婚約指輪
真留女
第1話 持ち込まれた婚約指輪
〝しまった〟と木下は内心でほぞをかんだ。
「お前、技術的には合格点なんだがなあ」
吉田の口癖が脳裏をよぎる。
「そこにほら、思いやり? 優しさ? 入れちゃうでしょ。
聞こえはいいけどさあ、それってプロとしてはいかがなものか。
客に事実、いや現実を突きつけずにその場限りのいい顔しようとする。
それって結局、客の為にもお前の為にもならないんだぞ」
そんな事は分かってる。だから勤め先の貴金属買取会社が電気量販店の
ビルの片隅に新規出店した時、ほぼ同期の吉田が店長で自分は店員になったんだ。
でも、目の前の相手の不快な顔や動揺を、俺は本能的に避けようとしてしまう。
嘘をついてでも。
「俺らが見るのは商品、それだけ。先祖伝来だろうが、婆さんの形見だろうが、
これは偽物、うちでは買えない。言う事はそれだけ。だのにお前は
〝この石には傷があるからうにゃうにゃ〟なんて言うから
客は本物だと思って別の店に行く、それって客にも迷惑かけてるんだぜ」
分かってるよ、だから最近は努力してきた。それなりの進歩もあったと思う。
「お前は、客や商品の履歴に踏み込むな。ドアから入って来た時に、こいつは強盗かそうでないか。出された商品が警察から回っている手配書に該当するかどうか。
相手の事を考えるのはそこまでだ。あとは品物だけ見ろ。この人はなぜここに来たのかだの、この品は誰からもらったんだろう。なんて、一切考えるな。
いいか一切だぞ。自分が鑑定ロボットになったと思え、お前、技術的には合格なんだから」
俺、またやっちまったよ、吉田。
木下は客である初老の婦人とカウンター越しに向き合いながら、トレイの指輪を見つめるようにうつむいた頭を上げられずにいた。
平日の昼下がり、電気量販店は若者で賑わっているが、三階奥にガラスで仕切られた店舗は静かで客もない。
「俺、飯行ってくるわ」
吉田は2時頃に出て行った。隣のビルはパチンコ屋、当分戻ってこないだろう。
こっちも歓迎だ。このビルには、狭い階段とエレベーターが一基、通路には人も物も立て込んでいるし複数のガードマンもいる。強盗はまず来ない。
だったら男二人、する事もなく鼻突き合わせているより、遊んできてくれ、
貸しはまた返してもらうから。という感じだ。
木下は昔から本が好きだ、映画が好きだ、ドラマも好きだ。
だからつい目の前の物から想像の翼を広げてしまう。大人ばかりの家で育った。
だからつい人の表情を読み取ろうとしてしまう。何かあれば叱られるだけの立場の子供が自然に身に着ける反射神経のようなものだ。
それが、この仕事にはマイナスと理解してからは極力自分を律してきた。
まあ、こんな呑気な昼下がりには仕事中に小説くらいは読むけど。
入り口のドアが開いた。店舗内のパーテーションは透明だから入ってくる前から
初老の婦人であることは分かっていた。強盗ではない、警戒する必要はない。
透明のパーテーションは面白い、前までやって来て躊躇するものもいれば、歩いてきた勢いそのままでドアを開けるものもいるのが中からよく見える。
常連の女がいる。複数の男たちに同じブランド同じデザインの宝飾品をプレゼントさせて、一つを残して他を売りに来る。一つ身に着けていれば誰に会っても通用するから。誕生日やクリスマス、バレンタイン… 来る時はいつもドアを乱暴に開け旋風のように入って来る。
木下はそこに、女の心にある僅かばかりの罪悪感を感じている。
こういう店に慣れていない初老の婦人。さしずめ形見分けか…
「いらっしゃいませ」
自分の中の想像の翼をもぐように、木下は立ち上がった。
「すみません。見て頂きたいのですが」
婦人は穏やかな声音でそう言いながら。木下に促されてカウンターに座った。
「大したものはないんですけど、買って頂けますか」
大きな受け皿を差し出すと、錦の袋から、指輪やペンダントトップ、記念メダル
などが転がり出てきた。
「拝見します」
一つ一つ手に取って見る。特に目を引くようなものはないが金やプラチナは本物だ。デザインは古いし、傷もあるが地金としてなら買い取れる品質だ。
今時見かけない大型の純金の結婚指輪は変形している。きっとこの人の母親の形見だろう。指輪のサイズがこの人の指とは違う。
普通この年齢の女性は、聞かなくても言い訳するように勝手にしゃべる。
「叔母の形見分けでもらったの、贅沢な人だったからいい物だとは思うけど、
このデザインはちょっとねえ。だったら売って妹と旅行でもしようかと思って。
食事代位しかムリかしら?」
「母がずっと私にくれると言ってたのに、姉さんが寄こせというのよ、
自分にくれると言ってたって。母って、目の前の相手に調子のいい事言う人だったから本当かもしれない。けど、取られるのは悔しいから」
一所懸命鑑定しながら話は聞いていない風を装う。後々、そんな事は聞いていなかった… のでなければならないから。
とはいえ宝飾品を見ながら、その来歴を聞くのは正直面白い。
だが婦人は、一言も話さない。沈黙が木下の想像の翼を押し広げ始める。
二枚の金メダルは小さいが純金だ。奉職二十周年と四十周年の文字が刻まれている。この客の物だろうか。いくつかあるペンダントトップやは、結構派手で大ぶりだ。
今は全くはやらない形だが石に値段が付く、チェーンの金もプラチナもまとめれば
値段が出せる。これは間違いなくこの客の物ではないだろう。
そもそもこの人はひとつのアクセサリーも身に着けていないのだから。
指輪も特別な品ではないが、石はみな本物だから程々の値が付く。
ただひとつを除いては。
1カラットの一粒ダイヤの指輪。
これだけサイズが違うし、デザインの流行った時代からみてもこの客の品だろう。石はダイヤモンドで台はプラチナ…
婚約指輪の型だからそういう事になっていたんだろうが、石も台も両方とも、
全くのまがい物だ…
この人の人生に何が起こって、こんなイミテーションの婚約指輪を渡され、
それをなぜこの年齢になってから、うちに持ち込んで売ろうとするのか?
いずれにしろ、この指輪に良い物語はなさそうだ。そして今日、再びこの人は指輪の事で嘆くんだろうか… しかし到底、買い取れる品ではないのだが。
木下は、持ち込まれた品を柔らかな布張りのトレイにゆっくりと並べた。件の指輪は隅の角に離して置いた。
婦人の目がその指輪だけを追っている。なぜか追い詰められる気分だ。
「えー、こちらのお品はすべて買取り可能ですので、今見積もりをお出しします。が、こちらはちょっとお引取りが難しいのですが」
客が息を止めて硬直するのが分かった。次は泣き出すのではないかと思った瞬間、「引き取っても二、三百円ですので」と言ってしまった。
俺はまた逃げた。無価値なものに、たとえ僅かでも値をつけて引き取る事はできない。昔なら自腹も切れたろうが、今は客に渡す見積書も支払書も即時本部コンピューターに送られる。
だが「それならいいです」とあちらから言ってくれれば、「あなたの婚約指輪は偽物です」と自分の口から言わずに済む。察して欲しい。
だが、客は間髪入れずに「それでお願いします」と言った。
「しまった」と木下は内心でほぞをかんだ。
(つづく)
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