七月七日、夜の校庭

此木晶(しょう)

七月七日、夜の校庭

 グラウンドは昼間の熱気をその内に貯えていて、じわじわと放出している。空気は汗ばむくらいに湿気を帯び、服が肌に纏わりつく。せめてもの救いは時折吹く風が束の間暑さを忘れさせてくれる事だろうか。

 川上響は額の汗を拭い、空を見上げる。雲一つない黒い天蓋に吃驚するほどの星がばら撒かれている。そして、天の川が別名の『ミルキィーロード』そのままに白い流れとなって満天の星空を分断していた。

「本当に、よく晴れたものだよね」

 感慨深く呟く。週間天気予報で七月七日が雨と予報され、クラス総出で照る照る坊主を作ったのが功を奏したのか、それともクラスの何人かが実行した夕月神社でのお百度参りが効いたのか。

「何にせよ晴れて良かったよ」

 企画した本人としてはその点が一番の気がかりだった訳で、晴れてくれただけで大分肩の荷が下りた、気分だ。

 わっと歓声が上がり、なんだとそっちの方を見れば男子が何人か掛矢を振り回しつつ笹用の支柱杭を打ち込んでいた。「光になれっー」などという叫びが杭を打ち込む音に混じって聞こえる。思いっきり聞き覚えのある声なのはどうしたものか。

「里……、そんなに飛ばすと、バテるよ?」

 ガッツンガッツン杭を打ち込んでいる親友の姿を見つけて、溜め息を吐く。まあ、楽しそうではあるし、倒れたら倒れたで放っておけばいいだけの話だから呟くだけだ。

「でも、一体何本支柱を打つつもりなんだろう。せいぜい三本もあれば十分なんだけど」

 確か昼間その辺りは説明したし、プリントに刷って参加者全員に配ったはずなんだけどな……。明日の片づけの事を考えて少し頭痛を覚える川上だった。

「お待たせ。何とか間に合ったみたいね」

 どうしたもんかなぁと考えていると、後ろから声をかけられた。振り返ると。

「あ、姉御」

「それ、止めてって言わなかった? ねえ、川上君」

 後ろに流した長めの前髪から覗く、ともすれば冷たくさえ思わせる切れ長の瞳に非難二割と諦め八割の色を宿した凪浩美がいた。大きな包みを手に提げている。走って来たのだろうか、肩で大きく息をしていた。

「そうだったっけ?」

「そうよ」

 といっても凪浩美も半分以上諦めているのか、深くは追求せず手にした包みを示す。

「色々作って来たから。と言ってもサンドイッチやおにぎりみたいに簡単なものばっかりだからそんなに期待しないでよ」

「それで十分。ありがとう。本当に助かります」

「そう思うんなら、寮の食堂を使わせてくれた玲子さんにも君からお礼を言うように」

 ちなみに、玲子さんは、学校の側にある白嶺寮のエプロンの似合う管理人だ。まだ、二十代半ばと若く、寮母さんと呼ぶと怒る為、皆玲子さんかもしくは管理人さんと呼んでいる。

「あの人苦手なんだけどなぁ」

「君は企画の発起人でしょう?それなりの責任は果たしなさいよ。作業は分担できるけど、こればっかりは誰かに押し付けるなんて事は出来ないんだから」

「それは、分かっているんだけどね。苦手なのは苦手だな。いや、あの、あとで何か持って挨拶に伺うつもりだから、怖い顔をするのは止めてくれない?」

「だったら初めからそう言ってよ。まったくもう……。本気で怒るよ」

「いやまあ、ついね」

 何がついなのか良く分からないいい訳をしつつ。なんとなく疑問に思った事を口にしてみる。凪浩美と園田美乃と夕月いそらがセットでいるのは殆どデフォルトなのであながち的外れな疑問でもない気もした。

「そういや、他の二人は?独りでいるのって珍しいじゃん」

「別にいつも一緒にいるって訳じゃないんだけど……。皆そうやって言うのよね。なんでだろ」

 どう思う?と聞かれて、川上は苦笑い。

「ま、いいわ。いそらは家の手伝い。夏祭が近いからいろいろ忙しいみたい。特に、いそら神楽舞に参加するそうだから」

「へぇ、それは楽しみかもしれないね」

「大変みたいよ。練習。動きが覚えきれないって嘆いてたもの」

 夏祭に合わせて執り行われる神楽舞は、夕月神社の創始者が命を助けた鬼の力を借りてこの地に巣食う妖かしを封じたという筋で文化遺産的にも価値が高いそうだ。

 それだけに夏祭の目玉の一つになっていて、遠くから見物客も多い。そう考えると、それに参加するというのはものすごいプレッシャーがかかるものに違いない。川上自身は全く関係ないので、あの日本人形のようないそらがどんな風に舞ってみせるか楽しみにすればいいだけだが、本人にしてみれば大変この上ないだろう、多分。

「陰ながら応援させてもらうって伝えておいて」

「どうせなら表立っての方が喜ぶと思うわよ。って、不思議そうな顔しない。全く。これで成績優秀、スポーツ万能って言うんだから世の中どっか間違ってるんじゃないかしら」

「何で」と問うと間髪入れずに自分で考えなさいと返って来た。むうと唸って少し考えてみるが、結局分からなかったので話題を元に戻してみる。

「じゃあさ、園田さんは?」

「ここまでは一緒に来たわよ。これ作るの手伝ってもらったもの」

 凪浩美はやっぱり間違ってるわ……、と呟いた後、教えてくれた。

 何がどう間違っているのかさっぱり分からないが取り敢えずそういう事にしておく。

「それは、男どもが喜びそうだね。内緒にしといた方がいいんじゃない?」

 長い三つ編みと黒ぶち眼鏡の少女を思い浮かべながら言う。気が強い上に騒がしいが黙っていれば文字通りの文学少女という容貌もあって男子の間での人気は高い。彼女が作ったと知れば味を脇に置いといてもとにかく食べたがる輩も多いだろう。

「それって私が作ったっていう事実はどうでもいいって事なのかしら?」

 言葉は柔らかいし、口元には笑みも浮かんでいるが、目が冷たい。いっそ絶対零度といってもいい。

「あーいや、そういう意味じゃなくて。姉御も人気あるんだよ。うん」

 愛想笑いを浮かべつつ、どうしたもんかと考える。どうも姉御と話していると調子が狂うなぁと思考の寄り道をしながら、もう一回話を戻すかと結論する。

「それはともかく、一緒に来たはずの園田さんは今どこに?」

「はぁ……」

「幸せ逃げるよ」

「誰の所為よ、誰の……。里君、本気で尊敬するわ。こんなのと友達やってるなんて」

 なんか酷い言われ方をした。でもまあ、取り敢えず話題は外れたかなと思っていると、「今度、どういう意味か追求させてもらうからね」ときっちり前置いてから、凪浩美は「あっち」と校庭を指差した。

 昼間調達して来た笹の飾り付けをしている集団がいる。寄って集って飾り付けをしている中に何を勘違いしたのか、天辺に星を周りにモールや化繊の綿を飾りつけた笹が混じっているのは見なかった事にする。

「あっちなんだ」

「そうあっち。二十枚くらい短冊用意して張り切って走っていったわよ」

「園田さんらしいというべきかな。ん。でもそんなに短冊つけられるほど笹用意していないはずだけど……」

 そーいや笹の数がやたらと多かったような気もするなと、ざっと数える。

 ……目を擦り、もう一度確認。やっぱり数え間違えていないらしい。ギリギリと首を回して凪浩美を見る。

「えーとですね、凪さん。笹の本数が妙に多いような気がするんですが、それは俺の気のせいでしょうか。具体的には十七本ばかり」

「あれ、知らなかった?昼間里君中心で笹取りに行ったでしょう。夕月神社の方に行ったらしいんだけど、その時だいぶ余分に貰って来たみたいよ」

 てっきり連絡がいってると思ったけど。と、のたまう凪浩美を前に頭を抱える。

「聞いてねぇって。そんなの。どーりで里が矢鱈と杭を打ってるはずだよ」

 里が知ったら『んな珍しいもの俺も見たかったぁ』と叫んでいただろう川上の様子を見て凪浩美は一言。

「ご愁傷様。でも、二人とも似たもの同士だって事が良く分かったわ……」

「姉御、止め刺してどーするかな……」

「普段、姉御って呼ばれてる仕返しよ。自業自得ね」

「そりゃどうも。……里の奴、明日の片付け強制参加させちゃる」

 取り敢えず責任は里に取らせると決めて気を取り直す。見れば、くい打ち部隊と飾り付け集団の準備は殆ど終わりに近づいているらしい。手が空いて暇そうにしているクラスメイトが増えている。

「そろそろ集合かけた方がいいかな。姉御も短冊早めにつけに行ってよ。本数も増えてるから園田さんみたいに二十枚付けてもいいから」

「私は一枚で十分よ。願懸けしたいような願いは一つだけだし。それより、君の方こそいいの。急がないと短冊書いている暇もなくなるわよ」

「もう書いたよ」

 指に挿んだ短冊をピラピラと振って示す。なんと書いてあるのかは凪浩美の側からは影になって読む事が出来ない。

「あら、準備のいい事。さすが川上君って言うべき?」

「疑問符付きなのを突っ込んでもいい? ま、一応責任者だからね、自分の事は後回しにするか、予めやっとくくらいの事はするさ。それに……」

「それに?」

「願って実行してそれが叶えば諸手を挙げて万歳って奴でない」

「それが願い事って事?」

 よく分からないと凪浩美は首を傾げる。

「そ。『楽しめます様に』が俺の願い事」

「何を楽しむのかが抜けてるわね」

「ん~、なんて言うんでしょう、青春の揺らぎというか、煌きというか、若さの影、とでも言いましょうか……」

「はい、ストップ。何処かで読んだ事がある台詞じゃなくて、川上響君本人の意見が聞きたいと思うんだけど」

 芝居がかった川上の台詞を遮って微笑む。何気に迫力があるというか、はっきり言って怖い。真面目に答えないと怒るわよというプレッシャーがヒシヒシと伝わってくる。

「ばれたか。気付かないでいてくれるかなぁと思ったんだけど」

「当然。活字中毒者を甘く見ない事ね。で、どうなの」

「一緒だよ。台詞は借り物にしようと思ったけど、意味は一緒さ。楽しむのも悲しむのも、後悔するのも喜ぶのも、迷うのも馬鹿をやるのも、その何もかもを楽しみたい。いつか思い出して『あの頃は良かった』なんて感慨にふけるのはまっぴらゴメンだけど、『あの頃も楽しかった』と笑い合えるくらいには『今』に浸りたい」

 川上は両手を広げる。くい打ち部隊と飾り付け集団、その両方を視界に収めながら続ける。

「考えてみればさ、社会人って言うのになったら、こんな七夕だから皆で集るなんて事、やろうと思えばいつでも出来るんだよ。今は、学校側に許可貰わないといけなかったり、色々と面倒だけど、だからこそ楽しいんだと思うしね」

 そこで凪浩美の反応がない事に気付く。

「姉御?」

「え? あ、ゴメン。そこまで考えて馬鹿やってたんだって呆れてた」

「それは酷いと思う」

「冗談よ。感心して、納得してたの。その通りだなって」

 凪浩美は空を見上げる。つられる様に川上も夜空を見上げた。空の暗さが増した分、よりはっきりと星が浮かび上がったように思う。

「綺麗よね。こんな風に星を見るのって何時振りかしら。こんな機会でもないとなかなか空も見上げないわね。何もしなくたって時間は過ぎていって、高校生活はたった三年しかないのに」

「だね」

「手伝える事があったら言って。いつも全面的に賛成って訳にはいかないと思うけど、楽しそうだったら手伝うわ」

 そう言った凪浩美の顔が照れ臭そうだったのは見間違いだったのだろうか。夜の帳に隠れてよくは見えなかったのだけれど……。

「感謝します、姉御。それじゃ、取り敢えずは……」

「この大量のジュースをどうしたらいいか教えて欲しいんだが? 返答がないなら今すぐ持って帰るぞ」

 不機嫌な声に二人が振り返る。

「あ……」

「樹先輩……」

 髪を薄茶色に染めた長身痩躯の制服姿が声から想像できるそのままの不機嫌な表情で二人を睨んでいた。両手にはコンビニのビニール袋に入った二十本近い二リットルペットボトルが下がっている。不機嫌になるのも無理はない。

 凪浩美はしまった、忘れてたという表情で、川上はこの人も来たんだ、とただただ吃驚して唖然と樹京也を見た。どうやらお互いに隠し事には向いていないらしい。

「浩美、手伝いさせといて先に行くな、せめてどうするのかくらい説明していけ。川上、同学年なんだから樹でいいって今日までに四回言ったよな。いい加減そうしてくれ。で、もう一度聞くが、こいつは一体どうすりゃいいんだ」

 訳あって二度目の二年生をしている樹がやはり不機嫌なままに問う。ただ、川上はちょっと違和感を抱く。基本的に樹は凪浩美以下数名を除いてクラスの人間と距離を置いている所があるのだけれど、それは相手の干渉を突っぱねるような雰囲気を纏っているといってもいい。それがなんとなく、そうなんとなく柔らかくなったような気がする。

「ゴメン、忘れてた」

「すいません。今後気を付けます。で、ジュースですけど姉御の作ってくれた食いもんと一緒に皆に配ってもらえますか」

「分かった。浩美、手伝え」

 それだけ言って樹は皆の所へ向かう。

「ちょっと待ってよ。こら、待て」

 慌てて追いかける凪浩美に川上は小声で問う。

「樹さん、雰囲気変わった? 前だったら、こういう集まりには絶対に来ない人だったよね」

「なんだか、開き直ったみたいよ。よく分からないけど、この間納得してたから」

 それこそ、よく分からない話だけどと、凪浩美も小声で答え、樹の後を追った。

 川上は二人をそのまま目で追う。凪浩美が樹に食って掛かっている。置いていくなとでも言っているのだろうか。何にせよ樹さんも騒ぎの輪の中に入ってきてくれたのはよい事だよなと思う。

 二人が皆と合流し食べ物を配り始めた。一層活気付いたクラスメイト達を川上は楽しそうに見る。

「まだまだ、騒ぎ足りないよな」

 自然と笑いが込み上げてくるのを止められないまま、川上は呟く。

「おーい、さっさとこっちに来ーい。お前がいないと始まんないぞ」

 里が大声を張り上げて呼んでいる。

「わかったー。今行くよ」

 目の前には多少勘違いの混じっている笹も含めて願いが鈴なりに吊るされた笹が立てられ風に揺れている。騒がしいような、ざわめくような気分のまま川上は歩き出す。

 天は高く、闇は深く、星は今にも落ちてきそうなくらいに輝いている。

 放っておいても時間は流れる。だったら、限られた短い季節の中、精一杯足掻くのはとても貴重で、例え苦しく悩むとしても、それは勘違いでも思い違いでもなくきっと楽しいに違いない。そう川上は思うのだ。


 

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七月七日、夜の校庭 此木晶(しょう) @syou2022

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