告白

目を覚ます。


私たちは朝ごはんを交互に作るという取り決めをした。今日はヒナタの番だった。私はヒナタがそう約束してくれたことを、とても嬉しく思った。ヒナタの作る朝ごはんはいつもどおりとても美味しかった。でも、ヒナタはずっと寂しそうな顔をしていた。


私は朝ごはんを食べ終えると、パソコンに向かった。そして、一昨日書いたメールを開いた。ヒナタに告白できたんだ。今の私にならきっとできる。私は自分に何度もそう言い聞かせた。1時間ほど逡巡したあと、私はついに、震える手で送信ボタンを押した。

私は、できた、と思った。


それから私は動物園の熊のように落ち着きなく部屋をウロウロした。ヒナタに頭を撫でて欲しい、と私は思った。けれど、ヒナタは出勤してしまって、家にはいなかった。私は抗不安薬を一錠だけ飲んだ。それで少し落ち着いた。


午後3時になった。私は勇気を振り絞ってパソコンを開いた。出版社から返信のメールが届いていた。私はまた1時間ぐらいかけて、おそるおそるそのメールを開いた。


そこには、編集者が私と会いたがっている、といった旨が書かれていた。私は今度はすぐに返信した。編集者と直接メールでやりとりし、面会の段取りを付けた。けれどそのせいで、私は一人で出版社に出向かなければならないことになった。私は不安でいっぱいになった。けれど、自分の弱さから目を逸らすことはもうしなかった。


編集者からのメールで、私は自分に自信がついた。それは今までになくはっきりとした、大きな自信だった。そして私は、ある決心をした。


午後5時になった。ヒナタが帰ってきた。いつもよりとても早い帰宅だった。ヒナタはどうしてもユズハに会いたくなって、仮病を使って早退したのだと話した。やがてヒナタは夕食の準備を始めた。私はしばらく、ヒナタのその姿を眺めていた。ヒナタの背中はどことなく小さく見えた。いつの間にそう感じるようになったんだろう、と私は思った。私は自分の勇気の火が消えてしまわないうちに、切り出した。


「……私、一人暮らし、してみたいな」

「もちろん、今すぐにってわけじゃないけど」


ヒナタはビクンと肩を震わせた。そしてゆっくりとこちらに向き直った。ヒナタはとても悲しそうな顔をしていた。


「……なんで」

「なんでそんなこと言うの?」


ヒナタはうろたえていた。私が予想していたとおりの反応だった。私は慎重に言葉を選んで続けた。


「それで、ヒナタと対等になれたら」

「そのときまた一緒に暮らしたい」


私はヒナタから目を逸らさなかった。ヒナタは怯えた小鳥のようにブルブル震えながら、言い返した。


「一人で家から出ることもできないくせに」

「そんなの、絶対無理だよ!」


ヒナタは真っ白になりつつある頭で、矢継ぎ早に言葉を続けた。


「身の回りのことはあたしがやってあげるから」

「そしたらユズハは自分の小説に集中できて」

「ずっとそれでいいじゃん!」


私は、ずっと昔から心の奥底に眠っていた気持ちを口に出した。


「私、自分の力で生きてみたい……」


私の最後の言葉にヒナタは激しくショックを受けたようだった。


「好きにすればいい……!」

「ユズハなんて、もう知らないっ……!」


ヒナタはそう言うと、家を飛び出した。


******


ヒナタは泣きながら町をさまよった。通りから通りへ、よろけながら歩いていった。パラパラと雨が降ってきた。やがてヒナタは意図せず駅に着いた。


ヒナタは行くあてもなく環状線に乗った。そして電車の中でもシクシク泣き続けた。町の景色が走馬灯のように窓を通り過ぎては消え、雨垂れが斜めに走っていった。いっそのこと自分もその景色みたいに消えてしまえたら、とヒナタは思った。もうあたしはいらないんだ。必要ないんだ。ヒナタのぐちゃぐちゃになった思考も感情も、環状線みたいに同じところをグルグル回り続けた。


やがて泣き疲れたヒナタは、呆然と車内を眺めていた。2時間ぐらいそうしていた。


一人の女子高生がヒナタの向かいに座った。彼女はどこか不安そうな表情をしていた。ヒナタはボーっと彼女を眺めた。

そうか……とヒナタは思った。ヒナタは自分が思春期だったころを思い出した。親の支配から抜け出したい、でも怖いと葛藤し続けた日々のことを。

ヒナタは少しずつユズハの気持ちを理解していった。あたしだってそうだったんだ。ユズハだってきっとそうだよね。そう考えると、まるで自分が子供の自立を邪魔する親みたいに思えてきた。


家に帰らなくちゃ。ヒナタはそう思った。


******


目の前が一瞬真っ白に光り、ヒナタは意識を失った。

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