのだ。
表に出ていた貴金属と隠していた貴金属の意味は母に聞かないと分からないが、
その中にあった一つの指輪が妹に連絡しようと思った佐枝の気持を止めた。
世間知らず。当時の自分の事を佐枝はそう振り返る。
大学を卒業して社会に出る事もなく、勧められるままに結婚した。
酒も好きではなく女遊びも賭け事もしない、飲む打つ買うには無縁の男。
というふれこみだった。趣味が広くてゴルフやテニス、野球に釣りにスキーと誘われれば何でも付き合うので友達のとても多い人気者…
は、家族になってみれば付き合いの為に借金を繰り返す主でしかなかった。
親には何も言わず佐枝は持参金を崩し、自分の貯金を崩し、子供のお年玉や祝金の貯金まで取り崩して繰り返される借金の返済にあてたが、完済しても完済しても新たな借金が生まれてくるだけの日々に、次第に心がすり減り無気力になっていった。
その頃、夫が佐枝の父親に、いずれ佐枝が相続するであろう駐車場を、自分の父親の会社の為の抵当に貸してくれ、と双方の親を巻き込んで実際にはありもしない話を持ち掛けたのを知り、ついに佐枝は親たちに夫のこれまでの行状を総て公にして離婚した。
全面的に息子の非を認めた舅が渋る息子を説得して署名させた離婚届を持って佐枝の父のところへ詫びに来た。渋々ついてきた姑は詫びる代わりに、佐枝に「結婚前はそんな子じゃなかったのに」と嘆いてみせた。
結婚まで長い付き合いではなかった。独身時代の夫の事は知らない。
そんなことはないと思いつつも、その言葉は佐枝の心に一点の黒雲を残した。
姑の言うようにあの人は私と結婚して変わったのか?
必要な物は何でも持って行ってくれと連絡したら夫はレンタカーでやって来て金目の物を根こそぎ、子供にやると言っていた切手帳まで積み込んだのに、佐枝の差し出した婚約指輪だけは置いて行った。もう一度連絡を取るのも嫌だったので、実家の母に処分を任せた。母は
「知り合いの宝石屋に買い取ってもらうわね。お金はいくらあってもいいから」
と言って持ち帰ったが、結局
「あれさあ、改めて見ると見てるだけで腹が立つから捨てたわよ」
と言い、それでも良いかと忘れていた…
その指輪が和ダンスから出てきた。これは傷物だったのではないか。母は馴染みの宝石商にその事を告げられ、あの時の私に言うに忍びなかったのだろう。
捨ててしまうのは簡単だが、佐枝にはそれをはっきりとさせたい理由があった。
あの日、突然呼び出された喫茶店に当時婚約中だった夫は友人だという男といた。
男のアタッシュケースには十個程の指輪が入っていて、今すぐこの中から婚約指輪を選べという。
佐枝は若い時から宝飾品には全く興味がなかった。まして石の付いた指輪は指の元より関節の方が太い佐枝にとって常に安定しない不快な物だからいらない、とはっきり伝えていたのにこれはどういう事なのだ。と思っていぶかしんでいるうちに
二人がさっさと指輪を決めてしまった。男はサイズを直すと言ってそそくさと消えてしまい、夫はその足で父親の会社まで佐枝を連れて行った。男が書いて行った請求書を舅に見せ、佐枝の目の前で舅に高額の小切手を切らせた。
いらないと言っていた指輪はそうして佐枝に贈られた。
もし、あの指輪が偽物なら、夫は結婚前に婚約者の私を使って実の父親に詐欺を働いた事になる… 結婚前から噓つきだった… 姑が佐枝にかけた呪いの言葉
「結婚前はそんな子じゃなかった」のまとわりつくような罪悪感は消えてなくなる。
確かめたい。はっきりとさせたい。でも、これだけを店に持ちこんで何を言われるのか…… 流石に怖い、みっともない…
妹にはだまって、出てきた母の貴金属全部と共に買取商に持ち込む事にした。
受け取ったお金は母の法事に使う事で許してもらおう。今の私にはどうしても母の貴金属が必要なのだから。ごめんね。
「二、三百円」と聞いて、一瞬息が止まった。やったあと思った。これで目的は果たせた。お金なんかいらなかったけど、急いで「それでお願いします」と言った。
断れば持ち帰る事になるから。とにかく手放したかったから。なのに鑑定士は向き合ったまま、トレイの指輪を見つめるようにうつむいた頭を上げずにいる。
どうしたのかしら?
と思っていたら彼の手が何かを持ってトレイの上をゆらゆらと動いた。すると、指輪がコトコト揺れ始めて彼の手の中に吸い込まれた。 あれは… 磁石だ…
指輪には二、三百円の価値すらない事を佐枝は察した。おもちゃ以下だったのか。と思ったらいっそう心が晴れ晴れした。目の前の彼が情けをかけてくれていた事も理解した。
「分かりました。すみませんが、これってそちらで破棄してもらう事はできますか?」
と聞いた。彼はしっかり目を見て頷いた。
了
婚約指輪 真留女 @matome_05
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