真っ白い空間の中で、目を覚ました。

ヒナタは夢の中でもまだ酔っているようだったが、さっきよりは落ち着いていた。


「今日は私が見たい夢でいい?」

「いいよぉ」


酔っている人間に夢の主導権を渡したらどうなるのか分かったものではない。なので今夜は私が夢をデザインすることにした。私は月に行ってみたいな、と思った。


次の瞬間、私たちはロケットに乗っていた。3、2、1、0、という号令とともに、ロケットが射出した。身体にGが掛かるのを感じた。ロケットは真っ直ぐ宇宙に登っていった。


しばらくすると、身体がふわりと浮いた。無重力状態になったのだ。といっても、私はロケットがどのタイミングで無重力状態になるのかよく知らなかった。なのでこれは、完全に恣意的な演出だった。私は窓の外を見た。


宇宙と大気の境目がはっきり見えた。地球の大気は青い炎のようで、地球全体が薄く燃えているみたいだった。まさに夢のような光景だった。


「ヒナタ、窓の外!凄いよ!」

「わぁ〜。幻想的だねぇ」


やがて、時間の経過とともに地球は少しずつ遠ざかっていった。ヒナタはレーションや液状の宇宙食を手当たり次第にぱくついていた。


「これ、すっごく美味しいよ!」

「そんなに食べたら太るぞ」

「夢だから太らないもん」


確かに、と私は思った。やがて、ロケットは月に着陸した。


私たちはおそるおそるロケットの階段を降りた。地球より重力が弱くて、歩くのに苦労した。私たちは月面に立った。白に少しだけクリーム色を足したような地面が、地平線まで続いていた。大気がないので、空は真っ黒だった。月と同じ色をしたたくさんのウサギたちが地面を飛び跳ねていた。


「ウサギがいるなんて、ユズハって意外とメルヘンなんだね」


私は顔が赤くなるのを感じた。でも私は、月にウサギがいてほしかったのだ。


「ここって月のどの辺りなの?」

「さぁ、知らない。静かの海とかじゃないかな」


私は適当なことを言った。月の地理に詳しい人なんているんだろうか。


「ねぇ、どっちがウサギをたくさん捕まえられるか競争しない?」


ヒナタは競争が好きなようだった。私は「いいよ」と答えると、タモをイメージした。瞬時にタモが出てきた。


私はウサギを追いかけましてタモを振ったが、ウサギは全く捕まらなかった。ヒナタを見ると、彼女は捕網のようなものでウサギを一網打尽に捕まえていた。


「ちょっと!それ反則」

「発想力も実力のうちだよ〜」


やがてウサギを捕まえるのに飽きた私たちは、地面に寝転んだ。私たちは手を繋いで仰向けになり、地球を見た。


それは、宇宙という絶海に浮かぶ小さな青い孤島のように見えた。そして、その島に住む人々の胸のうちにも、それぞれの真っ黒い宇宙があって、そこには希望や将来といった星々が瞬いている。私にはそう思えた。


「あたしたちって、あそこに住んでるんだね」

「うん」


私たちは抱き合ってキスをした。そしてそのまま一緒に眠った。


******


目が覚めた。気分はとてもすっきりしていた。時計は午前6時を指していた。ヒナタはまだ眠っていた。私はヒナタを揺すって起こそうとした。


「ん」


そう言ったヒナタの寝顔は、人形のように綺麗だった。その顔は大人でありながら、どこかに少女を含んでいた。ヒナタの肌の微かなおうとつが、朝の薄青い光を反射して一瞬だけきらめいたように見えた。それは明け方の空に消えてゆく小さな星の光のようだった。私はヒナタにそっとキスをした。夢の続きみたいに。


私はヒナタを起こさないことにした。私はそっとベッドから立ち上がると、キッチンに向かった。私はヒナタのために朝ごはんを作ってあげようと思った。


******


「おはよ〜」


ヒナタが起きたようだった。私はテーブルに、焼いたウインナーとぐちゃぐちゃのスクランブルエッグみたいな卵焼き(?)を用意して待っていた。同時に調理するなんて器用なことはできないから、ウインナーはすでに冷めていた。


「えっ?ユズハが朝ごはん作ったの?」

「うん。ヒナタより早く起きられたから……」


「ありがと〜!嬉しい!」


ヒナタは、少し寂しさを含んだ笑顔でそう言った。私はヒナタのその表情に引っかかりを感じつつも、気づかないふりをした。私とヒナタは席についた。


「美味しい〜!」


ヒナタが卵焼きを口に含む一瞬前にそう言ったのを、私は見逃さなかった。


「フライング!美味しいのフライングだ!」

「あっ」

「でも、ほんとに美味しいよ」


ヒナタは、今度はちゃんと卵焼きを口に入れてそう言った。ヒナタは少しばつが悪そうな顔をしていた。


「本当に?」

「うん。すっごく美味しいよ」


私はヒナタが本当に美味しいと思っているのか気にかかった。けれどもうこれ以上問いただすわけにもいかず、黙ってヒナタを見つめていた。


やがて朝食を食べ終わると、ヒナタは仕事に出かけていった。私はまた、家に一人ぼっちになった。


その日の午前中は、いつもより不安が強かった。チラシがポストに投函される音や、冷蔵庫のブーンという稼働音や、隣の部屋の水道の音が気に触った。視界の隅の暗闇が怖くなった。家のドアに鍵がかかっているか何度も確認した。


私は呼吸が苦しくなるのを感じた。抗不安薬のシートから三錠取り出し、一気に飲んだ。薬はあまり効かなかった。午後になると不安はさらに強くなった。


考えても仕方のないことばかりが脳裏に浮かんだ。朝ごはん美味しくなかったのかも。嫌われたらどうしよう。ヒナタが事故に遭うかもしれない。様々な不安の種が頭の中で芽吹いて成長し、蔦のように私を飲み込んでいった。

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