目覚め

ヒナタは救急車のサイレンの音で目を覚ました。何も見えなくて、身体は指一本動かせなかった。うまく息ができなかった。苦しい。痛い。ヒナタは自分がもうすぐ死ぬことを直観的に理解した。


ヒナタはユズハの気持ちを拒絶したことを後悔した。もう一度だけでいい、ユズハに会ってちゃんと伝えなきゃ……。ヒナタは薄れゆく意識の中でそう思った。


******


私が病室に着いたとき、ヒナタはもうすでに虫の息だった。


「大丈夫なのか!?大丈夫だって言え!!」

私はズタズタになったヒナタにそう叫んだ。


「もうすぐ死ぬみたい……」


ヒナタは霧のような声でそう返した。


「ねぇ」

「ユズハの気持ち、受け止められなくてごめん……」

「分かったの」

「ユズハは自分の足で立ちたいんだよね……」


ヒナタの心電図の音が嫌に耳に刺さった。そんなの聞きたくない。聞きたくない。


「あたし、応援してるから……」

「ユズハなら、あたしが死んでも大丈夫」


それから、ヒナタのゼイゼイという呼吸音が病室に響いては消えた。ヒナタは呼吸と無呼吸を何度も繰り返した。延髄を外傷した患者特有の、ビオー呼吸というものだと医師は説明した。ヒナタは消えゆく意識の中、最期の息で、何かを言おうとしているようだった。


「……」


ひゅうっ、という呼吸音とともにヒナタは息絶えた。最期の言葉は私には聞き取れなかった。

私はヒナタの手を握ったまま泣いた。私の涙でヒナタの手が濡れるたびに、彼女の手は冷たくなっていった。やがてヒナタの身体から体温は永遠に失われた。蝋燭の火が消えたあとに残っていた熱が、周りの冷気に奪われるように。そう、奪われたのだ。ヒナタの命は。知らない誰かに。神様に。私は何もかもを憎んだ。


私は病院から出ると、夢遊病患者のような足取りで町を歩いた。通りでは号外が配られ、見出しには大きく『カルト教団による無差別爆破テロ』と書かれていた。本当に悪夢を見ているみたいだった。


そう、これは悪夢だ……


悪夢……


夢……


そうだ、と私は閃いた。


夢想機を使えば、いくらでもヒナタに会える。ヒナタに会いたい。夢を見なくちゃ!


私は走って家に戻り、すぐさま夢想機の電源を入れた。睡眠薬の瓶を一気飲みすると、あっという間に眠気がやってきた。私はヘッドギアを被り、そのまま眠った。


******


それからの私は、今までに見た夢を何度も何度も繰り返した。目が覚めるたびに絶望しては睡眠薬を飲み、また夢想機を使った。私はみるみるうちに痩せこけて廃人になっていった。私はこのまま死ぬまで夢を見続けようと思った。


夢を見た。


真っ白な雪原に、ヒナタだけがいた。私はヒナタに抱きついた。ヒナタは私の頭を優しく撫でた。私が悲しいとき、ヒナタはいつもそうしてくれた。ずっと昔から、そうしてくれた。


「ねぇ、ハワイに行こう?初めのときみたいにさ」


しかし、いくら念じても風景は雪原のままだった。装置が壊れてるのか?と私は思った。

ヒナタは黙って私の頭を撫で続けていた。やがて、ヒナタはゆっくりと口を開いた。


「ここは夢の底なの」

「夢の底?なんだそれ?」


ヒナタはその質問には答えなかった。


「実はね」


「装置を初めて使った日から、今までの全部が」

「装置で見てた夢なの」


「えっ?」

「どういうこと……?」


私は驚愕して聞き返した。


「今まで見てきた夢は、私が死んだことも含めて」

「ほとんど、現実で起きたことをなぞったものなの」


「そんなはずはない!」


私は叫んだ。記憶の澱が激しく掻き回された。私は思い出したくないことを思い出しそうになって首を振った。


「ユズハが現実と同じ夢を見たのにはわけがある」

「それは」

「ユズハが心の奥底で、ちゃんと現実を生きたいって望んでるから」

「ユズハは自分で自分を治すために、記憶を失くして夢に入ったんだよ」


私は現実を思い出しつつあった。最後に夢想機を使った日のことを。


「そんなことない!」

「嫌だ!別れたくない!」


私はその現実をかき消すように叫んだ。


「ユズハには、ちゃんと現実を見る強さがある」

「今までの夢が、その証拠だよ」


ヒナタは私を強く抱きしめて、言った。


「ユズハ、夢から覚めて」


******


私は泣きながら目を覚ました。そしてそのままベットで泣き続けた。枕がぐっしょりと濡れていった。身体は冷え切っていた。2時間ぐらいそうしていた気がする。


「ユズハ、夢から覚めて」


ヒナタは夢で私にそう言った。私はその言葉を反芻した。頭の中で、その言葉に含まれる意味を一つ一つ確かめた。そういえばヒナタの最期の言葉は何だったんだろう、と私は考えた。それは、いくら考えても答えの出ない問いだった。やがて私は、分からないなら自分で決めちゃえばいいんだ、と思った。そう思えた。私は泣きながら少し笑った。私の冷えた身体は少しずつ暖まっていった。


やがて、気持ちの整理がついた私は、フラフラとベッドから立ち上がった。よろけて転びそうになった。しかし、何とか立つことができた。自分の二本足で。

私は、立てた、と思った。


私は物置からドライバーやらペンチやら金槌やらを取り出して、装置の前に立った。私はしばらく逡巡したが、迷いを振り切った。そして、手際よく装置を破壊していった。装置はただの残骸になった。私はそれを袋に詰めた。


カレンダーで日付を確認する。私は睡眠薬を大量に飲んで三日ほど眠っていたらしかった。今日は粗大ゴミの日で、出版社との打ち合わせの日だった。やがて朝日が昇ってきた。私は自分で朝ごはんを作って食べた。たくさん食べた。


それから私は1時間ほどかけて、自分の中にあるありったけの勇気をかき集めて燃やした。そしてついに、一人で家から出た。恐怖で体が震えた。私は、おそるおそるゴミ置き場へ向かい、装置の残骸をそこに捨てた。そして、少しよろめきながらも、出版社へ歩いていった。


生まれたての太陽が、残酷に、しかし祝福のように町を照らしていた。

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夢想機 星宮獏 @hoshimiya_baku

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